Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2013-07-08 海ノ口環状列石制作

    海ノ口の湖畔で樹を刈る、
    山の窪みに沈む陽、水舞台にしたたる、
    光の芯、風に泳ぐ、
    天体がひらかれた
    裸足の芯で田を踏む、
    大地劇場

    稲尾の田んぼに水が張られ、
    山なみをふるわすみなもひろがる、
    イナオが稲尾だけではなく、
    アイヌの削りかけ、
    イナウにはイナオという発音もあることを知って、
    地名の古層に触れたような、
    田んぼの泥の底がこそばゆい、
    記憶の崩ゆみ

    海ノ口の休耕田の雑木を刈り倒しつづけて、
    開かれた土地に立石を立ててみたら、
    その姿の楽しさに興奮してしまう

    そして水辺に立つうっとりするような石の形
    木を切り土地を開くこと、
    その木の立っていた空隙に石を立てること
    渦の羽根



    春のあらしのような風、青みずが華やいで、
    湖面は盛りあがるように奔る、
    わたしがかいているのは、
    雪形の傷、き、だった

    流路をあるく、

    石の流路、
    タラの芽は、
    河の女神の崖地(まま)に立ち、
    春を噛んだ、くちびる

    タラの芽は、
    河の女神がほほえみかける仕草のようにして生えている、
    河の欠け、
    流路、風の抜け道、
    木洩れ日に座って

    渦の、臓物のあな、
    丘上に窪んだ、蛇の、
    ねむり葉、渦潮の空路、
    いのちのは か、
    音江 環状列石、北海道にて


    石の河に立って、
    河裸には、
    石が擦れて砂地になり、
    円錐の窪、
    ウスバカゲロウの幼虫-アリジゴクの穴が無数に空いている、
    アフンルパル、螺旋形の窪み

    雨あがり、晴れ間に覗いた空、雲に包まれて、
    湖を衣のように抱いている、山の緑が、
    目の心に吸い込まれる、水を映していた、
    そして暮れていく湖水地に赤が照らされた

    大雨の後、河の姿がかわる、水紋、
    水がエラをかく仕草の手、の跡

    流路をすなちの泥に描いていた、
    水煙土器というのがあるが、
    水紋土器、水の手の跡



    すなちのアリジゴクたちはどこかへと流れ去った







        2013-05-31 音江


    渦の、臓物のあな、丘上に窪んだ、蛇の、ねむり葉、渦潮の空路、いのちのはか、音江、風をよんでいる









        2013-04-13 皮なめし対話

    照葉樹林の座(くら)石が、
    持仏のように洞(ほら)を纏った木の生えた、
    あいまに、小洞窟は空に架けた絵馬、
    瞳に刺青された宇宙咳、
    雪の山、
    あいだにさかれた、
    花という時間のひかり

    裸であること、
    毛皮と脂肪のあいまに夢を纏った獣、
    洞窟壁画は身体に夢を刺青して、
    命に包まれ纏うこと、
    裸は常態化した変化の生の姿

    カワにつつまれて水の中を泳いでいる、
    それが生であり、
    性の揺り籠、
    籠というのも竹の龍か、蛇の流、舟

    そうか
    皮は、水の中なのかもしれない、
    カワは、川、皮なのか、やっと繋がった。


    温かく濡れた毛皮の内側の触感というのは、
    水を掻いたときの、水かきのように生じる膜の感覚にとても近い。
    血潮の潮流というだけではなく、水の意識の生命体であって、
    常に変化し流れる川が膜に包まれ、思考し、
    移動する川としての生物、
    それは自転と公転というもの凄い回転運動を続ける
    地球が常態であることに合わせるように、
    常に流れ打つ中に意識があるということ


    皮の中の川、生命の層であること、
    血管の描く川。川の中の皮というのは、
    なにか、川の中に流れる文字のイメージ。
    吉増さんの『草書で書かれた川』という本を思いだしてたけど、
    その中の「老詩人」という詩は、
    北上で朗読したものだったんだなあ、
    北上川ということもあるけど、
    川に刺青して、フィルムということにもつながっていくな。
    東北のシシ化する身体とともに、
    沖縄の植物神としての舞、照る葉の文化。

    若水を汲んで飲むこととか、湧水で顔を洗った時とか、
    水との親和性は、意識の流路の問題にも関わることで、
    歩くとか旅によって、身体という水を地形に流していく、
    身体と言う川をつくる旅によって、開かれ流れ、
    浮かび上がるもの。

    科学的なイメージではなく、イメージが突き抜けて、
    観察が振り切られる場所。
    写真の現像という水から浮かび上がるものと、
    吊られたネガフィルム、
    写真像のOHPフィルムに書かれた吉増さんの書、
    8ミリフィルムの回転の流れ、
    川面の光の皺に挿される文字の破片は声、
    流れる川に泳ぐ、写真像や文字の書かれた布、皮、
    記憶という水の中の鯉のぼり


    大陸からフェリーで帰ってくる時の
    中国地方のミニチェア的な山なみ。
    その中に、沖縄の御嶽へと繋がる照る葉の文化があり、
    明らかに境地は照る葉の森とともに西日本に残っている。

    江の川を歩いた時にも、
    もの凄い螺旋木のうつほの森の境地があったし。
    東日本にはストーンサークルの文化があり、
    シシ踊りの荒ぶる祭があり、縄文文化が花開く、
    杉をご神木とする垂直性の聖地より、
    照葉樹の女性的な洞の螺旋の森の照る葉の光に惹かれる。
    椎葉神楽がどういうものなのか見に行きたい。
    日本におけるストーンサークルというのは、
    照る葉の森の女性性を現すのかもしれない、
    中部の土偶と火焔土器も同じかもしれない。
    そういえば、
    青森の神社の鳥居には巨大な女陰としか思えない注連縄が吊ってあるのは、
    杉の垂直性に対する応答なのかもしれない。
    そういう風に大きな力が補いあって、
    呼び合っているのかもしれない。

    縄文文化は落葉広葉樹林と重なるのですね。
    これも裸ということと雪ということですね。
    裸の木というのが、
    冬季に洞やうつほをつくれないためか、
    落葉樹の聖地というのはあまり見たことがない気がする。
    杉がご神木になってくる。
    不変の常しえの森としてのストーンサークル。
    雪の冬に応答するための、
    火の赤子、火の器としての縄文土器、土偶








        2013-04-13 北上行・詩歌文学館、吉増剛造×笠井叡「足裏の律動(リズム)」

    仙台、塩釜経由で北上へ、神社を巡る、
    神社は境である。
    塩釜で食べたごま餅がうまかった。
    仙台までは雪がなかったが、岩手に入ると雪の世界に覆われる。

    歩いて樺山遺跡ストーンサークルへ、
    雪に埋もれて、立石の頭だけが、雪原にぽこぽこ見えていた。
    そのまま歩いてみちのく民俗村へ、凄い古民家を集め過ぎ、
    枝に刺した色餅、古民家は宇宙の暗さを設計している。
    北上市立博物館で、煤けた細い古布きれをたわわに纏った
    オシラサマの膨らみに驚嘆していた。

    詩歌文学館、吉増剛造×笠井叡「足裏の律動(リズム)」
    朗読の螺旋の旋回は即応されることなく、茶化されて、
    ピンチハンガーぶち壊しての舞踏はおもしろくとも、
    音源と舞踏の型の限界、

    この後、おでんせプラザ(デパ地下)で行われた鬼剣舞を見て、
    太鼓のうねりと舞のうねりの呼応が浮き彫りにしていた

    北上という雪深い地のもつ無形のものの力のいのち、
    デパ地下という舞台空間としては最低の空間であっても、
    緊急雇用創出事業で鬼剣舞をやるという文化の懐の深さ。
    これが東北のいのちの緒。本祭が見たい。

    翌朝、地図を見て、江釣子に惹かれて歩く、
    神社と、カムイ・ヘチリコホってなんだと思って行ったら、
    ただの公園だったけど、
    アイヌ語、カムイ・ヘチリコホ(神々の遊び場)が
    江釣子の語源ということ、
    この音の渦巻きにひかれていく

    詩歌文学館、吉増剛造と林浩平の映像上映トーク90分が3回、
    吉増剛造と大野一雄の共演の始まりから尾崎放哉、
    沖縄、アラーキーとメカスと吉増さんのNHKの旅の歴史、呼出し、
    大野一雄もまたともに呼び出しあっていたのか、
    夢のしぐさの身体、ヴィジョンの立つ濃密な時、
    詩が立つとシネが枯れるのか

    ゆめの身体のヴィジョン、
    オシラサマの紐緒を結びつづけ顔も見えない、
    膨らんだ布きれの塊となった頭、

    煤茶けた生活の帯を毎年結びつづけた、
    連綿とつづく時の命の緒を纏った幼虫の蛹繭、
    そのいのちの発芽の発光というふるえの変態するふるまい、
    舞も絵も言葉もすべて同じ、変態の媒介、あわいのもの

    確かにあれは ふさ だ、
    鬼剣舞、からだが夢みた身体の、
    穂舟、胞衣の膜の中の毛布、
    水棲膜、生まれなおしという変態のため、
    ものにこころを寄せる、
    稚児の仕草の河童、
    早池峰神楽獅子の異形化、怪物性、
    賢治の月夜のでんしんばしら、
    どんと焼きの大地の夢の一時のみ立つ男根よ、
    蛇体の家、オシラサマ




        2013-04-13 月の皺皺が、瞼のひかりだった

    月の皺皺が、瞼のひかりだった、
    羽津かしい、宇宙と蛹、獨り舞う

    初かしい光跡の宇宙にしづか、
    雪の足裏に添って、
    裸足をかさねる、
    ほのおみず酔って、
    宇宙に即応する、月の鼓膜よ

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