2007-12-07 丸石神、発電所美術館、岡谷考古博物館
塩山駅からバスで、三富村へ
駅周辺の丸石神の地図は持っていたが、
中沢厚さんが初めて丸石に出会った、三富村の基壇の上の
山の丸石を見たくて
バスのこと聞こうと、
タクシー会社の中に止まっているバスの方に行くと、
出がけの車のおじさんが、
声をかけてくれ、三富村のことを教えてくれた
三富村も広く、雷、芹沢、広瀬はかなり離れていて、
歩くのは遠い、雷が一番近く650円くらいで行けると教えてくれる
以前塩山駅から東山梨駅の間を歩いてみたことがあったので、
もっと山奥の村にある丸石をみるのが一番おもしろいだろうと思っていたので
バスに乗る
でも七日市場にある大丸石も見たかったので、
また今度地図をもって駅周辺を歩きたい
おもしろいバスの運転手さんにいろいろ話を聞く、
甲斐の人だから、丸石のことをよく知っている、
途中、いくつも基壇上の丸石の道祖神場を見る
徳和という村に着き、そこで正月に行なわれる道祖神祭りが
おもしろいと教えてくれた、
乾徳山という山の登山口で、以前はここ行きのバスがあったが廃止されたので、
路線バスが寄って、来た道を戻って三富村へ向かうというコースを辿る、
その為、少しのあいだ、
バスの乗車賃がさがるという現象が起こる
雷(いかずち)に着いて、集落まで坂道を登る
集落の中心に丸石神の道祖神場、意外と地味だ
小さな滝とお堂があって
丘状に広がる畑と集落のしずかな気配が
良い所だ
国道まで戻って、芹沢に向かって歩く
温泉宿のある川浦の集落はコンクリの塀の合間に道祖神場
川沿いに歩き
天科(あましな)、青笹
帰りの電車の関係上、ここの丸石は見れなかった
赤の浦、大嶽山那賀都神社に寄ろうとするが、
小山の上にある神社を見て先に急ぐ
別の道に灯籠が続いていたが、
そっち神社があったらしい
帰りのバスの時間も近いが、
川沿いの道を遡る
すると、芹沢の集落の看板がある
地図もなくただ歩いてきたが、
ちょうど日暮れ前に辿り着くことができた
急斜地の上に丸石を祀る基壇が覗いている
坂を登って丸石神を見つめる
笛吹川の深い渓谷の急斜地の突端にそれはあった
木の門は石の基壇に倒れて凭れ掛かっていたが
丸石の白い艶のある丸みが
渓谷のうつを挟んだ林の緑と触れあって
妖しく光り漂う
巨石が隣にあって、向かいにはお堂
お堂の隣にも巨石と石塔
しばらく佇み
坂道を下っていく
振り返って丸石を眺めると
ちょうど夕暮の空に丸石が触れている
四隅の竹が空に生えて
「ああ、あれはタマだ」
空に昇る玉(タマ)、
川から急斜地に拾い上げられ、
その突端に祀られる、この触れかた
初めて中沢厚さんが、登山の帰り道に三富村の広瀬で丸石神と出会った
その広さ、日暮れの山の持つ空間のひろがりの
うつろのイメージにこそ僕は触れたかったのだろう
このイメージには触れたことがなかった
広瀬の丸石はまだ遠く、
電車の時間に間に合わないので、
正月の道祖神祭の時に見に来ようと、
帰りのバスに向かうが、一本バスを逃していたので、
電車に間に合うか微妙だった、
車をひろおうとするが、
スピード出して通り過ぎる、
もうバスが来るかなという頃、
芹沢の集落から来た車のおじさんに乗せてもらう
徳和の乾徳山に登ってから
大嶽山那賀都神社に行って来たそうだ
東海道や中山道を週末を使って、7年かかりで歩いたりしてる
おもしろいおじさんだった
鎌倉から来ていると言っていた
山梨駅まで送ってもらい
電車で長野へ
下諏訪で降りて、40分くらいしかないが温泉に向かう
途中パッと眼にはいったのり巻き屋さんに入る
かんぴょう260円とうめちそ230円の二品しかない
おばあさんが1人、
おいしそうなので、買おうとするが、
1000円がくずれない、
おばあさんが今日はいいからもってきな、
と言うので、小銭全部100円ちょっとを置いて
温泉へ急ぐ
ゆっくり浸かり、牛乳瓶の冷えた牛乳を飲んで、
駅へ戻る、さっきの店はもう閉まっていた
電車に乗って、のり巻きを食べる
うめちそって何だろと惹かれて買ったが、
ご飯がぎっしりと詰まって、梅とシソと大量のゴマだけしか入ってないのだけど
すごくおいしい、ゴマと梅という組み合わせは新鮮だった
おばあさんの今日はお釣がないからお金はいいよという
キップのよさ、諏訪という地にはこういう旅人の心をくすぐってくれる
すばらしいものが残っている
酢の味のよくきいたおいしいのり巻きを食べながら、
稲尾駅へ、木崎の家に一泊
朝、始発に乗り遅れるが、
入善の発電所美術館の内藤礼さんの「母型」を見にいく
糸魚川まで単線列車で行き、
入善へ、コミュニティバス、のらんマイカーは
偶数日と奇数日で路線が違い、今日は発電所美術館行きのバスがない
電話して新谷というバス停が近いと聞くが、
バスの時間まで相当あるので、歩いていくことに、
途中、中華料理屋で、開店セールみたいな
ラーメン半額をやっていたので、
野菜ラーメンとチャーシューメンを食べ、歩きだす
海から近いので、すごく平らな田圃の風景が続くが、
視線の先にはアルプスがそそり立っている、
水が豊富で、平らな割に流れが速い
幾つか神社に寄るが、雪囲いの窓ガラスに覆われ見栄えがよくない
浄土真宗のお寺で、尼さんにお茶を一杯もらって話を聞く
かなり遠かったけど発電所美術館に着く
発電所なのに平地のちょっとした丘の下にあった
入場料500円をはらって中へ、
最初に文章を読んで、靴を脱いで見てくださいとのこと、
先に見にいった友人が靴下が濡れたと言っていたので、裸足になる
二つの大きな鉄でできた穴が先ず目に着く、しかも上にどんどん続いている、
どんどん登っていくと、真っ暗になってきて、錆が酷くなる
ちょっと恐いので戻る、こりゃなんだ、
ラピュタのパズ−が登るロボット兵の穴みたいだ、と場の存在にびっくりする
広い発電所の空間に、上から水が垂れて、点々とした水たまりが出来ているが
特にぴんと来ない
壁面に小さな水のガラスの跡のような写真が一枚ある
ロフトのような2階にだけ照明があって壁面には写真がたくさん並んでいる
そこにも一ケ所だけ点々とした水たまりがあった
その水と光りを見た瞬間、ドキッとした
水は照明の光りを受け、光の粒そのもののようにうつくしく輝いていた
それは前にギャラリー小柳の内藤さんの展示の小さな紙に無数に穴が開いた作品の前に立ったとき
風で揺らめいた瞬間に出会った驚きに似ていた
それから、白い糸が上の張ってある
一階に降りて、
幾つか置かれている
白い真ん中に穴の開いた箱椅子に座って、眺める
すると、何ケ所かの水たまりが見える、そのうちの一ケ所が、
窓からの自然光を受け、うつくしい光の粒の揺らめきとなって
息づいているのを見つめる
穴の近くにあった水たまりは踏んづけられて、
うつくしい水点が崩れてしまっていたのだ、
だから、最初はぴんと来なかったのだが、
ただ一点から滴る水跡のうつくしさに目を奪われる
現代の巫女がとうとう水という素材に触れたかと
水の女という言葉も浮かび
その踏みつけられても甦る水という存在に
生命を感じる、今までの死者の為の作品から、
なにかが少し変わったのかしらと思った
ギャラリー小柳の時に床に置いた土の器の舟が踏んづけられたという
話も聞いていたから、そういう所からも来ているのだろう
窓際に糸がニ本、これは大崎美術館の時のほうが、うつくしい存在の仕方を
していたような気がする
文字の作品もあると聞いたが、見つけられなかった
鉄の巨大な穴は水力発電に使っていたもので、中を満水にして使っていたそうだ
奥に発電機が一つ残っている
天井が高いからどういう仕組みで水が落ちて来るかはわからなかったけど
自然に水の力で落ちてたらいいな
この在り方はすばらしいけど、
やはり発電所という箱の中であることが、
僕には引っ掛る
芹沢の丸石神の在り方の開かれかたのほうがしっくり来るのだろう
でも写真を見ると、日差しが入って、全然雰囲気がちがうから
その出会いのタイミングの問題もあるのかもしれない
雨降り天気で薄暗かったから
この地域は平すぎるという
至るまでの道の問題もあるのかもしれない
バス停に行くが、教えてもらったバス停は
違う路線のバス停で、結局歩いて帰ることに、
途中で仕出し屋さんの隣の商店に入って、
値引きされたおでんのような煮物を買う
駅まで真っ暗な中歩いて、駅前で太巻きを買い
電車の中で食べる、煮物がすごく甘くてうまい、
太巻きもうまい、田舎にはこういう想いのこもった
食べ物があるから、しあわせだ
木崎に帰って一泊
東京に帰る途中、
岡谷の岡谷美術考古館にいく
併設の岡谷蚕糸博物館、養蚕の機械がたくさんある
昭和の匂いのある博物館だが、縄文土器はすごく見ごたえがある
出産土器とひしめく縄文土器
左奥のケースの縄文土器郡に眼を奪われる
たましひが宿るモノたち
出産土器には鳥のような生き物の形が宿っている
渦巻き、左右ずれた二つの輪、蛇か
この縄文土器という、生命をやどらしたものを生み出した
日本という島に住む人々の文化は
生命としてのある究極的な場所に辿り着いていたのではないか、
人が生命とともに世界とともに生きる最高の知恵が脈々と宿っているようだ
こんなものをまだ世界で見たことがない
この先人の残した遺物から、僕達は本当に大切なものを学ぶ必要があるのだろう
生命が宿る物質、という言い方が、的確でないと言うのなら
折口信夫の言った神以前の「たま」か「マナ」のようなものが
そこには確実にやどっている
その境は生物とそれ以外より
「たま」の宿ったものとそれ以外のもののほうが大きいのではないか
縄文土器も蛇としてのひもから作られている
そういう風にして、想いを込めなければ、土器は爆発したのだろう
野焼きした時に爆発するのは恐ろしいことだ、
土器との関わりから、縄文人のアニミズムが育まれてきた側面は
大きいだろう
東京へ
内藤礼展「母型」
会期:2007年10月6日(土)〜12月16日(日)
発電所美術館
http://www.town.nyuzen.toyama.jp/nizayama/
岡谷蚕糸博物館・岡谷美術考古館
http://www.okaya-museum.jp/exhibit/011.html
駅周辺の丸石神の地図は持っていたが、
中沢厚さんが初めて丸石に出会った、三富村の基壇の上の
山の丸石を見たくて
バスのこと聞こうと、
タクシー会社の中に止まっているバスの方に行くと、
出がけの車のおじさんが、
声をかけてくれ、三富村のことを教えてくれた
三富村も広く、雷、芹沢、広瀬はかなり離れていて、
歩くのは遠い、雷が一番近く650円くらいで行けると教えてくれる
以前塩山駅から東山梨駅の間を歩いてみたことがあったので、
もっと山奥の村にある丸石をみるのが一番おもしろいだろうと思っていたので
バスに乗る
でも七日市場にある大丸石も見たかったので、
また今度地図をもって駅周辺を歩きたい
おもしろいバスの運転手さんにいろいろ話を聞く、
甲斐の人だから、丸石のことをよく知っている、
途中、いくつも基壇上の丸石の道祖神場を見る
徳和という村に着き、そこで正月に行なわれる道祖神祭りが
おもしろいと教えてくれた、
乾徳山という山の登山口で、以前はここ行きのバスがあったが廃止されたので、
路線バスが寄って、来た道を戻って三富村へ向かうというコースを辿る、
その為、少しのあいだ、
バスの乗車賃がさがるという現象が起こる
雷(いかずち)に着いて、集落まで坂道を登る
集落の中心に丸石神の道祖神場、意外と地味だ
小さな滝とお堂があって
丘状に広がる畑と集落のしずかな気配が
良い所だ
国道まで戻って、芹沢に向かって歩く
温泉宿のある川浦の集落はコンクリの塀の合間に道祖神場
川沿いに歩き
天科(あましな)、青笹
帰りの電車の関係上、ここの丸石は見れなかった
赤の浦、大嶽山那賀都神社に寄ろうとするが、
小山の上にある神社を見て先に急ぐ
別の道に灯籠が続いていたが、
そっち神社があったらしい
帰りのバスの時間も近いが、
川沿いの道を遡る
すると、芹沢の集落の看板がある
地図もなくただ歩いてきたが、
ちょうど日暮れ前に辿り着くことができた
急斜地の上に丸石を祀る基壇が覗いている
坂を登って丸石神を見つめる
笛吹川の深い渓谷の急斜地の突端にそれはあった
木の門は石の基壇に倒れて凭れ掛かっていたが
丸石の白い艶のある丸みが
渓谷のうつを挟んだ林の緑と触れあって
妖しく光り漂う
巨石が隣にあって、向かいにはお堂
お堂の隣にも巨石と石塔
しばらく佇み
坂道を下っていく
振り返って丸石を眺めると
ちょうど夕暮の空に丸石が触れている
四隅の竹が空に生えて
「ああ、あれはタマだ」
空に昇る玉(タマ)、
川から急斜地に拾い上げられ、
その突端に祀られる、この触れかた
初めて中沢厚さんが、登山の帰り道に三富村の広瀬で丸石神と出会った
その広さ、日暮れの山の持つ空間のひろがりの
うつろのイメージにこそ僕は触れたかったのだろう
このイメージには触れたことがなかった
広瀬の丸石はまだ遠く、
電車の時間に間に合わないので、
正月の道祖神祭の時に見に来ようと、
帰りのバスに向かうが、一本バスを逃していたので、
電車に間に合うか微妙だった、
車をひろおうとするが、
スピード出して通り過ぎる、
もうバスが来るかなという頃、
芹沢の集落から来た車のおじさんに乗せてもらう
徳和の乾徳山に登ってから
大嶽山那賀都神社に行って来たそうだ
東海道や中山道を週末を使って、7年かかりで歩いたりしてる
おもしろいおじさんだった
鎌倉から来ていると言っていた
山梨駅まで送ってもらい
電車で長野へ
下諏訪で降りて、40分くらいしかないが温泉に向かう
途中パッと眼にはいったのり巻き屋さんに入る
かんぴょう260円とうめちそ230円の二品しかない
おばあさんが1人、
おいしそうなので、買おうとするが、
1000円がくずれない、
おばあさんが今日はいいからもってきな、
と言うので、小銭全部100円ちょっとを置いて
温泉へ急ぐ
ゆっくり浸かり、牛乳瓶の冷えた牛乳を飲んで、
駅へ戻る、さっきの店はもう閉まっていた
電車に乗って、のり巻きを食べる
うめちそって何だろと惹かれて買ったが、
ご飯がぎっしりと詰まって、梅とシソと大量のゴマだけしか入ってないのだけど
すごくおいしい、ゴマと梅という組み合わせは新鮮だった
おばあさんの今日はお釣がないからお金はいいよという
キップのよさ、諏訪という地にはこういう旅人の心をくすぐってくれる
すばらしいものが残っている
酢の味のよくきいたおいしいのり巻きを食べながら、
稲尾駅へ、木崎の家に一泊
朝、始発に乗り遅れるが、
入善の発電所美術館の内藤礼さんの「母型」を見にいく
糸魚川まで単線列車で行き、
入善へ、コミュニティバス、のらんマイカーは
偶数日と奇数日で路線が違い、今日は発電所美術館行きのバスがない
電話して新谷というバス停が近いと聞くが、
バスの時間まで相当あるので、歩いていくことに、
途中、中華料理屋で、開店セールみたいな
ラーメン半額をやっていたので、
野菜ラーメンとチャーシューメンを食べ、歩きだす
海から近いので、すごく平らな田圃の風景が続くが、
視線の先にはアルプスがそそり立っている、
水が豊富で、平らな割に流れが速い
幾つか神社に寄るが、雪囲いの窓ガラスに覆われ見栄えがよくない
浄土真宗のお寺で、尼さんにお茶を一杯もらって話を聞く
かなり遠かったけど発電所美術館に着く
発電所なのに平地のちょっとした丘の下にあった
入場料500円をはらって中へ、
最初に文章を読んで、靴を脱いで見てくださいとのこと、
先に見にいった友人が靴下が濡れたと言っていたので、裸足になる
二つの大きな鉄でできた穴が先ず目に着く、しかも上にどんどん続いている、
どんどん登っていくと、真っ暗になってきて、錆が酷くなる
ちょっと恐いので戻る、こりゃなんだ、
ラピュタのパズ−が登るロボット兵の穴みたいだ、と場の存在にびっくりする
広い発電所の空間に、上から水が垂れて、点々とした水たまりが出来ているが
特にぴんと来ない
壁面に小さな水のガラスの跡のような写真が一枚ある
ロフトのような2階にだけ照明があって壁面には写真がたくさん並んでいる
そこにも一ケ所だけ点々とした水たまりがあった
その水と光りを見た瞬間、ドキッとした
水は照明の光りを受け、光の粒そのもののようにうつくしく輝いていた
それは前にギャラリー小柳の内藤さんの展示の小さな紙に無数に穴が開いた作品の前に立ったとき
風で揺らめいた瞬間に出会った驚きに似ていた
それから、白い糸が上の張ってある
一階に降りて、
幾つか置かれている
白い真ん中に穴の開いた箱椅子に座って、眺める
すると、何ケ所かの水たまりが見える、そのうちの一ケ所が、
窓からの自然光を受け、うつくしい光の粒の揺らめきとなって
息づいているのを見つめる
穴の近くにあった水たまりは踏んづけられて、
うつくしい水点が崩れてしまっていたのだ、
だから、最初はぴんと来なかったのだが、
ただ一点から滴る水跡のうつくしさに目を奪われる
現代の巫女がとうとう水という素材に触れたかと
水の女という言葉も浮かび
その踏みつけられても甦る水という存在に
生命を感じる、今までの死者の為の作品から、
なにかが少し変わったのかしらと思った
ギャラリー小柳の時に床に置いた土の器の舟が踏んづけられたという
話も聞いていたから、そういう所からも来ているのだろう
窓際に糸がニ本、これは大崎美術館の時のほうが、うつくしい存在の仕方を
していたような気がする
文字の作品もあると聞いたが、見つけられなかった
鉄の巨大な穴は水力発電に使っていたもので、中を満水にして使っていたそうだ
奥に発電機が一つ残っている
天井が高いからどういう仕組みで水が落ちて来るかはわからなかったけど
自然に水の力で落ちてたらいいな
この在り方はすばらしいけど、
やはり発電所という箱の中であることが、
僕には引っ掛る
芹沢の丸石神の在り方の開かれかたのほうがしっくり来るのだろう
でも写真を見ると、日差しが入って、全然雰囲気がちがうから
その出会いのタイミングの問題もあるのかもしれない
雨降り天気で薄暗かったから
この地域は平すぎるという
至るまでの道の問題もあるのかもしれない
バス停に行くが、教えてもらったバス停は
違う路線のバス停で、結局歩いて帰ることに、
途中で仕出し屋さんの隣の商店に入って、
値引きされたおでんのような煮物を買う
駅まで真っ暗な中歩いて、駅前で太巻きを買い
電車の中で食べる、煮物がすごく甘くてうまい、
太巻きもうまい、田舎にはこういう想いのこもった
食べ物があるから、しあわせだ
木崎に帰って一泊
東京に帰る途中、
岡谷の岡谷美術考古館にいく
併設の岡谷蚕糸博物館、養蚕の機械がたくさんある
昭和の匂いのある博物館だが、縄文土器はすごく見ごたえがある
出産土器とひしめく縄文土器
左奥のケースの縄文土器郡に眼を奪われる
たましひが宿るモノたち
出産土器には鳥のような生き物の形が宿っている
渦巻き、左右ずれた二つの輪、蛇か
この縄文土器という、生命をやどらしたものを生み出した
日本という島に住む人々の文化は
生命としてのある究極的な場所に辿り着いていたのではないか、
人が生命とともに世界とともに生きる最高の知恵が脈々と宿っているようだ
こんなものをまだ世界で見たことがない
この先人の残した遺物から、僕達は本当に大切なものを学ぶ必要があるのだろう
生命が宿る物質、という言い方が、的確でないと言うのなら
折口信夫の言った神以前の「たま」か「マナ」のようなものが
そこには確実にやどっている
その境は生物とそれ以外より
「たま」の宿ったものとそれ以外のもののほうが大きいのではないか
縄文土器も蛇としてのひもから作られている
そういう風にして、想いを込めなければ、土器は爆発したのだろう
野焼きした時に爆発するのは恐ろしいことだ、
土器との関わりから、縄文人のアニミズムが育まれてきた側面は
大きいだろう
東京へ
内藤礼展「母型」
会期:2007年10月6日(土)〜12月16日(日)
発電所美術館
http://www.town.nyuzen.toyama.jp/nizayama/
岡谷蚕糸博物館・岡谷美術考古館
http://www.okaya-museum.jp/exhibit/011.html
2007-11-12 日の出の森、水質調査フィールドワーク
東京近郊の森の中での、滞在制作、常設という言葉ではない
その場所でうまれ、根づくものを
作りたいという想い
青梅ら辺の森を2、3日歩くが、日の出の森のような豊かな雑木林は見つからず
植林された杉林の山ばかり、
地図上の点線の林道を歩いていったら、
シャベルカーが地ならしをする工事現場で、この先はまだ道ができてないという
戻るのもめんどくさいので、何処か道はないかと尋ねると、
少し戻って、尾根沿いに獣道みたいのあるよ、でもどこに続いてるか知らないよ、
と教えてもらい、戻って登りはじめる
山師の人が使う道で、一応道があり、ちゃんと印がある、
周りは植林された杉の山だけど、尾根道沿いだけは
雑木が生えているのが不思議だったが、
どんどんゆくと、向う側からも重機の音がきこえてきて、
林道に出た、
日の出の森の帰りに寄った、
幸神神社の近くに出て帰る
10月27日
二ツ塚処分場水質調査フィールドワーク
朝、雨
雨天でもやるというので、
青梅市役所に少し遅れて到着、
説明を受け
雨だから、森に行く人と
残ってビデオを見る人に分かれる
調理室なのだが、部屋のイスが埋るくらい
2、30人の人がいる
車に分譲して一路、日の出の森へ
3チームに分かれ、水質調査、
ペットボトルに沢の水を汲んで、3回振り洗いしてから、
いっぱいに汲む、
同時に温度計で水温を測り、
地点の番号を記入する
ほとんど杉の林道を歩きながら、沢の分岐点で降りて七カ所ほど、
水を採取する
こんにゃく石という曰くのある巨石を見る、
だんだん豊かな雑木林になってくる
最後の地点の沢を遡る途中、沢の苔のついた石を踏むと
ふにゃりとした感触、こんにゃく石か、とびっくりして
ひっくり返すと、スポンジ状のなにかの工業製品だった
表側は、苔が生えて石そのものだからおもしろい
川の分岐を見つけ、水を採取
周りの雑木林がいかにも、茸の採れそうな豊かな森だったので、
すぐ上の坂を登ってみると、
木の根元部分にびっしりと茸が生えている
なんの茸かわからないが、かなり食べれそう、
処理場に近いので、食べれるかわからないが、茸に詳しい人も来ているそうなので、
採って帰る、帰路は沢沿いではない路を通って帰るが、
途中の切り株に、クリタケがびっしりと生えている
こんなみごとなクリタケの株は見たことがない
こんなに豊かな森が汚染されていくというのは、
とてもかなしいことだ、とりあえず
あまりにみごとなので、全部採ってかえる
市役所に着いて、お弁当を食べ、
持ち帰った水の検査、
雨が降って、調査しきれなかった場所もあったらしいが、
予備調査を晴れた日に事前にやっていたので、そのデータも合わせて
ダイオキシンなどは、調べるのにお金もかかるし、専門的技術が必要なので、
水の電気伝導度と、塩化物、COD(科学的酸素要求度)の三つの方法、
電気伝導度に異常が見られる場合に残りの二つを調べる
電気伝導度は誰でも簡単に調べられ、誤差が少ない、
異常があっても、即汚染とは限らないが、
普通、湧水が一番伝導度が低く、下流に行けば行くほど、伝導度が上がる訳だが、
一部の沢の上流から、水道水が120のところ、300近い値が出た
普通の沢の湧水は30くらいなのに、これはなにかあるとしか考えられない
何か地質的な問題や生ゴミを誰かが近くに捨てたとかによって値が出る場合もあるが、
ちょうど、一番処理場に近く、処理場の地質と同じ高さの辺りの沢から
値が出るというのは、とても怪しい、
ちなみに僕らが調べた沢は一番きれいで、
30、50、110とかほぼ正常な値が出ていた
この物質が何なのか、ちゃんと調べて、結果が知りたい
その後、講師の関口さんの話、
とてもわかりやすく、おもしろかった
ペットボトルなどのリサイクルというもの自体が、エネルギーを消費し、
環境に悪影響をおよぼすということ、ゴミ問題は大量消費を止めて、
ゴミの量を減らすしか方法がないということ、
しかも、個人レベルでは、全体の5%で、
企業の出すゴミを規制しないとどうにもならないということ、
最終処分場というのは、人間の手ではどうすることもできない汚染物質を
大地にろ過してもらって、大地が汚染されることで、周りに
被害がいかないようにするというシステムであり、
その大地が元通りになるには、何百年という時間がかかる、
処理場のシートというのは、15年という耐久年数が定められていて、
それ以上は破れて、周りに溢れだすことが前提なものなので、
処理場は地下水があったり、水源地には一番作ってはならないものなのだ
実際の調査でも、二ツ塚処理場のすぐ下の池では電気伝導度1000近い値が出たり、
谷戸沢処分場では、片側の斜面に汚染らしき値が見られるが、
二ツ塚のほうでは、両方の斜面に汚染らしき値が見られる
これはいずれ、多摩川へと流れ込み、
東京都民の飲み水を汚染することになる
焼却処分場は大気中に薄い毒素をまいて、
大気が薄めて、ろ過するというシステムだし、
大地と大気という自然にまかせるしか方法がないという、
日本で一番処分場に適した土地というのは、関東平野のビル群が建ってるところらしいから
地震で東京が崩壊したら、最終処分場を作ればいいと思った
平野というのは、湿原を埋め立てたところらしいから本当は暮らしづらい、
大量消費の都市生活の輸送がストップしたら、成り立たないから、
もっと土地を愛して食の豊かな地方で、地場地産の生活を送る必要がある
日の出の運動のホームページやパンフレットを読むと、
東京都はなんて横暴な犯罪行為のようなことをしているような気がしていたが、
問題は、法律に違反しないギリギリの汚染度というところにあって
成人には問題なくても、妊婦には悪影響を与える値とか、
ダイオキシンでも、種類があって、臭気ダイオキシンというのは、まったく
規制がなく、垂れ流されていて、実際日本人の体内におけるダイオキシンの量は
30年前に比べて、40倍になっているという新聞記事が小さく報告されたりしている
そういう、むしろ知られていない毒物のほうが問題らしい
日本の法律自体が物凄くあまいことで、
日の出の処分場が正当化され、トラスト地が強制収容されてしまったりする
もちろん検査値のごまかしなんかもあるのかもしれないけど、
その基準の値自体が狂っていることを改善しないとどうにもならないだろう
実際、日の出の森にいった後、体調が少し悪くなった気もするけど
興味のある人はまた日の出に遊びに行くと思うので、
私達の生活の裏に隠されている
私達の今立たされている場所を象徴している日の出の森を見に行きましょう
その場所でうまれ、根づくものを
作りたいという想い
青梅ら辺の森を2、3日歩くが、日の出の森のような豊かな雑木林は見つからず
植林された杉林の山ばかり、
地図上の点線の林道を歩いていったら、
シャベルカーが地ならしをする工事現場で、この先はまだ道ができてないという
戻るのもめんどくさいので、何処か道はないかと尋ねると、
少し戻って、尾根沿いに獣道みたいのあるよ、でもどこに続いてるか知らないよ、
と教えてもらい、戻って登りはじめる
山師の人が使う道で、一応道があり、ちゃんと印がある、
周りは植林された杉の山だけど、尾根道沿いだけは
雑木が生えているのが不思議だったが、
どんどんゆくと、向う側からも重機の音がきこえてきて、
林道に出た、
日の出の森の帰りに寄った、
幸神神社の近くに出て帰る
10月27日
二ツ塚処分場水質調査フィールドワーク
朝、雨
雨天でもやるというので、
青梅市役所に少し遅れて到着、
説明を受け
雨だから、森に行く人と
残ってビデオを見る人に分かれる
調理室なのだが、部屋のイスが埋るくらい
2、30人の人がいる
車に分譲して一路、日の出の森へ
3チームに分かれ、水質調査、
ペットボトルに沢の水を汲んで、3回振り洗いしてから、
いっぱいに汲む、
同時に温度計で水温を測り、
地点の番号を記入する
ほとんど杉の林道を歩きながら、沢の分岐点で降りて七カ所ほど、
水を採取する
こんにゃく石という曰くのある巨石を見る、
だんだん豊かな雑木林になってくる
最後の地点の沢を遡る途中、沢の苔のついた石を踏むと
ふにゃりとした感触、こんにゃく石か、とびっくりして
ひっくり返すと、スポンジ状のなにかの工業製品だった
表側は、苔が生えて石そのものだからおもしろい
川の分岐を見つけ、水を採取
周りの雑木林がいかにも、茸の採れそうな豊かな森だったので、
すぐ上の坂を登ってみると、
木の根元部分にびっしりと茸が生えている
なんの茸かわからないが、かなり食べれそう、
処理場に近いので、食べれるかわからないが、茸に詳しい人も来ているそうなので、
採って帰る、帰路は沢沿いではない路を通って帰るが、
途中の切り株に、クリタケがびっしりと生えている
こんなみごとなクリタケの株は見たことがない
こんなに豊かな森が汚染されていくというのは、
とてもかなしいことだ、とりあえず
あまりにみごとなので、全部採ってかえる
市役所に着いて、お弁当を食べ、
持ち帰った水の検査、
雨が降って、調査しきれなかった場所もあったらしいが、
予備調査を晴れた日に事前にやっていたので、そのデータも合わせて
ダイオキシンなどは、調べるのにお金もかかるし、専門的技術が必要なので、
水の電気伝導度と、塩化物、COD(科学的酸素要求度)の三つの方法、
電気伝導度に異常が見られる場合に残りの二つを調べる
電気伝導度は誰でも簡単に調べられ、誤差が少ない、
異常があっても、即汚染とは限らないが、
普通、湧水が一番伝導度が低く、下流に行けば行くほど、伝導度が上がる訳だが、
一部の沢の上流から、水道水が120のところ、300近い値が出た
普通の沢の湧水は30くらいなのに、これはなにかあるとしか考えられない
何か地質的な問題や生ゴミを誰かが近くに捨てたとかによって値が出る場合もあるが、
ちょうど、一番処理場に近く、処理場の地質と同じ高さの辺りの沢から
値が出るというのは、とても怪しい、
ちなみに僕らが調べた沢は一番きれいで、
30、50、110とかほぼ正常な値が出ていた
この物質が何なのか、ちゃんと調べて、結果が知りたい
その後、講師の関口さんの話、
とてもわかりやすく、おもしろかった
ペットボトルなどのリサイクルというもの自体が、エネルギーを消費し、
環境に悪影響をおよぼすということ、ゴミ問題は大量消費を止めて、
ゴミの量を減らすしか方法がないということ、
しかも、個人レベルでは、全体の5%で、
企業の出すゴミを規制しないとどうにもならないということ、
最終処分場というのは、人間の手ではどうすることもできない汚染物質を
大地にろ過してもらって、大地が汚染されることで、周りに
被害がいかないようにするというシステムであり、
その大地が元通りになるには、何百年という時間がかかる、
処理場のシートというのは、15年という耐久年数が定められていて、
それ以上は破れて、周りに溢れだすことが前提なものなので、
処理場は地下水があったり、水源地には一番作ってはならないものなのだ
実際の調査でも、二ツ塚処理場のすぐ下の池では電気伝導度1000近い値が出たり、
谷戸沢処分場では、片側の斜面に汚染らしき値が見られるが、
二ツ塚のほうでは、両方の斜面に汚染らしき値が見られる
これはいずれ、多摩川へと流れ込み、
東京都民の飲み水を汚染することになる
焼却処分場は大気中に薄い毒素をまいて、
大気が薄めて、ろ過するというシステムだし、
大地と大気という自然にまかせるしか方法がないという、
日本で一番処分場に適した土地というのは、関東平野のビル群が建ってるところらしいから
地震で東京が崩壊したら、最終処分場を作ればいいと思った
平野というのは、湿原を埋め立てたところらしいから本当は暮らしづらい、
大量消費の都市生活の輸送がストップしたら、成り立たないから、
もっと土地を愛して食の豊かな地方で、地場地産の生活を送る必要がある
日の出の運動のホームページやパンフレットを読むと、
東京都はなんて横暴な犯罪行為のようなことをしているような気がしていたが、
問題は、法律に違反しないギリギリの汚染度というところにあって
成人には問題なくても、妊婦には悪影響を与える値とか、
ダイオキシンでも、種類があって、臭気ダイオキシンというのは、まったく
規制がなく、垂れ流されていて、実際日本人の体内におけるダイオキシンの量は
30年前に比べて、40倍になっているという新聞記事が小さく報告されたりしている
そういう、むしろ知られていない毒物のほうが問題らしい
日本の法律自体が物凄くあまいことで、
日の出の処分場が正当化され、トラスト地が強制収容されてしまったりする
もちろん検査値のごまかしなんかもあるのかもしれないけど、
その基準の値自体が狂っていることを改善しないとどうにもならないだろう
実際、日の出の森にいった後、体調が少し悪くなった気もするけど
興味のある人はまた日の出に遊びに行くと思うので、
私達の生活の裏に隠されている
私達の今立たされている場所を象徴している日の出の森を見に行きましょう
2007-10-29 日の出の森、緑の森の一角獣座
日の出の森にあった若林奮さんの緑の森の一角獣座が、
廃棄物最終処分場問題でのトラスト地が強制収容されて、破壊されたが、
場所を移して、残っているという話を友人に聞いていたので、
日の出の森の活動をしている人に電話をして
一角獣座の新しい庭を見せてもらいに行く
電話してすぐ次の日だったが心良く
車で移設先の個人のお宅に連れていってもらう
青梅駅前でザクロが御自由にお持ちくださいと置いてあるのでもらっていく
緑の森の一角獣座は吉増剛造さんが名付けたもので、
若林さんの研究家によれば、一角獣座は若林さんの集大成の作品だったという話を道中聞く
それを無惨に破壊した石原慎太郎という人間は芸術振興的な態度の陰で
実はこういうことをやっていたのか、ディーゼル車規制の裏で日の出の森という
うつくしい雑木林の水源地を破壊し、汚染している
風の塔とその奥の丘に新しい庭と名づけられた
若林さんの庭があった、
石の枕と木が植えてあって
トラスト地から持って来た樹木の生け垣と
いくつかの自然石の空間、
できた当時より植えられた木がずいぶん育って
感じが変わったらしい、
霧島アートの森にあった若林さんの
4個の鉄に囲まれた優雅な樹々
を発展させたイメージ
ただこれがそうだと言われないとわからないくらいの存在感
場と同化している
おそらく作られた当時は、前面に成長した木や竹が低く、
丘の見晴しがよかったのではないかと思われる
あと木の添え木などもなかったのではと思われる
若林さんは西洋的なイメージを背負って作ってきた人らしいので、
自然をコントロールして庭をつくっている感じもする
でも手入れをする人がいなくなれば、それは自然に呑み込まれてしまう
そんななか静かな石達の列びは若林奮という人の残したものを
たしかに伝えている
植えられた木が3本というのも印象深い
沖縄の御嶽の木も3本だし、
竈の石も3つで火の神をあらわす
後ろには墓があった場所、それは移設してしまったらしいが
なにかの気配を感じさせる草の場
その後ろには社があって
さらに後ろにはお墓と竹林の中に
網状の茸がたくさん
敷地内にはヤギが一匹ないている
お宅の人にも話を聞こうとするが、
今日は体調が良くないらしく、また今度ということで
水質調査のイベントも近々あると教えてもらう
トラスト地の見渡せる場所まで歩いていく林道の入口まで車で送ってもらう
雨がすこし降って来たが、今日のお礼を言って
歩きだす
沢沿いの杉林の道を30分くらい行くと、
フェンス越しに処理場が見えてくる
どこがトラスト地だったかよくわからないので、
二ツ塚の自然道をフェンス沿いに歩く
うつくしい青梅の自然の道の看板を見て、
自然道の隣に最終処分場ぶっ建てる神経はどうかしてるとしか思えない
そのあたりになると、水源地だけあって
植生がかわり、緑豊かな雑木林の樹々やうつくしい石
食べられそうな茸など、
もっともうつくしく豊かな森が
蹂躙され、汚染されてしまったんだと悲しい気持ちになるのと
煙突からもうもうとあがる煙をみて、
いち早くここから離れたいという気持ちがあって
正面入口の側まで歩いていった
車道にでて、歩いて1時間くらい武蔵五日市駅へ
日の出の森のページ
http://www.ne.jp/asahi/hinodenomori/tokyo/
廃棄物最終処分場問題でのトラスト地が強制収容されて、破壊されたが、
場所を移して、残っているという話を友人に聞いていたので、
日の出の森の活動をしている人に電話をして
一角獣座の新しい庭を見せてもらいに行く
電話してすぐ次の日だったが心良く
車で移設先の個人のお宅に連れていってもらう
青梅駅前でザクロが御自由にお持ちくださいと置いてあるのでもらっていく
緑の森の一角獣座は吉増剛造さんが名付けたもので、
若林さんの研究家によれば、一角獣座は若林さんの集大成の作品だったという話を道中聞く
それを無惨に破壊した石原慎太郎という人間は芸術振興的な態度の陰で
実はこういうことをやっていたのか、ディーゼル車規制の裏で日の出の森という
うつくしい雑木林の水源地を破壊し、汚染している
風の塔とその奥の丘に新しい庭と名づけられた
若林さんの庭があった、
石の枕と木が植えてあって
トラスト地から持って来た樹木の生け垣と
いくつかの自然石の空間、
できた当時より植えられた木がずいぶん育って
感じが変わったらしい、
霧島アートの森にあった若林さんの
4個の鉄に囲まれた優雅な樹々
を発展させたイメージ
ただこれがそうだと言われないとわからないくらいの存在感
場と同化している
おそらく作られた当時は、前面に成長した木や竹が低く、
丘の見晴しがよかったのではないかと思われる
あと木の添え木などもなかったのではと思われる
若林さんは西洋的なイメージを背負って作ってきた人らしいので、
自然をコントロールして庭をつくっている感じもする
でも手入れをする人がいなくなれば、それは自然に呑み込まれてしまう
そんななか静かな石達の列びは若林奮という人の残したものを
たしかに伝えている
植えられた木が3本というのも印象深い
沖縄の御嶽の木も3本だし、
竈の石も3つで火の神をあらわす
後ろには墓があった場所、それは移設してしまったらしいが
なにかの気配を感じさせる草の場
その後ろには社があって
さらに後ろにはお墓と竹林の中に
網状の茸がたくさん
敷地内にはヤギが一匹ないている
お宅の人にも話を聞こうとするが、
今日は体調が良くないらしく、また今度ということで
水質調査のイベントも近々あると教えてもらう
トラスト地の見渡せる場所まで歩いていく林道の入口まで車で送ってもらう
雨がすこし降って来たが、今日のお礼を言って
歩きだす
沢沿いの杉林の道を30分くらい行くと、
フェンス越しに処理場が見えてくる
どこがトラスト地だったかよくわからないので、
二ツ塚の自然道をフェンス沿いに歩く
うつくしい青梅の自然の道の看板を見て、
自然道の隣に最終処分場ぶっ建てる神経はどうかしてるとしか思えない
そのあたりになると、水源地だけあって
植生がかわり、緑豊かな雑木林の樹々やうつくしい石
食べられそうな茸など、
もっともうつくしく豊かな森が
蹂躙され、汚染されてしまったんだと悲しい気持ちになるのと
煙突からもうもうとあがる煙をみて、
いち早くここから離れたいという気持ちがあって
正面入口の側まで歩いていった
車道にでて、歩いて1時間くらい武蔵五日市駅へ
日の出の森のページ
http://www.ne.jp/asahi/hinodenomori/tokyo/
2007-10-17 恐山、ポロトコタン、小牧野遺跡、御所遺跡
恐山秋の大祭へ
イタコに会いに
出発が遅れたので、
途中、いわて沼宮内駅で終電
テント泊、石のつぶての上に寝る
一戸駅、徒歩30分
御所遺跡、竪穴式住居の上に土を盛って草が生えてるやつを見に行く
エントランスから自然木が柱になってトンネル状の長い吊り橋になっている
トンネルから外を眺めると自然木がきれい
橋の下のセリが生えていそうな清流の小川の流れる美しい景色を見下ろしながら
博物館自体も屋根に土と草が生えている
休憩所みたいな小屋も全部、
このこだわりは好きだ
好感が持てる建築の博物館
開館前の朝一なので、先に外を見る
土盛り竪穴式住居、
まさに土蜘蛛の巣だ、
大和朝廷は原住民の一部の穴を掘ってその中に暮す人々を
土蜘蛛と呼んでいたが、そのとおり
遠い時代の風景が蘇って佇んでいるようだ
石で囲われた炉の灰が美しい
住居の耐久のため毎日火を焚いているらしい
でも中のつくりは毒キノコっぽいのが生えていて、
あまり快適ではなさそう
昔と構造がちがうのか、生活していないからなのか、
大きな栗がたくさん落ちている栗の木の向こうに
ストーンサークルがあるが、
サークルと言うほどではない、
大湯環状列石と同じく、列石の周りに櫓が立っている
奥にも、土盛り住居を作っている
博物館内
焼け落ちた住居がガラス張りの床下に保存されている
焼け落ちた住居のおかげで、屋根の上に土が盛ってあったことがわかったらしい
縄文土器、ちょっとアミューズメントパークぽい展示、
石器、
大きな立石が竪穴式住居の立つ原っぱを見渡せる二階の窓辺に置かれている
うつくしい石の神のような
でもセメントみたいので埋め込んである
鼻曲がり土面、
壊れた遮光器土偶、
生命の襞のような縄文土器
この石の響きの刻のような存在には
しびれるように見いる
電車で下北駅へ
前に恐山に来た時は、夜に着いて、
連れが一人でも行くと言うので、
真夜中に2.3時間歩いて恐山に行くはめになったが
今回はバスがちょうどあったので、バスでいく
確かに、夜歩いたほうが、風が轟々鳴り響き、畏れを感じる気配の中
ウソリ湖上にのぼった満月を見た、その刻のうつくしさは
かえがたかったが、二度も歩きたくはないな、と
バスの中でも、青森の民謡が聞けたり、恐山は
アイヌ語のウソリという言葉から来ていると言う話が聞けたり、
おもしろかった、
秋の大祭でイタコがたくさんいたが、
岡本太郎の写真に出てくるような、盲目の凄い存在感のイタコはいなかった
それでも、話を聞いているとおもしろいが、
沖縄の離島のノロのほうが凄いな、
無料の温泉に入る、
前に来た時は、ウソリ湖と山の青がものすごく印象的だったが、
今回は湖面が波立って、そこまで印象的ではなかったが、
それでも、その場で呼び起こされる声というものはあるものだ、
白い丘に鮮やかな赤い葉がうつくしい
その場に至るまでの、入りかたによって、時間や空間との出会い、
その場所に受け入れられるかが決まってくるのだろう
大間岬から、北海道に渡りたいが、恐山から直接のバスがないので、
車に乗せてもらおうと、声をかけると、一人目の人に乗せてもらえた
各地を旅して、修行している裁判官のおじさん夫婦で、
いろいろ話を聞く、
真っ暗な中、大間岬に着く、雨が降りはじめ、
岬の休憩所に降ろしてもらう、
これから、まぐろを食べてから
道の駅で車中泊して名古屋に向かって帰るらしい、
休憩所で、テント泊
朝、雨がパラつく中、
フェリー乗り場へ
大間のまぐろが食べられず、残念
大間−函館、1300円くらい
函館から、アイヌ博物館のある白老まで
電車だと、開館時間に間に合わないので、
フェリー内で出会った、キャンピングカーで旅をしているおじさんに乗せてもらい
一路室蘭へ
高校時代、自転車で東京から北海道まで来て、苫小牧からフェリーで帰ったその道を
キャンピングカーで走る、車窓から見える北海道の神社はかっこわるい
場所に根づいていないからだろう
途中伊達という町で、おじさんが、伊達正宗と関係あるのか、といい
伊達開拓資料館に寄る、
伊達正宗の従兄弟かなんかが、来て開拓したらしい、
続縄文時代の、鯨の骨のスプーンがうつくしい
迎賓館の二階の窓の光の穴がきれい
リスが園内に普通にいる
北黄金貝塚とか他にもおもしろそうな遺跡があったが、
時間がなくて行けなかった、また今度ゆっくりまわりたい
室蘭で遊ぶという、キャンピングカーのおじさんと別れ、
電車で行こうとするが、電車がなく、アイヌ博物館に時間内に辿り着けないので、
またもや国道で車を探すが、なかなか止まってくれない
やっと、原水爆反対運動やってるおじさんが乗せてくれた、
なんとか、時間内に白老に着き、
アイヌ博物館へ、
巨大なアイヌの像が立っていたり
アイヌのチセ(家)がガラス窓だったり、
かなり観光地的なところだった、
イクパスイ(酒篦)やイナウ(木幣)など美しいものがあるが、
どこかはいってこない、照明や展示の問題なのか
それでも日暮れのポロトコタンの湖が本当に聖地のようにうつくしい
湖の上に無人の舟が浮かんでいるか(もしくは立っている)
踊りと語りが始まったが、
客の半分が、韓国の団体さんで、アイヌの話手のおじさんが
韓国語も堪能で、おもしろおかしく話す
唄と踊り、なかなかおもしろい
踊っているのはほとんど若い人だった
アフンルパル(あの世への穴の遺跡)のことなど、いろいろ係の人に聞く、
アイヌの唄や踊りもう生活の中に宿っているものではなく、
保存される対象になっているという、
沖縄の離島では唄や踊りは生活に生きたものとして受け継がれている
どこかにそういうアイヌの息吹きが残っているところに行ってみたい
平取(ビラドリ)、二風谷にはまだトゥシクル(巫女)を名乗る人がいるらしい
ダムに沈んだアイヌの聖地だ
今回は時間がないので行けないが、またゆっくり北海道をまわりたい
日暮れてしまったが、登別まで戻り、
アフンルパルのある場所まで、歩く、
真っ暗な国道を教えられたとおり、探すが、
アイヌ博物館の人も実際行ったことはないと言うので、
正確な位置がつかめず、
ライトはあったが、みつけられない、
螺旋に掘られた漏斗状のおおきな穴で、
道路工事で、4分の1くらいが削られてしまったらしい、
条件が悪すぎ見つけられない、
途中、心配して車が止まってくれて、
アイヌのことに詳しい人に電話して聞いてくれたが、
やはり、道路工事で判別できなくなったらしい、
止まってくれた人は、アイヌの踊りを踊ったりする、二風谷出身の人だった
今回は無理と断念して、駅へ
室蘭駅、回転寿司屋とかスーパーとか、閉店してたので、
飲屋街の焼き鳥屋へ、
おいしい焼き鳥と、ごはんと味噌汁、漬け物や
お客のおじさんもってきた、さつまいもや稲荷寿司ももらう
やっとまともな食事にありついた
アイヌ博物館のことを聞くと、昔はもっと小さなチセで、
アイヌのおばあさんがいたが、段々、チセが大きく増設されて、
観光化されて、おもしろくなくなったという話しをしてくれた
室蘭から函館へフェリー内で一泊
登別のスーパーで買っておいた半額の刺身を食べる
やっぱり新鮮で味が全然ちがう
朝、青森フェリー乗り場から、
歩いて小牧野遺跡へ行こうとしたが、遠くて無理、
バスで、青森駅、そこからバスで、野沢というバス停が最寄りだが、
かなり待つので、手前の高田行のバスの終点から歩くことに、
徒歩一時間くらい、終点で降りたおじさんは、小牧野遺跡の近くに茸採りに来たらしい
途中茸採りに着たらしいおばあさん二人にも会う、
やはり縄文人の住んでいた場所は、茸が採れる豊な場所だったのだろう
小牧野遺跡に着くと、作業員がいて工事中だった、
水で石が流れるから、薬品を混ぜた覆い土をして保存するそうだ、
半分去年おわって、そのさらに半分はブルーシートで覆われて、養生していたが、
とって見てもよいですか、というと、心良くブルーシートをめくって見せてくれた
なんとも不思議なうつくしい色をした石達だ、
なにか力をもった場所だった、ここにいるとなにかがうまれている気がする
ストーンサークルというと平らな面に石が列んでいるイメージだったが、
ここの石の列びは平面的ではない、波立つような立体的な窪みに石が列んでいる
縄文人の空間感覚はこういう立体的な世界だったのだろう、
生命というのは平らなものではない、
立体的なダンスのようなリズム
星の列びというのも立体的な感覚があるのかもしれない
茶色い盛り土によって発見当事より石が見えずらくなってはいるが、
この場が作られた当時の、石と土の対比が明確になるという面もある
端には、盛り土をしておらず、黒い土と草が生えた石の列びも見れた、
どっちが良いのだろうか、
作業をしていたおじいさんが、いろいろおもしろい話を聞かせてくれる
昔、高校の教師が、学生と一緒に、鉄剣を地面に碁盤目状に指して、調査をして発見した
昔は馬の牧草地で周りの林が草地で、馬頭観音の文字を彫った列石の一部だけが露出して
他の石は全て埋まっていて、環状列石のあった場所は、巨木の生えた馬の祭りが行なわれる聖域だった
その場所を調査の為に木を伐り、拓かれ、
周りが林になるという逆転が起こっている、
木がなかった時には、岩木山が見えていた、
この山が見える場所の平地につくられる環状列石という
場所性の共通性が見える
川石を運んで来ているが、直線距離で一番近い場所にちょうどいい大きさの石があるらしい
上流は大きすぎ、下流は小さすぎる
遺跡のすぐ脇の木にスギタケと思われる茸がたくさん生えていた
エネルギ−の豊かさを感じる、
帰りながら、森の中にはいると、ハナイグチと食べられそうな、茸があった
帰りのバスがなかったので、通りかかった車に乗せてもらい
行きのバス停からバスに乗って青森駅
あまりに強行なスケジュールだったが、
東京にむかって帰る
秋田、山形経由で帰るが、米沢くらいで電車がなくなるので、
山形県のかみのやま温泉で降りて、足湯に浸かって、
テント泊、
朝、共同浴場温泉で入浴100円
東京に帰る
イタコに会いに
出発が遅れたので、
途中、いわて沼宮内駅で終電
テント泊、石のつぶての上に寝る
一戸駅、徒歩30分
御所遺跡、竪穴式住居の上に土を盛って草が生えてるやつを見に行く
エントランスから自然木が柱になってトンネル状の長い吊り橋になっている
トンネルから外を眺めると自然木がきれい
橋の下のセリが生えていそうな清流の小川の流れる美しい景色を見下ろしながら
博物館自体も屋根に土と草が生えている
休憩所みたいな小屋も全部、
このこだわりは好きだ
好感が持てる建築の博物館
開館前の朝一なので、先に外を見る
土盛り竪穴式住居、
まさに土蜘蛛の巣だ、
大和朝廷は原住民の一部の穴を掘ってその中に暮す人々を
土蜘蛛と呼んでいたが、そのとおり
遠い時代の風景が蘇って佇んでいるようだ
石で囲われた炉の灰が美しい
住居の耐久のため毎日火を焚いているらしい
でも中のつくりは毒キノコっぽいのが生えていて、
あまり快適ではなさそう
昔と構造がちがうのか、生活していないからなのか、
大きな栗がたくさん落ちている栗の木の向こうに
ストーンサークルがあるが、
サークルと言うほどではない、
大湯環状列石と同じく、列石の周りに櫓が立っている
奥にも、土盛り住居を作っている
博物館内
焼け落ちた住居がガラス張りの床下に保存されている
焼け落ちた住居のおかげで、屋根の上に土が盛ってあったことがわかったらしい
縄文土器、ちょっとアミューズメントパークぽい展示、
石器、
大きな立石が竪穴式住居の立つ原っぱを見渡せる二階の窓辺に置かれている
うつくしい石の神のような
でもセメントみたいので埋め込んである
鼻曲がり土面、
壊れた遮光器土偶、
生命の襞のような縄文土器
この石の響きの刻のような存在には
しびれるように見いる
電車で下北駅へ
前に恐山に来た時は、夜に着いて、
連れが一人でも行くと言うので、
真夜中に2.3時間歩いて恐山に行くはめになったが
今回はバスがちょうどあったので、バスでいく
確かに、夜歩いたほうが、風が轟々鳴り響き、畏れを感じる気配の中
ウソリ湖上にのぼった満月を見た、その刻のうつくしさは
かえがたかったが、二度も歩きたくはないな、と
バスの中でも、青森の民謡が聞けたり、恐山は
アイヌ語のウソリという言葉から来ていると言う話が聞けたり、
おもしろかった、
秋の大祭でイタコがたくさんいたが、
岡本太郎の写真に出てくるような、盲目の凄い存在感のイタコはいなかった
それでも、話を聞いているとおもしろいが、
沖縄の離島のノロのほうが凄いな、
無料の温泉に入る、
前に来た時は、ウソリ湖と山の青がものすごく印象的だったが、
今回は湖面が波立って、そこまで印象的ではなかったが、
それでも、その場で呼び起こされる声というものはあるものだ、
白い丘に鮮やかな赤い葉がうつくしい
その場に至るまでの、入りかたによって、時間や空間との出会い、
その場所に受け入れられるかが決まってくるのだろう
大間岬から、北海道に渡りたいが、恐山から直接のバスがないので、
車に乗せてもらおうと、声をかけると、一人目の人に乗せてもらえた
各地を旅して、修行している裁判官のおじさん夫婦で、
いろいろ話を聞く、
真っ暗な中、大間岬に着く、雨が降りはじめ、
岬の休憩所に降ろしてもらう、
これから、まぐろを食べてから
道の駅で車中泊して名古屋に向かって帰るらしい、
休憩所で、テント泊
朝、雨がパラつく中、
フェリー乗り場へ
大間のまぐろが食べられず、残念
大間−函館、1300円くらい
函館から、アイヌ博物館のある白老まで
電車だと、開館時間に間に合わないので、
フェリー内で出会った、キャンピングカーで旅をしているおじさんに乗せてもらい
一路室蘭へ
高校時代、自転車で東京から北海道まで来て、苫小牧からフェリーで帰ったその道を
キャンピングカーで走る、車窓から見える北海道の神社はかっこわるい
場所に根づいていないからだろう
途中伊達という町で、おじさんが、伊達正宗と関係あるのか、といい
伊達開拓資料館に寄る、
伊達正宗の従兄弟かなんかが、来て開拓したらしい、
続縄文時代の、鯨の骨のスプーンがうつくしい
迎賓館の二階の窓の光の穴がきれい
リスが園内に普通にいる
北黄金貝塚とか他にもおもしろそうな遺跡があったが、
時間がなくて行けなかった、また今度ゆっくりまわりたい
室蘭で遊ぶという、キャンピングカーのおじさんと別れ、
電車で行こうとするが、電車がなく、アイヌ博物館に時間内に辿り着けないので、
またもや国道で車を探すが、なかなか止まってくれない
やっと、原水爆反対運動やってるおじさんが乗せてくれた、
なんとか、時間内に白老に着き、
アイヌ博物館へ、
巨大なアイヌの像が立っていたり
アイヌのチセ(家)がガラス窓だったり、
かなり観光地的なところだった、
イクパスイ(酒篦)やイナウ(木幣)など美しいものがあるが、
どこかはいってこない、照明や展示の問題なのか
それでも日暮れのポロトコタンの湖が本当に聖地のようにうつくしい
湖の上に無人の舟が浮かんでいるか(もしくは立っている)
踊りと語りが始まったが、
客の半分が、韓国の団体さんで、アイヌの話手のおじさんが
韓国語も堪能で、おもしろおかしく話す
唄と踊り、なかなかおもしろい
踊っているのはほとんど若い人だった
アフンルパル(あの世への穴の遺跡)のことなど、いろいろ係の人に聞く、
アイヌの唄や踊りもう生活の中に宿っているものではなく、
保存される対象になっているという、
沖縄の離島では唄や踊りは生活に生きたものとして受け継がれている
どこかにそういうアイヌの息吹きが残っているところに行ってみたい
平取(ビラドリ)、二風谷にはまだトゥシクル(巫女)を名乗る人がいるらしい
ダムに沈んだアイヌの聖地だ
今回は時間がないので行けないが、またゆっくり北海道をまわりたい
日暮れてしまったが、登別まで戻り、
アフンルパルのある場所まで、歩く、
真っ暗な国道を教えられたとおり、探すが、
アイヌ博物館の人も実際行ったことはないと言うので、
正確な位置がつかめず、
ライトはあったが、みつけられない、
螺旋に掘られた漏斗状のおおきな穴で、
道路工事で、4分の1くらいが削られてしまったらしい、
条件が悪すぎ見つけられない、
途中、心配して車が止まってくれて、
アイヌのことに詳しい人に電話して聞いてくれたが、
やはり、道路工事で判別できなくなったらしい、
止まってくれた人は、アイヌの踊りを踊ったりする、二風谷出身の人だった
今回は無理と断念して、駅へ
室蘭駅、回転寿司屋とかスーパーとか、閉店してたので、
飲屋街の焼き鳥屋へ、
おいしい焼き鳥と、ごはんと味噌汁、漬け物や
お客のおじさんもってきた、さつまいもや稲荷寿司ももらう
やっとまともな食事にありついた
アイヌ博物館のことを聞くと、昔はもっと小さなチセで、
アイヌのおばあさんがいたが、段々、チセが大きく増設されて、
観光化されて、おもしろくなくなったという話しをしてくれた
室蘭から函館へフェリー内で一泊
登別のスーパーで買っておいた半額の刺身を食べる
やっぱり新鮮で味が全然ちがう
朝、青森フェリー乗り場から、
歩いて小牧野遺跡へ行こうとしたが、遠くて無理、
バスで、青森駅、そこからバスで、野沢というバス停が最寄りだが、
かなり待つので、手前の高田行のバスの終点から歩くことに、
徒歩一時間くらい、終点で降りたおじさんは、小牧野遺跡の近くに茸採りに来たらしい
途中茸採りに着たらしいおばあさん二人にも会う、
やはり縄文人の住んでいた場所は、茸が採れる豊な場所だったのだろう
小牧野遺跡に着くと、作業員がいて工事中だった、
水で石が流れるから、薬品を混ぜた覆い土をして保存するそうだ、
半分去年おわって、そのさらに半分はブルーシートで覆われて、養生していたが、
とって見てもよいですか、というと、心良くブルーシートをめくって見せてくれた
なんとも不思議なうつくしい色をした石達だ、
なにか力をもった場所だった、ここにいるとなにかがうまれている気がする
ストーンサークルというと平らな面に石が列んでいるイメージだったが、
ここの石の列びは平面的ではない、波立つような立体的な窪みに石が列んでいる
縄文人の空間感覚はこういう立体的な世界だったのだろう、
生命というのは平らなものではない、
立体的なダンスのようなリズム
星の列びというのも立体的な感覚があるのかもしれない
茶色い盛り土によって発見当事より石が見えずらくなってはいるが、
この場が作られた当時の、石と土の対比が明確になるという面もある
端には、盛り土をしておらず、黒い土と草が生えた石の列びも見れた、
どっちが良いのだろうか、
作業をしていたおじいさんが、いろいろおもしろい話を聞かせてくれる
昔、高校の教師が、学生と一緒に、鉄剣を地面に碁盤目状に指して、調査をして発見した
昔は馬の牧草地で周りの林が草地で、馬頭観音の文字を彫った列石の一部だけが露出して
他の石は全て埋まっていて、環状列石のあった場所は、巨木の生えた馬の祭りが行なわれる聖域だった
その場所を調査の為に木を伐り、拓かれ、
周りが林になるという逆転が起こっている、
木がなかった時には、岩木山が見えていた、
この山が見える場所の平地につくられる環状列石という
場所性の共通性が見える
川石を運んで来ているが、直線距離で一番近い場所にちょうどいい大きさの石があるらしい
上流は大きすぎ、下流は小さすぎる
遺跡のすぐ脇の木にスギタケと思われる茸がたくさん生えていた
エネルギ−の豊かさを感じる、
帰りながら、森の中にはいると、ハナイグチと食べられそうな、茸があった
帰りのバスがなかったので、通りかかった車に乗せてもらい
行きのバス停からバスに乗って青森駅
あまりに強行なスケジュールだったが、
東京にむかって帰る
秋田、山形経由で帰るが、米沢くらいで電車がなくなるので、
山形県のかみのやま温泉で降りて、足湯に浸かって、
テント泊、
朝、共同浴場温泉で入浴100円
東京に帰る
2007-09-28 茸採り、噴湯丘
大町病院に祖母が入院して、見舞いに行くと、
病院のロビーのガラスケースの中に縄文土器が展示してある
しかも、よい形の土器だ
こんな土器が大町でつくられたのかと、驚いた
帰りしな、アルプスの山々の景色を眺め、
あの縄文土器の形体感覚はもしかしたら、
山の景色から来ているのかもしれないとふと思う
思えば、縄文土器でもおもしろい形のものは
皆、山深い地域で作られている気がする
山のリズムと実際に山に入った空間性によるものか、
海辺の縄文土器も見てみたい、貝塚系のやつ
海の動きは形体にどのような影響を与えるのか、
それにしても、縄文時代は、山がもっとも豊かだったから、
その古代の豊かさが、こんな場所にも残っているというのは
おもしろい、
だって病院に生のリズムを刻んだ
縄文土器があって、それが空間をつくっていたら、
体にとってこんなに良いことはない
これこそ本当の文化である
その後、祖母は安曇野病院に移り、
そこには縄文土器はなかったが、
すぐ近くに、八幡神社があり、丸石をまつる小祠があって、
狛犬もまぬけでおもしろい顔、
末社の合間に美しい立石があって、
その裏にまわると、石が花壇のように並べてあるのだが
そのうちのニ本が立石で
ちょうど、社が正面から隠す形で、
突っ立ていた、
これこそ、縄文の環状列石の名残りだ、
縄文の聖地を神社が乗っ取って、隠蔽している
この後ろ戸の神、
ニ層構造が日本文化だ
月と太陽の関係、表に立っているのは影で
裏に生命が踊っている、
表層的、平面的な表と
立体的空間的な生命のリズムの性的な裏の構造
ということで、歩いて
国宝仁科神明宮へ、
途中、鬼の釜古墳の標識を見つけ、行ってみると、
塚の上に小屋があって、ドアを開けると、蓋のついた穴、
あれはいったいなんなんだろう、
その傾斜に茸が生えていた、食べられそうなので、
採って行く
奥のほうに古墳、
石窟古墳で中に入れるが入り口の石が破壊されている
神明宮へ、途中道を尋ねた人の良いおじさんに
茸が食べられるか尋ねると、リコボウの仲間でうどんに入れるとうまいと
教えてくれた
神明宮は前に来た時あまり好きではなかったが、
入り口に二つの立石がある、縄文の石かしら、
でもやはり社殿の裏に上がれて、コンクリの堤防が作られている
人の領域にされてしまっている、
国宝の社殿にもプラスチックの雨樋がつけられている
急斜面なので、土砂崩れを防ぐ為とか、社殿を守る為とか、
人の手を入れることで、鎮守の森の静けさが破られている
残念だ
近くの神社、入り口から川に下って裏山を登って
山頂に石段と背の低い石鳥居、なかなかよい佇まいだ
まっくらになって家路につく、
帰って、きのこ汁、父もリコボウだというので
食べるが、なんか味がピリピリするのでヤバいかなと思っていたら、
腹をくだした、味はうまかったけど、
ということで、茸がとれる時期になったので、家の裏の小山に茸採りに入る
たくさん生えているが、クリタケくらいしかわからないので、とりあえず採る
役所で鑑定してくれると、見てもらうと、全部食べられない、もしくはわからないという
役所の人は本を見て鑑定しているので、
茸鑑定士が別にいるというので、その人にみてもらおうと、
去年クリタケ採った裏山に入る、
去年時期が遅かったからか、ほとんど茸がなかった斜面にたくさん茸が生えている、
とりあえす、食べられそうなのを採る、白い茸が株になって沢山はえているのや、
群生している、きれいな茸は食べられそうだった、
南神城の鑑定士のところへ予約して訊ねると、
やはり、白い株はシャカシメジという、おいしい茸で、
群生していたきれいな茸はショウゲンジという茸で、
あとフウセンタケ、チチタケ、ウスムラサキというのが少しだけ食べられて、
残りは駄目だった、
けっこう食べられる茸があったので、茸勉強してるのかと言われる、
でも一番食べられそうだと思った茸は、やはり食べられたから、
直感でけっこういけるもんだな、と、
柄が詰ってる茸が食べられるのが多いと学ぶ、
帰って茸鍋、
シャカシメジだけで沢山あったので、シャカシメジ鍋
うまい
墳湯丘、温泉が沸き出して、成分が巨岩を形成している
天然記念物が高瀬ダムの上流にあるので、そこへゆく
川と湯が混じる天然露天温泉にも入れる
現在はバスがなく、七倉ダムというところまで、車で行って、
そこからは一般車両は進入禁止で、
特定タクシー2000円でいくか
1時間半歩いて、高瀬ダムまで、
そこからさらに2時間半くらい、片道4時間くらいの道のり
父に朝、七倉ダムまで送ってもらうが、
父も行ったことなかったので、一緒に行くことになり、
タクシーを使うことになる、かなり楽になってしまうが、
歩くのは車道なので、歩いてもおもしろくないから、
よかった
2時間半の道、途中までトンネルやダム沿いの道で、工事関係者や車両があって
おもしろくない道だが、山道に入るときもちいい、
道沿いにも茸が生えている、
途中、ハナイグチ(リコボウ)の本物を見つける、
美しい色つや、歓んで採る、
ごろごろした石の川、
山荘が見えてきて、さらに川の上流に、
噴湯丘が見えてきた、
硫黄のにおい
近づくと、おっぱいみたいな形で
もうもうと湯気を上げ、
神みたいな感じ、
おもしろい存在感だ
川岸にあるのだが、川の流れが急で渡る飛び石がみつからないので、間近にはいけない
奥にあるもう一つの噴湯丘を遠目に見て、父に急かされ、
川を渡るのは諦め、昼飯を食う、
川は渡れると、ネットで見てたが、今日は水量が多かったのかもしれない
近くの、川岸の石で囲った天然温泉に入る
熱いお湯が上に、
冷たい水が下に溜まって、
しかも、底の砂利は熱いので、
温度調節が難しい、
あっつかったり、冷たかったりしながら、
湯をかき混ぜながら入る
もう少し戻ったところに、小さな湯舟があって
そっちのほうが適温だったので、入る場所を間違えたらしい
川沿いの道はほとんど登りがなく、帰りも同じくらいかかって帰る、
ヤマブドウを見つけ、すっぱい実を食べながら
ハナイグチの味噌汁、ナメコみたいでうまい
家の庭にヤマグリが沢山落ちるので、拾って栗ご飯、
皮剥いたり、下準備が大変だが
これも甘くて柔らかくてうまい
みなさん、そろそろ、10月になると茸のたくさん採れる時期です
タイミングが合えば、ぜひ長野のほうに遊びに来てください

大町市のページより
病院のロビーのガラスケースの中に縄文土器が展示してある
しかも、よい形の土器だ
こんな土器が大町でつくられたのかと、驚いた
帰りしな、アルプスの山々の景色を眺め、
あの縄文土器の形体感覚はもしかしたら、
山の景色から来ているのかもしれないとふと思う
思えば、縄文土器でもおもしろい形のものは
皆、山深い地域で作られている気がする
山のリズムと実際に山に入った空間性によるものか、
海辺の縄文土器も見てみたい、貝塚系のやつ
海の動きは形体にどのような影響を与えるのか、
それにしても、縄文時代は、山がもっとも豊かだったから、
その古代の豊かさが、こんな場所にも残っているというのは
おもしろい、
だって病院に生のリズムを刻んだ
縄文土器があって、それが空間をつくっていたら、
体にとってこんなに良いことはない
これこそ本当の文化である
その後、祖母は安曇野病院に移り、
そこには縄文土器はなかったが、
すぐ近くに、八幡神社があり、丸石をまつる小祠があって、
狛犬もまぬけでおもしろい顔、
末社の合間に美しい立石があって、
その裏にまわると、石が花壇のように並べてあるのだが
そのうちのニ本が立石で
ちょうど、社が正面から隠す形で、
突っ立ていた、
これこそ、縄文の環状列石の名残りだ、
縄文の聖地を神社が乗っ取って、隠蔽している
この後ろ戸の神、
ニ層構造が日本文化だ
月と太陽の関係、表に立っているのは影で
裏に生命が踊っている、
表層的、平面的な表と
立体的空間的な生命のリズムの性的な裏の構造
ということで、歩いて
国宝仁科神明宮へ、
途中、鬼の釜古墳の標識を見つけ、行ってみると、
塚の上に小屋があって、ドアを開けると、蓋のついた穴、
あれはいったいなんなんだろう、
その傾斜に茸が生えていた、食べられそうなので、
採って行く
奥のほうに古墳、
石窟古墳で中に入れるが入り口の石が破壊されている
神明宮へ、途中道を尋ねた人の良いおじさんに
茸が食べられるか尋ねると、リコボウの仲間でうどんに入れるとうまいと
教えてくれた
神明宮は前に来た時あまり好きではなかったが、
入り口に二つの立石がある、縄文の石かしら、
でもやはり社殿の裏に上がれて、コンクリの堤防が作られている
人の領域にされてしまっている、
国宝の社殿にもプラスチックの雨樋がつけられている
急斜面なので、土砂崩れを防ぐ為とか、社殿を守る為とか、
人の手を入れることで、鎮守の森の静けさが破られている
残念だ
近くの神社、入り口から川に下って裏山を登って
山頂に石段と背の低い石鳥居、なかなかよい佇まいだ
まっくらになって家路につく、
帰って、きのこ汁、父もリコボウだというので
食べるが、なんか味がピリピリするのでヤバいかなと思っていたら、
腹をくだした、味はうまかったけど、
ということで、茸がとれる時期になったので、家の裏の小山に茸採りに入る
たくさん生えているが、クリタケくらいしかわからないので、とりあえず採る
役所で鑑定してくれると、見てもらうと、全部食べられない、もしくはわからないという
役所の人は本を見て鑑定しているので、
茸鑑定士が別にいるというので、その人にみてもらおうと、
去年クリタケ採った裏山に入る、
去年時期が遅かったからか、ほとんど茸がなかった斜面にたくさん茸が生えている、
とりあえす、食べられそうなのを採る、白い茸が株になって沢山はえているのや、
群生している、きれいな茸は食べられそうだった、
南神城の鑑定士のところへ予約して訊ねると、
やはり、白い株はシャカシメジという、おいしい茸で、
群生していたきれいな茸はショウゲンジという茸で、
あとフウセンタケ、チチタケ、ウスムラサキというのが少しだけ食べられて、
残りは駄目だった、
けっこう食べられる茸があったので、茸勉強してるのかと言われる、
でも一番食べられそうだと思った茸は、やはり食べられたから、
直感でけっこういけるもんだな、と、
柄が詰ってる茸が食べられるのが多いと学ぶ、
帰って茸鍋、
シャカシメジだけで沢山あったので、シャカシメジ鍋
うまい
墳湯丘、温泉が沸き出して、成分が巨岩を形成している
天然記念物が高瀬ダムの上流にあるので、そこへゆく
川と湯が混じる天然露天温泉にも入れる
現在はバスがなく、七倉ダムというところまで、車で行って、
そこからは一般車両は進入禁止で、
特定タクシー2000円でいくか
1時間半歩いて、高瀬ダムまで、
そこからさらに2時間半くらい、片道4時間くらいの道のり
父に朝、七倉ダムまで送ってもらうが、
父も行ったことなかったので、一緒に行くことになり、
タクシーを使うことになる、かなり楽になってしまうが、
歩くのは車道なので、歩いてもおもしろくないから、
よかった
2時間半の道、途中までトンネルやダム沿いの道で、工事関係者や車両があって
おもしろくない道だが、山道に入るときもちいい、
道沿いにも茸が生えている、
途中、ハナイグチ(リコボウ)の本物を見つける、
美しい色つや、歓んで採る、
ごろごろした石の川、
山荘が見えてきて、さらに川の上流に、
噴湯丘が見えてきた、
硫黄のにおい
近づくと、おっぱいみたいな形で
もうもうと湯気を上げ、
神みたいな感じ、
おもしろい存在感だ
川岸にあるのだが、川の流れが急で渡る飛び石がみつからないので、間近にはいけない
奥にあるもう一つの噴湯丘を遠目に見て、父に急かされ、
川を渡るのは諦め、昼飯を食う、
川は渡れると、ネットで見てたが、今日は水量が多かったのかもしれない
近くの、川岸の石で囲った天然温泉に入る
熱いお湯が上に、
冷たい水が下に溜まって、
しかも、底の砂利は熱いので、
温度調節が難しい、
あっつかったり、冷たかったりしながら、
湯をかき混ぜながら入る
もう少し戻ったところに、小さな湯舟があって
そっちのほうが適温だったので、入る場所を間違えたらしい
川沿いの道はほとんど登りがなく、帰りも同じくらいかかって帰る、
ヤマブドウを見つけ、すっぱい実を食べながら
ハナイグチの味噌汁、ナメコみたいでうまい
家の庭にヤマグリが沢山落ちるので、拾って栗ご飯、
皮剥いたり、下準備が大変だが
これも甘くて柔らかくてうまい
みなさん、そろそろ、10月になると茸のたくさん採れる時期です
タイミングが合えば、ぜひ長野のほうに遊びに来てください

大町市のページより



