Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2006-12-07 早稲田大学演劇博物館、會津八一記念博物館

    イプセン没後100年記念展
    「日本におけるイプセン受容の歴史」

    2006/11/6(月)-12/17(日)10:00−17:00(火・金は19:00まで)
    ※休館日11/23(木・祝)
    入場無料
    早稲田大学坪内博士記念演劇博物館


    能面がけっこうたくさん見れる
    時間がなくて「イプセン没後100年記念展」は
    あまりよく見れなかったが、なかなか雰囲気のいい博物館だ
    タダだし、ゆっくり見てみたい



    下野谷遺跡展
    −縄文の遺物を中心に−

    2006/11/27(月)-12/16(土)10:00-17:00※休館日:日曜・祝日
    入場無料
    早稲田大学會津八一記念博物館


    縄文遺跡の展示、
    無造作に置かれたような展示だが、
    予想に反しておもしろい縄文土器があった、
    光のあてかたがおもしろいのか、
    土器の色がうつくしい
    抽象化された万物のリズム
    内臓的なヴィジョン

    常設展、
    前にも来たことがあったが、
    ここの常設はタダなのにすばらしい、

    アイヌの服の紋様がおもしろい、
    他の日本文化と異質な内臓的な生のリズム
    縄文土器とつながる、
    踊りがもうすでに踊られているような紋様、
    すべてのものに神が宿っていた時代の

    服にも神が宿ると考えたアイヌの人々の祈り
    線、という抽象化によって
    縄文、アイヌ紋様、水墨の龍の線描のリズム、寺社建築の龍の彫物のリズムと
    日本文化の底流につながるイメージを読みとる
    他にも中国の像とか水墨画など色々ある
    ここはおすすめです


        2006-11-28 取手アートプロジェクト「一人前のいたずら―仕掛けられた取手」

    友人の淺井裕介の作品がおもしろいらしいという話を聞いて、
    アート展みたいなものに今あまり興味がもてないが、最終日に行く

    旧終末処理場は7時までで、他の場所は5時くらいに終わるという情報を知らなかったので、
    旧終末処理場しか見れなかった、ここらへんの告知ももう少しちゃんとしてほしかった


    宮ノ前ふれあい公園

    なんにもない公園、けっこう気持のいい場所だ

    藤本由紀夫

    ワークショップで作られたオランダの有名なデザイナーの赤い椅子が原っぱに
    たくさん置かれている、ここにこれが置いてある必然性をまったく感じ得ない


    旧戸頭終末処理場

    聖火マラソンして竹のたいまつの先の土人形が焼ける作品
    それ自体はけっこうおもしろいが、展示の仕方が棚つくって置きましたって感じが
    すごいださかった、
    パフォーマンスの意味とあった展示方法、
    場があればいいのに

    地中の水槽に映る白っぽい鯉の泳ぐ光をマスク越しに覗く作品
    幻想的な感じ

    淀川テクニック「大王鬼神」

    柵で入れないが、
    河原の土手のような丈の高い草むらをたおしてつくった道に曲がった鉄パイプが何本もささっている
    奥にゴミで出来た大きな像が立っている、
    何本ものまがった鉄の棒と草むらのつくる空間がおもしろい
    鉄の棒の先には野球のグローブなどがついている

    大王鬼神の像をひき倒すイベント、
    イラクのフセイン像をひき倒す映像が祭りに見えたというところから、
    発想されたらしい、
    淀川テクニックの二人がドラム缶の太鼓を叩き、
    最初5人のアーティスト仲間がサクラ的に引っ張り、
    倒れないので、観客も一緒にひき倒す、
    こういう祭り的なものの可能性には非常に興味があるが、
    観客とともに引っ張ると、すぐに倒れてしまったので、
    それほど盛り上がらなかった、
    倒れるように作っていたからだろうが、
    ここらへんの微妙な調節が本物の祭りの伝統的に培われた
    面白みとの違いなんだろう


    奥村昂子

    部屋自体と部屋にあるものがすべてアルミホイルで被われている
    窓もすべて被われているため、
    なにか時間の止まるような内閉性、
    雪原の静寂のようなものか、霧の中にあるようなものか、
    惑いを感じる
    すべてのものが反射質のもので均一化された世界なので、
    物が置かれるということの意味が
    見えてくる非常におもしろい空間だった


    理科室みたいな暗い部屋に奥から照明が照らされ
    沢山の細いチューブの先からポタポタ水が垂れ、揺れている、
    それを受ける穴がある
    ガラス張りのケースの中にもひとつチューブがあって水が垂れている
    そのケースの中に置かれているものの、物の存在感、置かれていることが
    印象的だった
    場自体がもっている力だが、それをとりこんでいる


    最終日のイベント中はエアレーションタンク内に入れないということが事前に
    告知しきれていないので、不満をもった人も多かっただろう
    しかもイベント自体も満員で入れず、途中から舞台が半分しか見えなくてもよければ、
    ということでチケット販売していたのも問題ある

    イベント終了後1時間くらい待てば入れるというが、
    もう他のところは見終わっていたので、
    知人なので見せてくれと頼むと、
    電気が消えていてもよければというので、
    頼んで入れてもらう、

    淺井裕介《Fu-ka drawing》

    薄暗いエアレーションタンク内に
    洞窟画のような静けさの漂う白い線で描かれた植物や動物が浮かび上がり、
    床には壁の汚れを落とした残りカスで描かれた黒い生物が一匹、
    遺跡の静寂のような雰囲気、
    壁の汚れを軍手で落として消して描いた壁画、

    ずっと見ていると、係りの人がもう用事があって戻らないといけないから、
    イベント終了後に見てくれと言うので、しぶしぶ従う、

    tapasai22s.jpg


    イベントで使う電力確保の為に電気を落としているのと
    イベントが見えてしまうから閉鎖ということだった、

    イベント終了後、再び見る
    今度は照明が少し明るすぎる気がした

    でも昼間に自然光で見たらまた印象がちがったのかもしれない




    池田拓馬

    四面ドアだけの三層の塔のような作品、
    外見はおもしろく興味をひくが、中に入るとなにもない
    空っぽ感が出ていればそれはそれでいいと思うが、
    ただの手作り感が見えてしまうのでがっかり

    あと鉄板に張られた写真の作品、

    聴診器をたくさん張りつけたスーツを着て、
    心音をスピーカーで流すパフォーマ−、

    自動でうごく巨大な球体と動物人形とたわむれるきぐるみ着た人、

    など、場にあった作品が幾つもあった

    ヤノベケンジのミッキー武者みたいなのは場にはあっていたが、
    さしてどうってことない


    石塚つばさ

    青白い円状の光が部屋の奥に浮かびあがり
    その中心に煙が吹き出ているように見える、
    紐があって近くに寄れないので、
    どうなってるかわからない
    不思議な感じ、
    作者らしき人がいたので、話を聞くと
    部屋の窪みの空間に隣の部屋からドライアイスの煙をパイプで送って
    そのパイプの部分だけ煙りがあがって見える
    作者の人が近寄って見せてくれたが、
    人が近づくと風で窪みに充満している煙が揺らぐ
    最初はもう少し近くまで寄れたが、
    安全上この距離にしたらしい、
    静寂のようすもいいが、
    人が寄って煙が揺らぐのもおもしろい
    近寄れなくしたのはちょっともったいないけど、
    近づいたらネタがばれるかもしれないから、これでいいのかもしれない




        2006-11-25 ビル・ヴィオラ「はつゆめ」

    森美術館

    映像のインスタレーション(設置)に関する幅と
    映像自体の可能性の幅を見た感じ、

    宗教的でもある、笑いもある

    五天使の映像、印象的な美しい映像だった

    写真のような、まばたきする長スローな映像
    洪水のような放水を浴びる人達
    何層にもなった薄布のスクリーンにうつしだされる夜の森の映像
    スポットの下で頭に直接囁きかけるような音

    火は合成でがっかりだが
    水はうつくしい

    コンピューターで安易に加工するのでなく純粋に映像の力で
    勝負しているようなところは共感できる

    高層ビル上の教会のような

    おもしろかったが
    あの森ビルという場所性には
    まいってしまう

        2006-11-19 サスティナブルアートプロジェクト「言の問え」

    平櫛田中邸

    名前忘れた、
    レンズを覗くと庭の自然のアップや建物の細部が見える作品、
    けっこうおもしろい

    池田嘉人、
    畳の部屋の畳みをモニターの形に切り抜いて、モニターを埋め込み、
    飛行機から撮ったと思われる雲の映像が流れつづける、
    畳の下に流れる雲の映像の浮遊感がなんかおもしろい
    これは好きだった

    保科豊巳、
    薄暗い和室の奥に
    滝の映像をモニターを縦に使い、それを反転させ流している
    まるで、ものすごい早さで、煙りが昇っていくようで、
    魂が昇っているようにも見える、
    反対の壁にはおそらく太陽の白黒反転した映像があり、
    カラスの鳴き声がする、

    カラスの鳴き声がうるさいのと、
    滝の映像の埋め込みの壁のベニヤの加工が雑なことを除けばおもしろかった

    あと他の場所のは印象に残っていない

        2006-11-12 内藤礼「返礼」、佐久島

    弁天サロン庭に張られた二本の紐に小さな木製の洗濯鋏でとめられた、
    うす紫色の細長い半透明な薄い布がニ本、風にゆられている、

    風が見えれば、なにもつくらなくてもいいかもしれない、
    貝紫染めで殺した貝が色として生きはじめることを精霊と、
    昔の人は呼んでいたのではないか、という内藤さんのうつくしく感動的な話しを聞きながら
    眺めていたが、
    本当に精霊の紫のように生きた色として見え始めた
    そこには言霊の力もたしかに働いていたような気がする

    動きはひじょうにうつくしく、不思議な精霊のようだった
    風は止まず、絶えず動きつづける半透明のうす紫色の布の動きをずっと眺めていた

    貝紫染めは、貝を割って、その毒(紫の補色の黄色をしている)をとりだして、海水で洗い上げて紫色に染める

    庭に出て、近づいて見る、二本のうち、奥のほうにある半透明の紫色は、言霊の力には関係なく、本当にうつくしい、生きているような色だった、しかしその布の素材の波打ちかたに、違和感を覚える


    野外作品鑑賞「タマ/アニマ(わたしに息を吹きかけてください)」
    内藤さんと中沢さんとともに島の道を歩く、
    防波堤のある海辺の道に出てしばらくいくと浜辺におりる、
    波打ち際の岩場の上に白い樋がすこしだけ曲がりながら、海へ向かって立っている、

    この時、中沢新一さんと話していたのと、人が多かったので、あまり作品と向き合えなかった、
    一人ずつ樋の水に息を吹き掛けるのだが、
    どうもたくさんの人が見ている中では、やる気にならない、
    これは、だれもいない海辺で、一人でやって来て、吹き掛けるべきものだ、と
    感じた、
    だから皆が帰り始めてから、最後に一人残って、作品と向き合おうとするが、
    係りのおばさんに早く来てください、帰りの舟に間に合わなくなる人がいるので、
    帰るまでが、作品鑑賞なので、もしここであなたが怪我をしたら責任とれないから、と
    言うので、
    しぶしぶ、また一人で来ればいいか、と息を吹き掛けず帰る、












    弁天サロン内、二階の屋根裏のような展示室、階段を登って部屋に入るとまず部屋の真ん中くらいに梁があってその裏側に背の高い総ガラスのケースが置かれていて、
    中に球状の白糸の束、半透明の薄い布でできた小さな枕が見える、
    その背のような場所の置かれかたがおもしろい、
    夕暮れで、蛍光灯がついていて、たぶん図版で見たことがある死者のための枕だと思われるものが、
    暗闇から浮かび上がるように半透明のうつくしい光を放っていた

    低い梁をくぐって表側から見ると、発掘品の土器の欠片や化石とともに糸を結ばれた土の器(舟)、球状の糸の束、貝紫染の紫の点が幾つもついた布が重ねられたもの、半透明の小さな枕が絶妙の位置、そこにあることの位置の確かさを秘めて置かれている

    その後ろの壁側には事務用の灰色の棚の展示ケースがあって
    発掘品の土器の置かれている中、白い布を敷きつめた上に糸を結んだ土の舟がたくさん置いてある仕切りが二箇所ある、そちらの土の舟は沈んでいてあまり見えてこない、

    その壁の裏側にも展示スペースがあるが、電気がついておらず、常設展示品のみだと思われる、
    もうひと部屋の机と椅子が置かれているほうにも、なにも作品は無いようだ、


    次の日の朝、弁天島、八劔神社、寺などを見てまわる、
    松岡徹の作品は古墳ぽいのや、韓国の塚っぽいのがあるが、
    作品のキャラクターの形体が好きになれない、
    作家の汚いもの、エゴですらないものか、

    弁天サロン、
    内藤さん達が、貝紫染めをするのに、貝殻を割って貝の黒い部分をカミソリで裂いて黄色い毒の部分を集める作業を手伝わしてもらう、

    もう一度、自然光で弁天サロン二階の作品を見ると、
    今度は、半透明の枕は落ち着いていて、
    壁側の糸を結んだ土の舟達がたちあがって見えてくる、
    むしろ発掘された土器よりもうつくしいような存在感を放っている土の器の自然光の光と陰、
    こんなにも光りによって違って見えるとは、

    この時、
    自然光は自然につくられたものをうつくしく見せ、
    人工照明というのは、人工物(というより機械工物)をうつくしく見せるのではないかという、
    見方がたちあがる、これはちょっとした発見だった

    もう一度、一人で野外作品「タマ/アニマ(わたしに息を吹きかけてください)」を見に行く、

    一人、海辺の波打ち際に立つ白い樋を眺め、
    打ち寄せる波の音と波の動きを視界にいれながら、海に向かって、
    白い樋に入った水に息を吹きかけると、
    その水の震えは、精霊がひかえめにダンスを踊るようにうつくしい振動をおこした

    波の激しい力と樋の上の小さな水の震え、そのイメージはあまりにすばらしい
    ただ、この精霊のようにうつくしい水をいれる器が、
    白い焼き付け塗装のステンレス製であることが、
    京都の美術館内での展示の樋の作品の時は気にならなかったが、
    この海のことを知らない形体と素材は、
    海のテリトリーにおいて、精霊の器としてがっかり感は否めなかった
    美術館という家のテリトリーにおいて、ステンレス、鉄は主張しない普通のものとして存在するが、
    海という自然と自然光のテリトリーにおいて、それは逆に主張が強すぎるのではないか、
    これをたとえば、木か石か、それとも、この場所を知っている、海を知っている内藤さん自身がステンレスでも手をつかって形体をつくったならば、非常に深い感動を憶えただろうと思う、
    内藤礼さんは、そういう意味では都市の巫女なのだ、
    それは弁天サロンの庭に吊り下げられたリボンにも言える、貝紫染めの精霊の紫はあまりにうつくしいのだが、その寄り代としての、市販のリボンはやはり形体として、機械製品の単調さを伝えてしまう、そしてそれが自然光のなかではあらわになってしまう、

    それは都市においては自然なことであっても、佐久島という場においては、不自然なものとして、
    佐久島にあるべきものとして見えてことない、

    内藤さんのいう、普通のなんでもないものが、神聖なものに変わる瞬間が見たいというのも、わかるけど、やはり内藤さんが手で織った布が貝紫染めで染められたものが、究極的にはうつくしいだろうということを想うと、それを見たいと想ってしまうのである
    特に野外という自然のテリトリーにおいては、

    そのことを内藤さんに感想として告げると、
    機械工物には生命の振動のようなものが宿らないのではないか、という僕の意見に、
    ほんとにそうですか、という問をお返しに投げかけられた、
    これは僕にとってもひじょうに問題であるところである、





    平田五郎さんの「大葉邸」の鍵を借り、見に行く、
    漆喰でできた白い部屋、平田五郎さんのゼミの時、佐久島のパンフレットを見せてもらって、
    行きたいと思っていたところで、平田五郎さんは好きな作家だ

    石の庭に入ったスリットの水路、
    庭側から白い部屋がアクリルボード越しに見える、
    鍵を開けて屋内にはいると中は暗く、
    奥にいくと、窓からの柔らかな色の光が見える
    さらに奥へ行くと、白い漆喰の部屋がアクリルボード越しに見える、
    竈の部分にもガラスの作品が置いてあるようだが、暗くて見えない、
    電気が切れているようだ、
    帰ってから、係りの人に聞くが、切れてるみたいですね、と迅速な対応がまるでない、
    あきらかに、管理者に問題があると思われる、
    直島の内藤さんの「きんざ」が島の人に護られていっているのと対照的な、
    「大葉邸」であった、出来た当事は美しかっただろうが、
    うちすてられた感があった、やはりアクリルボード越しではつまらないし、
    作品が暗くて見えないというのもひどい状態だ


    島の神社や寺を巡る、

    山の神塚古墳、向かいの森は沖縄の森に近い神聖な静けさを保っていた、
    柵がついて中にははいれない、

    島を縦に横断するような道は、地図には書いてあるが、草が生い茂っている、
    しかし古墳や神社を探して、掻き分け進む、
    人があまり来ない森の小道には、静けさと揺らめく木漏れ日のうつくしい域がある、
    草の実をいっぱい張りつけながら、島を歩く、

    神社を探して、みかんの果樹園にいたおじいさんに道を尋ねる、
    高い石垣に囲われた神社を見て、戻ってくると、おじいさんがみかんでも食べてけ、と
    3つばかりうまそうなの選んで、くれる、
    無農薬だから形は悪いけど、と
    水を忘れて、ちょうど喉が渇いていたので、
    すっごい甘くてうまかった、ありがとうございますと言って、
    また来てな、とおじいさん、こういうのはすごくうれしい

    他のアート作品はほとんどつまらなかった、カモメの看板がいっぱい立ってるのとか、
    浜辺の昼寝用のボックスとか
















    しかし、内藤さんの弁天サロンの庭の作品は、
    朝、係りの人が紐に吊り、夜にはしまう、
    まるで洗濯する人のように、
    おそらく、直島における体験
    島の人に作品をゆだね、
    護っていってもらうという体験から生まれた
    感覚からめばえていっているものだろうけど、
    その人々の生活にとけいって、
    うごいていく動作にまで
    作品というものが入っていっているというのは
    すごいことだとあらためて思う





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