Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2007-07-01 「苔庵-うつぼ舟」

    IMGA1166a.jpg


    「苔庵-うつぼ舟」

    苔、石、土、麻布、木材、網、ビニール、ピートモス、シーリング剤
    直径180cm、高さ250cm

    (護国院大黒天-上野、2007年)





    以下は護国院で知り合った
    プロのカメラマンの方に撮ってもらったものです

    記録という意味での写真は撮っていたが、
    写真家が撮ると、写真でしか見れない画が生まれる
    それには驚いた

    DSC_1113.jpg


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    撮影 K.Nanba





    以下は長野で撮影した写真

    koke.jpg


    IMGA1143a.jpg


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    IMGA1147a.jpg


    IMGA1148a.jpg


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    コメント

    気持ちよかったなぁ

    もう、あそこにはないんだね……気持ちよかったなぁ。
    いい写真だね。あそこにいた時間がよみがえる。

    常設で都市にああゆう場所をつくりたいですね

    カメラマンで坊さんでラーメン屋さんというすばらしい方に出会えた、護国院という場のおかげです

    先日、國學院の神道資料館に行ったんですが
    渋谷駅すぐ近くに金王八幡宮という
    しずかな神社があって、木のうろに石が立っていたり
    木の根元に丸い石が立っていたり
    なかなか雰囲気があって、さすが國學院の近くだと
    その木々のつくる暗がりのようなものをくぐりぬけ、
    國學院のすぐ傍にも氷川神社があって、そこに入っていく時の森の暗がりに導かれるような感覚は
    森に暮した記憶のもつ安心感のようなものなのか、渋谷にこんなところがあるとは、と驚いていました

    修復する力

    東中野にもちいさな氷川神社がある。
    こんもりした木が見えたから、そっちに歩いたら神社だった。
    多くの神社が周囲の森を失って原初の姿でないのが悲しい。土地を所有してなかったのだろうけど、
    それでも最近まで周囲に森があったのは、地域のひとたちがそれらが神社に属してることを知っていたからだろう。
    その気持ちが保てなくなったことこそ問題にすべきで、景観や田園が失われていくのは表層にすぎない気がする。
    うつぼ舟には人を修復する力がある。
    信仰の対象がなんであれ、神社の森が人々に与えていたもの、人々が神社の森に求めていたものの、もっともちいさな単位が形成されている。
    ぼくは作品を超えた存在として強く支持する。これはもっと多くの人に知られて、認められるべきものだと信じる。

    高円寺と中野の間の高架脇の道の99円ショップの近くに
    高架線路を背にした小さな社がある、そこは低い鳥居と樹木と社の生み出す
    聖域のような場所だ、
    その重層的な包まれる間の空間

    國學院の二つの神社は参道である
    その至る道(産道)の暗がり

    ミキシゲオが大地の内臓と称した森の
    持つ暗がりにこそ人は安らぎを得る

    それも植林された森ではなく
    自然のリズムの落とす木漏れ日で、
    苔も良く育つ

    そうですね、住んでいる地域というのは
    そのまま自己の拡張された世界であって
    その風景を失うということは、そのまま精神を失うということですよね

    こんもりとした木々が見えると
    ふとそっちに足が向く

    神社や森には開くという印のような
    隙間があって、自然と人はそちらに流れていく

    神社の森

    繁りかたというか、木々のこんもりした感じが、庭木のそれとはちがってるよね。
    比較的に大きな庭園でも神社とはようすがちがってる。なにか文法のようなものがあるのかなぁ。
    神社の森の様式というのは聞いたことがないよね。

    小さな石祠では、明らかに樹を囲むように植えて、
    域をつくってますね、

    庭園はやはり樹を手入れしてしまうからでは、

    神社の木々は兎に角高く、風が吹くと頭上から
    木の葉と梢の鳴る音が、響いてくることですね
    あの神聖な音楽を生み出す場がすごく好きです
    頭上からの声というのはなにか特殊な感覚を
    揺さぶります

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