Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2007-04-11 高野山、天理、奈良、京都、仁徳天皇陵

    18切符が8000円ということで、
    旅に出る、
    ムーンライトながらが、豊橋まで全席指定になるという
    改悪により、指定席とれず、夜行は断念、
    朝4時くらいから始発で西へ、

    高野山の麓の駅についても、
    今日はもう見れないので、どっか寄ってこうと、
    奈良まで来て、天理に行くことにする、
    天理教会の神殿は中央の天井が吹き抜けで、
    光と雨が降って、
    信者が床を磨いている、
    神聖な感じがしたという話しを聞いていたので、
    行ってみたかった

    天理の町は天理教と書かれたはっぴを着た人ばかり、
    若い人もみんな、
    町ぐるみでやれば、気恥ずかしいことも普通になるという気配
    途中、寺社建築の屋根の巨大な集合住宅や学校、病院がある
    和風のまま近代化したみたいな町の風景はおもしろい

    天理教会の神殿は巨大で、四方から入って、
    中央でお祈りの手振りとともにうたをうたっている
    「かんろだい」という柱が中央にあって、
    そこが吹き抜けの聖域になっている

    この中心が空に開いて、光と雨が柱に降り注ぐイメージは
    僕の中にもずっとあったイメージ
    なにか自然なイメージなんだろうか

    しかしこの同じ手唄を唄いながら祈る人達のつくる共同体には
    ちょっとまいってしまう、

    若い人達もすべからく、祈りの唄を唄い
    そこにはうつくしいなにかは流れているのだが
    24時間年中無休で開かれた神殿に祈りの唄が響く空間や
    町の風景とか在り方もおもしろいのだが、
    なにか違うと感じる、

    もっと自然ななにか、
    この神殿の集約のしかたが人間中心だからか、
    樹木も庭に生えているが、建物が主で、樹木を植えた印象がある

    神殿も上部はかっこいいが、下部がいまいち
    しかし中心の吹き抜けの柱のイメージを誰が考えたものかには興味がある

    近くの、厳島神社の末社が美しい
    鈍色の苔の生えた曲線の屋根と樹木が響きあう
    うつくしい空間、
    うん、息がつけるような気分

    日本は屋根の文化で西洋は壁の文化だと言うのを思い出す


    石上神宮、日が暮れて
    門が閉まっていたので、隙間から見る

    鏡池に馬魚(ワタカ)という魚がいるらしいが暗くて見えなかった

    小さな社は見れる
    出雲の高倉式の社との共通点
    あそこまで高くはないが、

    奈良も中心部でない田舎はおもしろいんだな、と

    昼飯食えず歩いていたので、
    天理教の食堂で食べられないかと、尋ねるが、
    もう閉まってると、昼間なら250円で定食が食べられるらしい

    こんど来たら是非食べたい

    若者が集まって神殿のある広場で騒いでいる
    祭りがあるらしい、

    こんな風に宗教を中心に娯楽が展開しているなら
    確かに神社がレジャーであるような世界観だな、

    商店街はほとんど全部閉まっている
    途中路地入ったところに
    餃子の大阪王将があったので
    そこで餃子定食550円を食べる

    餃子の王将(東京にもあるやつ)はそんなにうまくないけれど
    大阪王将の餃子は、すごくうまかった
    食い倒れ大阪を冠するだけはある

    橋本駅
    古墳のある丘の上の公園でテント泊

    朝高野山に向けて電車で極楽橋駅
    ケーブルカーで高野山駅まで行けるが、
    歩いて登る

    路が整備されすぎてあまりおもしろくないが、
    1時間歩く

    女人堂、昔は女人禁制だったから、ここまでしか女の人は来れなかった
    高野山
    徳川家霊台、共通拝観券を買う
    寺巡り、

    金剛峯寺
    弘法大師、空海さん、真言宗の本山
    屋根に梯子が架かっている
    枯れ山水の庭などいろいろあるが、
    思ってたのとちょっと違う、
    雪のある時に行ったこともあるけど、
    永平寺のほうが、修行僧がいたり立ち入り禁止の場所があったり
    凛とした空気が張り詰めていた気がする

    真ん前が駐車場で、観光地っぽい

    高野山は寺がたくさんあってそっちのほうに僧が住んでいて、
    泊まらないと中には入れない所が多いので、
    その中にそういうものがあるのかもしれない

    霊宝館、こっちも永平寺のほうがカッコよかったな、
    でもネットで見ると、いいもの持っていそうだが、常設してない
    風信帳を国立博物館でこの前見た、
    そのコピーしかない
    空海の自筆の書が無いのは、いただけない、
    所蔵はしている

    寺巡り、

    根本大塔、
    とにかくでかい
    再建されている

    壇上伽藍
    ここにあるものはうつくしい建物
    お堂に彫られた波がうつくしい

    大門、入り口の門大きいが
    なんか塗られている

    大師教会、共通券に儀式の参加も含まれていたので、参加する
    暗闇で坊さんの話を聞くのだが、締まりのない声の話だった

    奥の院目指して歩く
    寺巡り、

    金剛三昧院、多宝塔

    ビルマの寺、
    暗闇の中を手すりを頼りに歩くのはおもしろい

    日が暮れ始め、
    やっと奥の院入り口の森に辿り着く

    参道は墓が沢山
    静かな場所だ、
    日が沈む前に奥の院に着きたいので、
    急いでいく

    奥の院についた時はもう
    ほとんど日が沈む寸前だった

    空海の眠る森には
    不思議な声で鳴く鳥がいた

    なんだか、密教と高野山のイメージは山伏とかそういうの
    思っていたが、もっと仏教ぽかった、寺町と墓がしっかりと結びついて
    機能している、権力とも結びついて、

    バス停まで戻って、
    女人高野の慈尊院を通って歩いて帰ろうと思っていたが、
    日が暮れたので、途中の上古沢駅まで行って泊まって
    朝から歩くことにする

    バス、ケーブルカー、電車、上古沢駅
    谷向うのドライブインまで行って電話を使い、
    そこの屋根の下でテント泊

    朝、雨だったが、あがりそうだったので、
    雨具で歩きだす、

    途中から町石道という世界遺産になっている道
    仏教っぽい石塔が並んでいる

    丹生都比売神社
    大きな丸橋、池に渡れない小さな社
    意外に大きな社

    ここで道を間違う、本当は来た道を戻って行かないといけなかった
    だいぶ歩いてから、苺農家の人に道を尋ね、戻る

    食べ物を買う場所が全然ない、
    食糧が尽きて来た所で、蜜柑の果樹園
    無人販売所、100円、
    時期はずれだからか、そんなにうまくはないが
    ありがたい

    慈尊院、女人高野、
    3時間以上歩いてきたわりに
    駅から20分ということもあり、あっさり入り口な感じの寺

    食堂探しながら、駅へ
    柿の葉すし専門店、九和楽
    おじさんが鼻歌歌いながら作っているのが聞こえてきたので
    食べる、すごいうまい
    九度山駅

    南海鉄道で大阪
    三国ヶ丘駅

    仁徳天皇陵、最大の前方後円墳、
    掘りと木しか見えない、とりあえず
    正面に向かって歩く、途中小さな古墳があって楽しい

    正面から、二重の堀の向うに見える森の生えかたが
    ぎっしりとしてうつくしい、人の領域ではない森のうつくしさにみとれる
    都会にこれだけ広大な森があるのはすごい

    ほかの前方後円墳も見たいので
    大仙公園内の古墳を見て
    履中天皇陵を見る

    こんなに古墳がたくさんあるんだな近畿は
    韓国の慶州みたいに、
    東京はほんと歴史的なものが残っていないな
    だからこそむちゃくちゃに開発が進んだんだろうけど

    上野芝駅で外はカリッと中はトロっとしたタコヤキを食べる
    且つ、百舌鳥駅で中華定食食べる、歩いているとよく食べる

    京都の友人の家に泊めてもらおうと思っていたけど、
    無理になったので、奈良の古墳に行くことにする

    巻向駅、古墳のある原っぱでテント泊

    卑弥呼の墓との噂のある
    箸墓、

    周辺の古墳から
    箸墓を眺めた時、妖しい二つの尖った山が見える
    どうにもドキッとする景色だ

    その山は、
    どうやら二上山らしい

    他の二つの前方後円墳のプラットホームのような方墳の部分が
    まっすぐ二上山に向かって造られている

    桧原神社、神域に樹が植えてある
    このねじり縄鳥居の中心にも二上山が据えられている

    他の山並はなだらかなのに、二上山だけ急に角っとしている
    この異様さは人工的なものではないか、

    二上山はこの前登って、
    単なるハイキングの山になっていたが、
    あれだけ人の領域になってしまう山というのは、
    あれが人工的にピラミッド型に造られた山だからではないか、
    古墳を造っちゃう人達だから
    丸い山を一方向から見ると三角形になるように
    造成することは可能なのではないか、

    その地域から見ないと三角には見えないのだが、
    あそこらへんは妖しすぎる

    二上山の合間に日が沈むらしいし、
    変な景色の山の見える場所に古墳を造ったとも考えられるが、
    あれだけ正確な三角が自然にできるとは考えられない
    周りの景色と比べて不自然すぎる

    自然道を歩いて天皇陵へ
    途中、餅やらミカンやら無人販売所がある
    歩く為の道にはこういうのあったり、楽しい
    土の道を歩くのも、

    相撲神社、
    相撲発祥の地、四本の木の間に土俵が造られている
    こういう相撲はたのしそうだ、
    能もそうだけど、舞台は本来は野外に木とともにあった

    景行天皇陵、
    昼飯に苺直売で100円の苺を買って食パンと食べる
    ピクニック、

    祟神天皇陵、

    黒塚古墳、付属の博物館は閉館していた
    造成されてきれいにされた古墳、卑弥呼の銅鏡が見つかったらしい
    竪穴式石窟

    柳本駅、三輪駅
    駅前で鯖寿司を買って
    大神神社に寄っていく
    参道の並木に一歩足を踏み入れると、
    空気ががらっと変わる
    気温がぐっと下がって
    空気が深としている
    鯖寿司を食べていると、たぬきが水飲みに来た

    またもや天理に寄っての大阪王将で餃子とラーメンを食べる
    餃子を焼く人が昨日と違ったので、そこまでうまくはなかった

    京都、
    温泉に入りたかったので、
    竹田駅に行くが雨が降ってくる
    温泉に行くと、スーパー温泉だった、残念だが入る
    かなり都会で、寝る場所に困る
    天皇陵があるのでそのへんに行く
    寺があったが人目につく場所しかみつからない
    結局そこのお堂の裏にテント泊
    2、3時間しか寝れなかった
    朝坊さんに見つかり、叱られる
    心のせまい坊主だ

    朝、天皇陵を見る
    天皇陵なのに仏塔が立っている、
    気味が悪い、

    花園駅、三鳥居神社(蚕の社)に行く
    気持ちのいい空間、
    三鳥居と中心の積み石の造るうつくしい空間
    落ち葉が水面のようだ

    対馬の和多都美神社の磯良の石と三鳥居と同じ形式だ
    墨田区にも三囲神社という、三鳥居があるらしい、
    三井家や秦氏とのつながりがあるらしい、
    三鳥居は水とつながる

    本当は湧き水が湧き出ていたらしいが枯れてしまったらしい、

    法金剛院裏の天皇陵、

    双が丘古墳、埋めもどされた石窟がある

    眠くて疲れたので、
    友人の家に遊びに行く

    ヨガをやっている人達と共同で暮らしている
    話をしている内に、ヨガの先生を紹介してくれることに、
    電話でアポとってもらって、明日の夕方に会うことに

    愛宕山に登る為、バスで清滝へ
    バス停でテント泊

    苔むした石柱があまりにうつくしい
    苔むした山道は静かで
    美しい路だ

    愛宕神社、愛宕社の総社
    増設、再建された、仏教建築的丸屋根と
    全体が覆われている
    神社なのに閉ざされている
    おもしろくない

    看板にも気持ちの良く無いことが書かれている

    月輪寺経由で帰る道があるので、そっちから下る
    山頂付近、巨石がごろごろしている
    ドルメン型の石があったが、偶然割れて重なったのだろう

    月輪寺
    開け放たれたお堂は気持ちいい
    檀家が無く、車道も無い為
    老朽化したお堂の修復ができないらしい

    宝物館があったので
    声をかけてみせてもらう
    拝観料500円
    尼さんが出て来て案内してくれる
    テレビの音が聞こえた

    平安時代の仏像
    水をつかさどる龍王立像、柔らかな姿体がうつくしい
    仏を捉えているような気がした

    清水寺の秘仏と同じものらしい像があったが、
    形式的でつまらない像だった
    この像を見にきたのかと尼さんに聞かれたが、
    偶然だった

    中国の仏像とインドの仏像を模した平安時代の像
    おもしろい

    空也上人像
    六波羅密寺にある口からひょろろと仏がでてる像と対になる像

    九条兼実像

    「月かげの いたらぬ里は なけれども
    ながむる人の 心にぞすむ」

    と尼さんが唄を唄ってくれた
    なかなかいい感じだった

    ライトを消して、自然光で見るとうつくしい
    仏像は自然光か和蝋燭で見るから、
    下からの光で見るように造られていると言っていた

    でも、この宝物館も上からのライトだった、
    仏像は別の伽藍に納められていたが、倒壊してしまったので、
    一時博物館に預けられていたらしい、

    それを宝物館を建てて、返してもらったと言っていた
    確かにガラス越しでなく近くから見れるけど、
    やはり場が仏像に合っていない

    こういう建築をまかせてもらえれば、良い空間造れるのにな、と思う

    尼さんはお母さんと二人暮らしで、
    ガスも水道も来て無いから、雨水を使って、
    宅急便も来ない、
    冬はアイゼンをつけて山を降りて買い物に行くらしい

    京都駅から1、2時間くらいのところなのに
    すごい生活してるな

    畑とかもやってたけど、鹿に食べられるから止めたらしい

    山を降りる
    空也の滝

    崖の岩に木の根が巻ついて
    かっこいい滝だが、
    ださい仏像がつくられていて
    線香くさい場所だ
    生卵がパックに入ったまま二つ置いてある
    なにか儀式に使うのか、

    まあとりあえず滝にうたれる
    水は冷たいけれど、もう春なので
    滝にうたれたら、水がきれいなのか
    すごく気持ちが良く、身体の疲れが吹き飛んで
    下山する

    京都駅に戻って、
    東寺の宮本武蔵の障壁画見に行く、
    なんか見たことあるような気もしてくるが、
    照明が明るすぎて、見にくい、
    石庭もださいし、センスの悪い寺だ
    中国の仏像は顔がリアルで、
    この人モデルいるよな、こんな人いるな、と
    おもしろかったけど

    南禅寺に行く
    水道橋があった、見たいと思っていた場所だった
    たぶん初めて来たのだろう、
    日が暮れていたので、中には入れないけど、
    散歩道があって楽しい、裏山みたいなの、途中までしか行けなかった


    友人の悟りを開いたヨガの先生に会いに行く

    京都の町家、二階に上がると、
    なにか特別な部屋といった感じの
    窓が無いニ段になった部屋、

    隣の部屋に荷物を置いて
    ヨガの師匠の来るのを待つ

    長髪、長い髭のおじさんがにこにこしながらやって来た
    段の下から話を聞くのかと思って、宗教っぽいとちょっと警戒したが、
    同じ段に上がって、座をつくって話しはじめる

    昨日友人の家で
    前にネットでちらっと見たのだが、釈迦は輪廻転生を認めてなくって、
    後世の仏教が人心を操るために輪廻転生を持ち出したというのを見て、
    納得できるという話をしたのだが、
    ブッタ(釈迦)は輪廻転生を受け入れていたらしいと、
    逆に仏教徒のほうが輪廻転生を忘れて、無に行ってしまったという話を聞いたので、
    そこらへんから話しはじめる

    やはり輪廻転生と前世はあるという考えだ、

    悟りを開いたという人の意見を聞くべく、色々聞いたが、
    前世について聞いても、前世は、自分自身だったとか
    なかなか筋が通っている、
    澱みなく世界の在り方を答える

    アートマン(意識)真の姿と一つになることが悟りであり、
    カルマ(業)、欲望から自由になることであると、

    一休さんの境のない世界の悟りに共感を感じていたが
    それは何段階かある悟りの一部だという、
    世界が一つであることの気づきが悟りであるという認識だったが、

    インド的悟りにおいては、物質的世界とはまったく違う
    アートマン(本性)に気づくことであり、
    宇宙のはじまりのリズムともまったく関係ない
    すべてのものの本性である、アートマンと現世のすべてのものは無知(自分の本性を忘れること)によって切り離され、
    カルマが生まれ、
    石や木や、虫や動物もカルマによって、アートマン-悟りとはまったく違うものであるという、

    僕はカルマなんてのは人間においてはわかるけど、
    石や木や動物はあるがまま、悟ってると思っていて、
    人間だけが神をつくった時点で、
    自分と神を分けてしまったと思っていたが、

    悟りというのを、精神の運動とするならば、確かに虫や木や動物は悟りはしないだろう
    でも、そのままが仏であり、悟ってるとする仏教のほうが、しっくりくる

    自分の身体なんて、食べ物によって流転している借り物なんだから、
    死んだら、土に帰って、木になったり、虫になったり、そういうのが
    輪廻転生だと思っているが、それは物質的世界の話でしょ、と

    物質世界とは違うアートマンと一つにならない限り、
    輪廻転生し続けると、
    僕は死んだ後のことは死んだ後考えればいいと思ってるから、
    どうでもいいんだけど

    どうやら、そういう死後や前世、未経験のものを語れるのは、
    瞑想によって、一つのものに集中しつづけると、それを知ることができるという
    考えに基づいているようだ

    インド仏教、哲学、西洋の宗教、哲学、大陸のものは
    形而上的すぎる、理論的、人間中心的すぎる気がする
    なんで、インドなんだろ、ヨガなんだろ

    物質的なものはすべからくカルマを持っていて、石や木はカルマが眠った状態になっていて、
    虫や動物は悟れないから、人間になって悟るという、人間中心的感覚、
    たしかに人間になることで、神なんてものをつくりだしてる、その流れにはなにかを読みとることができるが、

    僕には人間だけがカルマ(業)をもってて、
    虫や動物、植物は(無意識-自己意識、我がない-神と自己を分けない、故に)あるがままうつくしい

    喰って喰われて、産んで産まれて、それはあるがままでいい、
    良い、悪いという言葉が、人間的過ぎるし、感傷的すぎると思う、

    僕は本能的無意識と意識との統一こそが悟りであり、悟りつづけることに興味があるのだが、

    アートマン-本性は殺生を好まないから、ベジタリアンで、なるべく殺生しない
    植物は一部を奪って、生命は奪わないというが、
    それは偽善に聞こえてしまう

    もっと世界の本性は無属性であるがままだと思う

    ただあるがままでいい、

    それを人間のみが持ち合わせる感情を本性として
    世界とは違うものとつながって生きる-悟りは、僕には興味がない

    ただ小学生の時に悟ったという、その人の生き方はすばらしいのだろう
    いい人だと思うし、
    慕って集まってくる弟子も沢山いるし、
    死者、即身成仏として、無欲に生きるのも一つの生き方としてはいいと思う


    ただ石や木が無知(自分の本性を忘れる)ゆえに、カルマの眠ったままの状態でも、
    カルマを持っているというのは、
    どうやら受け入れがたい、それらは本性そのものではないか

    すべてのものは、カルマを無くし、悟りに到ることで、
    輪廻から解き放たれ消滅するという、
    アートマンから神の遊びによって生まれた世界が、また一つのアートマンに戻るという繰り返し、
    無から有が生まれるという始りは、存在しないという、
    始りが説明できない

    その世界をすべからく論理的に説明しようとすることで生まれてきた
    カルマと言う考えはちょっと無理がある気がする

    悟りに到ると、この物質的世界が夢のように感じるという
    僕はこの夢であるという世界が好きだ

    あまりにもうつくしいし、あまりにも残虐なこの世界と
    一つになって、この世界を引きずって、
    生きたい

    この世界とまったく別次元のものとつながって悟って生きるのを僕は好まない
    この世界が僕だ

    でも静かな特殊な空間をつくって、
    そこで人と語るという体験、
    ああゆう生き方をしている人が実際にいるということを知ることできたことは
    とてもおもしろい体験をすることができたと思う、
    友人には色々世話になったし、とても感謝してる

    実際ヨガには興味がある、
    肉体と向き合うことで、肉体が答えてくれることの
    実感、体験のほうが多くを語るだろう、
    むしろそういう体験的な話しをすればよかったのかもしれない、
    そっちのほうがおもしろい、
    でも悟りと言う言葉に食いついてしまったんだな

    その後、友人の家に泊めてもらう、
    ヨガをやって共同生活してる隣人の方に
    ベジタリアンご飯をたべさせてもらう

    翌朝、京都国立博物館に行く
    伝雪舟の絵、縄文土器、など見る

    八つ橋買って、
    東京に帰る

    修学旅行で食べた八つ橋はうまかったが、
    各地で、生きた食べ物を食べてしまった後では、
    駅に売ってる八つ橋は色褪せた味だ
    どっかの名店のはうまいかもしれないが、



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    コメント

    続き楽しみにしてま~す。

    二上山は実家の近くです、すぎちゃんにはそう見えたんや。面白い!

    二上山登りに行った時は
    そんなこと全然思わなかったんだけど、
    箸墓の辺から見たときはびっくりした
    角度が変わると、普通の山なんだけど、
    あそこらへんはすごい場所だね

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