2006-10-30 フラニーとゾーイー
J.D.サリンジャー(野崎孝訳)
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳)を読んで、
共感と感動のあまり、暴雨の過ぎ去った後の青天のような気持で、
この本を読み始めたが、
翻訳のリズムの違いからか読めなかった
それから三年が過ぎ、
本を読まない日々がしばらく続いていて、
本に対する渇きを抱えたまま、
この本を手にとっていた
最初はアメリカ的な小説だなと思っていると、
よろっ、よろっと重心が移り変わっていって、
いつのまにかその圧倒的な世界に引込まれていく
作者も言っているけど、
これは愛の物語だ
これを理解できない人は、
心が腐っているんじゃないか、
サリンジャーは最高の作家の一人だ、
愛と言う言葉を発話できないでいる僕に
もしかしたら、それは吹き込まれたのかもしれない
最後になって
太っちょのオバサマのことを知っていたような気がする、
小さい頃に読んだことがあるのか、記憶はないけど
太っちょのオバサマのこと、ぼくは知っていた
(ただ訳に適切でないような気がする場所があるのと、
イエスが『空の鳥を見よ』『捲かず、刈らず、倉に収めず。しかるに汝の天の父はこれを養いたもう』『汝らこれよりも遥かに優るる者ならずや』と言っている部分だけは、どうも理解できない)
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳)を読んで、
共感と感動のあまり、暴雨の過ぎ去った後の青天のような気持で、
この本を読み始めたが、
翻訳のリズムの違いからか読めなかった
それから三年が過ぎ、
本を読まない日々がしばらく続いていて、
本に対する渇きを抱えたまま、
この本を手にとっていた
最初はアメリカ的な小説だなと思っていると、
よろっ、よろっと重心が移り変わっていって、
いつのまにかその圧倒的な世界に引込まれていく
作者も言っているけど、
これは愛の物語だ
これを理解できない人は、
心が腐っているんじゃないか、
サリンジャーは最高の作家の一人だ、
愛と言う言葉を発話できないでいる僕に
もしかしたら、それは吹き込まれたのかもしれない
最後になって
太っちょのオバサマのことを知っていたような気がする、
小さい頃に読んだことがあるのか、記憶はないけど
太っちょのオバサマのこと、ぼくは知っていた
(ただ訳に適切でないような気がする場所があるのと、
イエスが『空の鳥を見よ』『捲かず、刈らず、倉に収めず。しかるに汝の天の父はこれを養いたもう』『汝らこれよりも遥かに優るる者ならずや』と言っている部分だけは、どうも理解できない)
コメント
杉原信幸さん,こんにちは。お元気ですか。私は今日豊かに踊りました。楽しかったです。
フラニーとゾーイ,聞かれたことに対する質問?に私なりの答えを,暫定的に出してみました。
良かったら,読みにきてくださいませ。
これから寒くなります。
体調に気をつけて頑張って下さい。
応援しています。
良かったら,読みにきてくださいませ。
これから寒くなります。
体調に気をつけて頑張って下さい。
応援しています。
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