Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2006-10-11 日光

    日光

    NIKKOU is NIPPONというポスターがあるが、確かに
    欧米人なら、Goddes!とか言っちゃいそうな、
    神さびた大木の森がどっさりある
    杉木立

    東武日光線で浅草から1300円くらいでこんなすばらしい
    所に来れるとは知らなかった


    日光駅から東照宮まで歩く

    大杉神社、

    石むして願う留むらん長けの杉
    石むらし月の影踏むうす草履


    本宮神社、神さびた大樹、千歳杉、石段

    輪王寺

    慈眼堂、
    だれもいない、敷きつめられた丸石の合間にコケが生えてうつくしかった
    写真に撮りたい景色


    滝尾神社
    参道、神さびた大樹の杉木立、日が暮れて、
    神社にテント泊、夜おじさんがお祈りに来て、
    飲める湧き水の場所を教えてもらう、
    湧き水うまい

    神顔に朝日が照りて千歳杉

    時折れて生したる影の苔鳥居

    勝道上人の墓にて
    仏岩に手折れて臥した草の道

    陽陰石渡りてみても子なし石

    東照宮、

    五重塔
    石川県の妙成寺の五重塔と同じと言われたが、
    まったく別物に見える、再建されたのか、色塗ってあるからか、
    妙成寺の五重塔のほうが完全にすばらしい

    (日光東照宮五重塔、若狭国小浜城主の酒井忠勝が1650年に奉納。1815年に焼失し3年後に再建 )
    (妙成寺五重塔、元和元年(1615)に加賀藩3代藩主前田利常の命によって着工し、同4年(1618)に完成した)

    9001194_1780_2.jpg


    3-3.gif


    http://sugihara.blog27.fc2.com/blog-entry-20.html

    鳴き龍の拍子木が深閑な森に響く

    鳴き龍やけわいの杉の苔木立


    大樹の根もとの苔むした石垣が
    時の重みに張り出して
    腹のようになっている、

    土喰いて膨らみしかな龍の腹


    徳川家康の墓、気持ち悪い墓だ

    二荒山神社、

    うつくしい大樹の間
    神苑、湧き水

    大猷院




    男体山

    華厳の滝
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    コメント

    都内では神宮の森をありがたがる人が多いね。70年くらいまえに人が造ったものだとか。日比谷公園を設計したひとたちと同じだって聞いてる。荘厳な雰囲気の森というのは、不思議に動物の気配がしない。神宮の森に野犬かオオカミでもいればいいのに……そう思う。

    神域の森と、野生の森
    神域はなにか土地に特殊な力を感じたところが選ばれている、ねじれた木がある場所、(この聖域に必ず生えているねじれた木の名前を知りたい)
    そしてずっと護られてきた、禁制の森は空気の静けさが違う、森の姿も違う、護られることで、森も形を変えるのだ、

    明治神宮は植林されてできた森だという、だから
    自分より巨大な樹々に会えるという意味では好きだが、
    森の内部も人に管理され過ぎている、
    森のリズムに出会うことはできない、
    それでも、東京都心部には、森が少なすぎるから、
    わりと明治神宮にはよくいく

    護られていても、残っていてもいいから、
    野生の森に会いたい、
    護国寺裏の宮内庁の土地が気になっている

    なぜ東北の森の緑はあんなに深いんだろう、

    森の姿

    >森の内部も人に管理され過ぎている
    ほんとうにそこが惜しい……人のちからの限界があの森なのかもしれない。そこから先にいくには「自然」に選ばれなければならない。あそこから先にいくには、人は森を知らなさ過ぎるのかも。
    護国寺の裏は住宅だったけど、その中間に森があるの?
    繁忙期を抜けた。来週あたり電話します。

    人の力の限界というのは、違うのではないか、
    日本の森は、里山文化で、森とかかわることで成立していた、切ったら植るで、
    日本は国土の3分の2が森であるという
    八百万の神のいる、辺境の島国なのだ、
    (かかわりと管理は違う)
    手が入っていない森は、土砂崩れなどに弱いらしい、
    しかしそれは、植林された森が放置されることの問題で、自然に生えている森はそんなに柔ではないのではないか、
    現代において人の関わっていない森なんてほとんどない、
    そんな中、ほんとうにうつくしい森がある、それも人とのかかわりのなかから生まれている、しかしそのうつくしいものは、無意識という舟にのって、非常に微妙なバランスのもとに成りたっている、それはごくあたりまえなものの中にある、それは地方に行けばまだ残っている、
    東京都心部では、もうそういうものが見えなくなっている、その影響が明治神宮にも及んでいるだけだろう、植林によって生み出された森は、人間が生み出したのだから、管理が容易い、しかし、生粋の森には畏れがある
    人のなかにも森はあるし、森のなかにも内臓はある、
    そういう意味で、知らないけど、知っていること、
    と付合っていく術、(それは脈々と伝わっている)を空気のなかに浸透させなければならないだろう

    畏れがある

    人が関与することで成立してる森の美しさもあるんだね。
    折り合っていくしかなかったのだと思う。人は勝ることより、譲ることからより多くを学ぶから。

    木声

    神社の高い樹がそよぐ
    梢が風に鳴って、
    まるで喋っているように、
    声をとどけることがある、
    そういう場所ってヨーロッパにあるのか、出会ったことないな、と思っていたら、そうかヨーロッパには高い樹が残っていないんだ、
    天上からの音、頭上にひびく、声、
    木声、地球の息で奏でられる声
    遥かに遠い年月を経た樹木の肢体から発せられる声に
    耳が奪われる

    (海外でもあの木声を聞ける場所はあるかしら)、

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