Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

  • experience (12)
  • news (60)
  • exhibition (31)
  • word (47)
  • essay (4)
  • film (4)
  • review (30)
  • journey (59)
  • photograph (6)
  • performance (10)
  • architecture (2)
  • book (2)
  • workshop (13)
  • review&journey (1)
  • memo (2)
  • livepaint (0)
  • 最近の記事

    最近のコメント

    最近のトラックバック

        -------- スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2006-06-03 荒川修作「三鷹天命反転住宅」

    見学会に行く、
    キューブ、球体、円柱の部屋自体が建築空間を構築するという
    建築システム自体の革新によってつくられた空間、

    しかし、建築家ではない芸術家が建築つくっちゃったという感じの
    家としての機能の欠陥、
    ディティール、マテリアルに対する無関心、

    8000万円も払って、あの狭っくるしいシャワー、
    ドアのない空間の中心にある使いにくそうなキッチン、
    天井にべたべた張りついたフックなど
    問題点が目につく

    本人もこういう家に住んでるのかというと、
    本人は思考に集中できないからと、ニュートラルな部屋に住んでいるという、
    実際に部屋に暮してみてもいないようだ、
    実際暮してみれば、改善点がいくらでも見つかりそう、

    使用方法に書かれていることは、おもしろいが、
    その内容を建築が語るとは思えない、
    そこがディティールとかマテリアルな部分で
    すっぽり抜け落ちた部分を言葉で説明している印象、
    太陽が生まれるなんて、あの建築からは考えられない、
    ただ実際暮してみないと、本当のところはわからないが
    作家が話す言葉から作品がずれるということは多いから、
    言葉は無視したとしても、
    でこぼこの床以外におもしろいと思うものはない

    ただ帰り道で東京の都市の建築物の直線的にかしこまった空間が非常につまら
    なく感じたというのは、驚きだった、
    建築する身体とかいう空間の作用があったということだろう

    説明してた係の女の人が、
    コンクリのパーツを組み上げた状態が一番おもしろかったと
    言ったのが、印象的で、
    まさに骨格の部分はおもしろいのだが、
    ディティールがない、
    心なんて窓の外に投げ捨てちまえって言ってた部分の欠如につながる気がする
    その両方があって初めて、
    太陽が生まれるような空間が生まれるのではないか、
    だから今は、身体感覚に一撃を加える建築物としては
    一験の価値はあると思う

    気に食わないけど
    建築空間の在り方を革新してるんだろうな

    基本のシステムを揺るがすということは、
    たしかにすごい影響が起こることだな

    http://info@architectural-body.com





    平行、水平、垂直の建築空間は
    精神の器として、人間の意識の基礎をつくっている
    そこを変えれば、劇的な変化が起こるのではないか、




    そういえば「三鷹天命反転住宅」は未来の家のような印象がある
    あれから抵抗感を奪って、平滑にしたものが流通しそうな気がする



    あと免疫抗体とかそういう細胞の構造をモデルにしているのではないか、
    そういうのは学びたいな、





    家のデザインしたときも、水平垂直平行の箱のイメージしか浮かばなかったこと
    それは箱ということがイメージコンセプトにあったからだけど、
    その水平垂直平行というのがイメージにもしっかりと染みついているということで
    それを壊すというのはぜひやってみたいなと思う






    「養老天命反天地」は落ちぶれたアミューズメントパークみたいで、失敗だったと思うけど、
    家というだれしもが共有しているものであれをやったことで成功したのだろう、
    アミューズメントパークみたいなのはなんでもありだから、変なことやっても
    別におもしろくないけど、
    家という建築のあたりまえを揺るがすことで、
    その場ではディティールが悪いから感じなくても、
    その場を離れて、都市の空間にはいった時にその効力に気づくというのは、おもしろい体験だった、たしかになにかが揺るがされる体験というのは、ゲージゅつとかいう奴みたいな気もする
    しかも家に人が住んで、手をいれつづければ、落ちぶれたアミューズメントパークみたいに
    悲しい様相を呈すことがないかもしれない、
    でもあの値段では家としては売れなそうだから、廃虚になってしまうかもしれないけれど





    世界観の変革というのは芸術というものの内容のように見えるが、
    その 物、場自体が語るのではなく、
    差異によってもたらされる変革は、
    それを名付けるのなら、
    芸術ではなく
    土台と柱という建築システムからの脱出による
    建築における革命
    なのではないか
    スポンサーサイト

    コメント

    建築家

    建築デザインに人間性なんて関係してほしくないと思うときがある。たとえばドフトエスキーのような建築というのがあるのだろうか。

    ドストエフスキーのようなというのは、ちょっとわからないけど、小説という媒体でしか伝えられないことってあると思うし、ただドストエフスキーが自分の家のデザインをしたとすれば、そこに滲み出すものはあると思う
    それは小説そのものの内容とは違うと思うけど、それと底通したものを伝えるのではないか、
    たとえば、銃痕だらけの内戦地の家とか原爆ドームとか建築が語ることもあるし、

    デザインはその人を映しますね、
    家も、施主とデザイナ-の人柄がにじみだす
    だからセンスのいい人は放っといても、センスのいい家を建てるし、
    センスのない人は何しても、センスの無い家を建てる、
    逆に言えば、家が変われば住む人も変わるということは思っていて、
    そこらへんの思想は荒川修作と共感しますね、
    建築自体には共感できない部分が多いけど、
    むしろ僕はモダニズムとか言ってコンクリ直線の建物が溢れるつまらなさとか、ハウスメーカーデザインのあまりにもダサイ夢のマイホームみたいなのが溢れていること、その環境から生み出される精神性に問題があって、
    そこから変えていけると思っていて
    家も世界、環境の一つであって精神の器である
    だから建築デザインはやろうと思っていて、
    建築は経済と他者との共同作業がないとほとんど成り立たないから、必然的に仕事として関わっていける、
    お金もどっかで稼がないといけないから、
    そういえば建築家の友達がいるって言ってたけど、
    どんなひとなんですかね、

    コメントの投稿

    管理者にだけ表示を許可  

    トラックバック

    http://sugihara.blog27.fc2.com/tb.php/40-4b110f4e

     | HOME | 

    FC2Ad

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。