Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2013-04-13 皮なめし対話

    照葉樹林の座(くら)石が、
    持仏のように洞(ほら)を纏った木の生えた、
    あいまに、小洞窟は空に架けた絵馬、
    瞳に刺青された宇宙咳、
    雪の山、
    あいだにさかれた、
    花という時間のひかり

    裸であること、
    毛皮と脂肪のあいまに夢を纏った獣、
    洞窟壁画は身体に夢を刺青して、
    命に包まれ纏うこと、
    裸は常態化した変化の生の姿

    カワにつつまれて水の中を泳いでいる、
    それが生であり、
    性の揺り籠、
    籠というのも竹の龍か、蛇の流、舟

    そうか
    皮は、水の中なのかもしれない、
    カワは、川、皮なのか、やっと繋がった。


    温かく濡れた毛皮の内側の触感というのは、
    水を掻いたときの、水かきのように生じる膜の感覚にとても近い。
    血潮の潮流というだけではなく、水の意識の生命体であって、
    常に変化し流れる川が膜に包まれ、思考し、
    移動する川としての生物、
    それは自転と公転というもの凄い回転運動を続ける
    地球が常態であることに合わせるように、
    常に流れ打つ中に意識があるということ


    皮の中の川、生命の層であること、
    血管の描く川。川の中の皮というのは、
    なにか、川の中に流れる文字のイメージ。
    吉増さんの『草書で書かれた川』という本を思いだしてたけど、
    その中の「老詩人」という詩は、
    北上で朗読したものだったんだなあ、
    北上川ということもあるけど、
    川に刺青して、フィルムということにもつながっていくな。
    東北のシシ化する身体とともに、
    沖縄の植物神としての舞、照る葉の文化。

    若水を汲んで飲むこととか、湧水で顔を洗った時とか、
    水との親和性は、意識の流路の問題にも関わることで、
    歩くとか旅によって、身体という水を地形に流していく、
    身体と言う川をつくる旅によって、開かれ流れ、
    浮かび上がるもの。

    科学的なイメージではなく、イメージが突き抜けて、
    観察が振り切られる場所。
    写真の現像という水から浮かび上がるものと、
    吊られたネガフィルム、
    写真像のOHPフィルムに書かれた吉増さんの書、
    8ミリフィルムの回転の流れ、
    川面の光の皺に挿される文字の破片は声、
    流れる川に泳ぐ、写真像や文字の書かれた布、皮、
    記憶という水の中の鯉のぼり


    大陸からフェリーで帰ってくる時の
    中国地方のミニチェア的な山なみ。
    その中に、沖縄の御嶽へと繋がる照る葉の文化があり、
    明らかに境地は照る葉の森とともに西日本に残っている。

    江の川を歩いた時にも、
    もの凄い螺旋木のうつほの森の境地があったし。
    東日本にはストーンサークルの文化があり、
    シシ踊りの荒ぶる祭があり、縄文文化が花開く、
    杉をご神木とする垂直性の聖地より、
    照葉樹の女性的な洞の螺旋の森の照る葉の光に惹かれる。
    椎葉神楽がどういうものなのか見に行きたい。
    日本におけるストーンサークルというのは、
    照る葉の森の女性性を現すのかもしれない、
    中部の土偶と火焔土器も同じかもしれない。
    そういえば、
    青森の神社の鳥居には巨大な女陰としか思えない注連縄が吊ってあるのは、
    杉の垂直性に対する応答なのかもしれない。
    そういう風に大きな力が補いあって、
    呼び合っているのかもしれない。

    縄文文化は落葉広葉樹林と重なるのですね。
    これも裸ということと雪ということですね。
    裸の木というのが、
    冬季に洞やうつほをつくれないためか、
    落葉樹の聖地というのはあまり見たことがない気がする。
    杉がご神木になってくる。
    不変の常しえの森としてのストーンサークル。
    雪の冬に応答するための、
    火の赤子、火の器としての縄文土器、土偶








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