Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2012-04-12 島つぶやき

    緑と水場 http://twitpic.com/951xe9

    島アートhttp://twitpic.com/951yz3

    島アート、生活の中に息づく表現 http://twitpic.com/9520bt


    海に隔てられている。海に独立している島は、生活もまた自給的になると同時に、
    文化も自給的になる。表現は途切れることなく生活とつらなっている。
    島身体は百姓。百の名を持つ身体。


    今日、生まれて初めてわかめを採って食べた。満月の大潮の岩場にはわかめだらけだった。
    わかめのしゃぶしゃぶを食べさせてもらったが、わかめというだけあって、
    湯に入れた瞬間に透きとおった萌黄色に変わるそれは、
    中国産の今まで食べてきたワカメとはまったく別物の美味さだった。


    花見にて、捕りたてのしし肉を食べる。野生の肉と、家畜化された柔らかな肉では、
    私たちの身体と精神に刻み込まれる、生きることの躍動感に違いが出てくる。
    確かに家畜化された柔らかな肉は旨いけど、野生に生きるものの躍動する命の連環が、
    そこに働くのか。野草や野菜、海の物も同じ、野生について。


    こういう、味覚など口内における感覚を原始感覚というのかもしれない。
    西丸さんは食生態学者であり、医学も学んでいる。
    原始感覚と言う言葉はもともと医学用語にもあるらしい。
    口内の感覚や内臓感覚など生存に基づく、原始感覚。食というのは生の柱だ。


    生をつなぐものについて、守られきった中で与えられた生と、
    生が持つ生存というもの自体の躍動する感覚が、都市を中心とした機能の中で、
    どのように歪んだものになっているか、自分自身を振り返って思う。
    食と言うことでも、如実だが、住空間や文化精神全てにおいて、それはほとんど途切れ途切れだ。


    島四国 http://twitpic.com/98nuv5


    島四国とは、粟島に北前船が88隻になった1827年に88体の石仏を建立し、
    毎年旧暦の3月21日に88か所巡りを行う。
    その際、島中のお堂の中にばあちゃんやじいちゃんが待っていて
    お接待のお菓子をくれるというとても素敵なイベント。
    今年は雨だったけど、道作りからやるので皆元気なんですね。


    twitter https://twitter.com/#!/sugiharanobuyuk

    つづく








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