Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2009-06-01 田植えの泥に降り立つ光

    木崎湖の懐にひろがる稲尾の田んぼで
    今年も友人の田植えが行われた

    今年は多くの参加者が集まり
    7枚の田んぼぜんぶが手植えで行われた

    もうすでに5枚の田んぼを植え終わり
    残すところ2枚というところで参加した

    その田んぼは休耕田で荒れ地になっていたのを
    耕し、去年は合鴨の住む池になっていた場所だったので

    多少、田んぼの泥というより粗めの粒と石を足裏に感じた(自然の沼地に近いのかもしれない)
    友人の奥さんはここの泥がいちばんよいと言っていたが、

    去年の田んぼで感じたなめらかな記憶の泥の底のような感じには物足りない感触でもあった

    その日は始発で東京を出発しての参加だったので
    すぐに昼になって昼食をごちそうになってから

    一度家に帰って半日参加すると言っていた母親を迎えに帰っていたら
    雷雨が降り始めてしまった

    田植えできるかなと思って田んぼにいってみると
    雷が落ちるから危ないので、やめましょうと
    友人の家に引き返しお茶を飲む
    しばらくすると雨がやんだので田植えを再開する

    東京から阿佐ヶ谷の元我堂というギャラリーをやっている友人達もやってきて
    均等に赤いしるしがついた紐をまたいで左右真中と三本づつ植えていく

    深く植えると、稲の生育が阻害されて手植えをする意味がないので
    指の第一関節くらいまで泥にもぐらせて
    泥に置くようにして植えていく

    最初はしるしをいちいち確認しながら植えていて
    ゆっくりとしか植えられなかったが、
    だんだん身体感覚が30センチくらいの幅に慣れてきて
    手早く植えていけるようになる

    鴨の池だった田んぼを植え終わり
    その向かいの田んぼの補植をする

    大勢で子供も交えて植えた田んぼなので
    深植えになっていたり、植え忘れがあったりするのを直していく
    なめらかな泥の感触を味わう

    友人はその日に届いた鴨の雛について
    田植えの手伝いに来ていた今年から合鴨農法を始める人に
    説明しに行った

    日が暮れて補植が終わり解散
    その後、うちで夕食を食べる

    今年から大町に住むことを決めた別の友人が山菜をたくさん採ってきて
    てんぷらを作ってくれた

    急な来客があり、なにも準備ができなかったので
    ありがたい

    おいしい夕食とおいしいお酒を飲んで
    明日の田植えに備える

    次の日の田んぼは友人が稲尾で初めて始めた田んぼで
    湧水が湧いている田んぼ
    制作の為に藁を分けてもらった田んぼでもある

    今年は不耕起農法を試すので
    耕していない部分があり、草が生えている

    素足で入ると水はつめたくとも
    なめらかな泥の中はあたたかく
    なんとも言えない感触

    もぐらに穴を開けられ水が張り切れなかった部分には草が生えていて
    土が硬くなっているので、指で穴を開けてから植える

    水が張ってあった部分は機械で耕された
    田んぼほどはなめらかすぎず適度ななめらかさで

    はたしてどっちの泥がよいのかわからないけど
    稲の成長が答えてくれるだろう

    昼飯を頂きに友人宅へいくと、
    鴨の雛が首を痙攣させるように振りながら
    餌をほおばっている姿がとても愛らしい

    食事をしながら話していると
    連れが先日見に行った中西夏之さんの展示の話を始め
    着水ということについて話すのを聞いて

    中西さんの絵画の鉄球の配置と筆触の撥ねのイメージが
    稲を泥に置いていく、
    動作
    その着水、田んぼの水平面と、苗の揺れ

    「画家が立っているのは地面ではない
    地面よりすこし浮いている場所だ」
    というのは、
    田んぼの泥のような場所に降り立つことではないかというイメージ

    画家が立つ地面としての田んぼ 

    それは土方巽の東北の田園風景のイメージとも重なり
    大野一雄さんの踊りの場所は胎児のいる胎内です

    としての不安定な
    柔らかな地面としての生成の場
    ランディングサイト―降り立つ地

    足裏をくすぐるように語りかける泥の声のようなものが
    くぐもって光が降りてくる
    けむりが昇るように光が降りてくる
    その運動と
    光と水

    絵画を響かせる

    田んぼの稲の若葉の命を
    水面の光とともに響かせる風ということは
    百姓人としてはありうるのではないか

    (中西さんの主要なテーマに「波打ち際にて」がある)

    縄文のうねるような空間性から
    弥生の稲作の水平面の空間性と
    絵画の誕生についてのイメージ

    泥の深さ

    田んぼにはなにかが降りてくるのではないかという
    イメージを抱えて

    田んぼに素足を差し入れた
    田んぼの泥に降り立った時の
    身体と思考―脳にはなにかが降りてくる予感のようなものを感じながら

    元我堂の友人たちが帰った後も
    薄暗くなるまで稲を植え続けていた
    それは
    なめらかなあたたかい泥の感触が
    いつまでも楽しくてしかたがないからでもあった

    幼いころの泥遊びの記憶
    それは生命をはぐくむ
    大地の子宮のあたたかい泥、血の息吹の海の記憶に
    足をさしいれることだったのかもしれない

    友人宅で冷えた体を熱燗の
    おいしいお酒であたためて
    といってもまったく寒さは感じなかったけど
    お酒はとてもおいしかった


    田植えの最終日すこしだけ田植えを手伝って
    最後の田んぼも植え終わり

    風になびく稲の苗の若葉の葉先がふるえている





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