Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

  • experience (12)
  • news (60)
  • exhibition (31)
  • word (47)
  • essay (4)
  • film (4)
  • review (30)
  • journey (59)
  • photograph (6)
  • performance (10)
  • architecture (2)
  • book (2)
  • workshop (13)
  • review&journey (1)
  • memo (2)
  • livepaint (0)
  • 最近の記事

    最近のコメント

    最近のトラックバック

        -------- スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2008-10-29 カモの解体

    千年の森という自然学校で、
    冒険キッズさんたちの秋の収穫祭に呼ばれて、

    友人のアイガモを子供達が育てていて、
    それを捌いて食べるというイベント、
    当日、朝友人の家の前にいくと、すでにカモの血抜きが始まっていた
    羽根の付け根を持って、クチバシをその持ち手に挟み込んで、
    両の頸動脈を切って、血を流し、絶命させるというものだ

    友人がやってみる?と言ってくれたので、
    やってみることに
    籠に入れられたカモを羽根の付け根を持って持ち上げ、
    そこにクチバシを挟み込むと、ほとんど身動きがとれなくなるので
    剥き出しになった首の骨の下の頸動脈だけを切る

    大切に育ててきたカモだから、なるべく苦しみを最小限にして、
    死んでもらうという
    友人の想いがあるのだ

    すこし風邪の治りかけで、体調が万全ではなかったが、
    手にカモを収めて、包丁を握ると、鼓動が高鳴り
    緊張が体の芯に湧きあがってくる
    その逡巡の気持ちとともに頸動脈の位置を何度も確かめる

    そして、一思いに包丁を入れる
    毛と擦れて一太刀では切れず、
    再度、包丁を入れる、皮膚を断つ感覚とともに、血が流れ落ち、
    庭の草の上に落ちる、

    そして知らないうちにその血の上を踏みながら、
    反対側の頸動脈にも包丁を入れるが
    うまく切れない
    片方でも5分以内に絶命すると聞いていたので、そのまま首を下にして
    ぶらさげる

    片方しか切れていないので、
    カモが鳴き声をあげる、もう一回切ったほうがよいかもしれないと友人が言うので、
    もう一回試みるが、やはり切れない
    どこかに致命傷をおわせた後、更に傷つけたくないという気持ちもあったのかもしれない

    赤いコーンをひっくり返して重ねたタイヤに差し込んだものに、
    カモを入れ、血を残らず出して、絶命させる

    手についた血を拭き取りながら、
    次のカモが首きられるのをながめる

    6羽のカモが血抜きされ、千年の森に運ばれていく
    一度解散して、昼頃から解体が始まる

    車で迎えに来てもらい、千年の森へ
    湯を沸かし、包丁を磨いで、準備をしている千年の森の人
    カモを一羽づつ、60~70℃のお湯に一分間漬け、
    羽根を毟る、大きな羽根から毟りとらないと、抜けなくなって、
    皮も千切れてしまう、
    友人はカモは皮がおいしいからと何度も言っていたので、
    なるべく、慎重に身繕いをしてやるような気持ちで、
    丁寧に手早く羽根を抜いていく

    以前に友人の所で、フランス料理のシェフと一緒に毛抜きをした時、
    そのシェフの手早さと綺麗さを見ていたので、
    それを見習って抜いていく

    ある程度抜けたら水で抜けた羽根を洗う
    同時に温まった肉を冷やす保存効果もある
    清流があるので、川で洗って、丁寧に抜く

    まな板にのせて、解体を始めるが、これも初めてなので、
    経験者のお医者さんに教えてもらいながら、解体する
    皮に切れ目を入れ、肉は切らず、関節やスジだけを切って、
    手で肉と骨を剥いでいく感じ、
    前に鳩を自分で解体して食べた時は感じなかったが、
    アイガモは脂がのっていて、
    おいしい肉をつくっている感触が手に伝わってきて、
    とても楽しかった

    内蔵はズボンを脱ぐようにして引っ張りだして、
    心臓、レバー、砂肝(本当に砂肝には砂が入っていて、川で洗って食べる)を取り出す、
    手に残った甘い脂の感触はいつまでもとれず、
    昔の人はこの脂をどうしたのだろうと考えていると、
    お湯をタンクに入れて用意していて、
    それで洗わしてもらうときれいさっぱりとれる

    カモの死というものが、そのまま、おいしい肉という
    生を繋ぐものに変わっていく
    自らの血肉、生そのものに変換される
    その表裏一体の生と死のダイナミズムの時空間に入っていくことは
    「畏れ」を抱くこと、
    自らの生命の鼓動に触れること
    生死が一つになる儀式というのが、食べるという日常化された行為の本質なのだ
    それこそが、おそらく生きることそのものであり、
    現代都市生活が失ってしまった生命のよろこびのリズム

    それは、食だけと切り離されたものではなく、
    育てる、捕る、殺す、捌く、料理する、食べる、埋葬するなどの総体的な体験からくる
    生命の活動のうねりなのだ
    食べること一つとっても、暗闇で食べる食事は味気ないものだ、
    色のない食事、
    五感のすべてで味わうからこそ、うまいように、
    記憶や体験が繋がってこそ、そこに命のながれが生まれる
    それは風のうねり、水の流れやそういったものの形や音楽とも似ている、
    同じものなのかもしれない

    そして、夜になり、電気も水道もない千年の森の山小屋と広場では、ランタンが灯され、
    カボチャをくり抜いたランプも灯され、田んぼの仕事を終えた友人もやって来て、
    収穫祭の前夜祭が始まる
    カモとネギの炭火串焼きの甘い肉の美味と
    カモガラでとったスープでつくった新鮮野菜のカレーライスと
    カモの刺身、友人の無農薬アイガモ米と贅沢な食事を頂く
    体調が万全でないので、すこし早めに帰り、

    次の日、昼からの収穫祭にいく、
    カモの肉は適切な捌き方をすると、ほんとにおいしい肉になる
    おいしい、カモのすき焼き、カモのオリーブオイル炒め、カモ鍋、カモの焼肉
    二日目のよく煮込まれたカモがらカレー、カモネギの炭火串焼き、
    お母さん方の一品持ち寄りの美味しい料理の数々、焚き火で焼いた焼き芋、湯でたてピーナッツに炒りたてピーナッツ、レンコンのフライや山ぶどう酵母のモチモチ焼きたてパンや、無農薬アイガモ米と圧力鍋で焚いた甘い玄米ご飯と贅沢の限りを尽くした料理を頂き、
    最後に、プロのラーメン屋さんにつくってもらった、カモがらスープの醤油ラーメンがうちに残っていたので、それを持って来て、ラーメンを食べ、満腹になる

    その後、
    千年の森に子供達と散策に、小川を越え、蔓の木だらけの森で
    大人も一緒になって、木登り大会、
    すこし離れて、沢沿いを散策していると、すごい勢いで黒い生き物が沢を駆け登っていく
    すごく大きかったので、熊かと思ったが、
    後で、山の上にカモシカがいて、黒かったのを見たから、
    カモシカだったかもしれないけど、
    この森はすごくよいところだ、

    川沿いを歩いているとき、苔むした倒木があり、茸が生えている、
    一目みて、エノキタケではないかと思って、少量だったが収穫して、
    千年の森の管理人さんに聞いてみるが、わからないという

    帰って、ネットで調べると、色形、鉄錆の匂いがするなど、あてはまり、
    初天然エノキタケを味噌汁にして食べてみると、すごくうまい

    スーパーで売ってる、白くて細いエノキタケの束は、モヤシであり、
    天然ものは潤んだ茶色で、柄は黒い、まったく別物なのだ

    そんなこんなで、楽しんで、いたわけだが、
    この収穫祭には子供達にとってすごく大切な生命の学び、
    本当の学びの物語があったのだということを
    友人のブログを読んで知った
    とても感動的な話だ→千年の森の収穫祭




    スポンサーサイト

    コメント

    アイガモ、もういないの?

    食べそこなったか……よろしくお伝えください。
    ぼくは命が釣り合ってもいけないのかもしれないと、相手の命を圧倒する食欲がそこにはのぞましいのだと、最近そんな気もしてるんです。
    命が命を圧倒するのだけど、それは大きな水滴がちいさな水滴をのみこむようなものかもしれない。「うまかった」とか「腹がへった」とか、無心にもとめることが食べる資格のような気がしてる。熊を仕留めなくなるほど大きな原始の食欲を持ちたいな。

    Yさんのカモはこれで最後ですが、
    稲尾の農家にはまだいるので、
    生きてるやつでも買えば、食べられるようです

    死の領域に立ち入ることが、そのまま生の領域につながっているという体験は、とても大切な感覚と思います
    畏れ、と日常の生死の生み出すリズム
    カモ肉は臭みなどなく、すごくおいしかったですよ
    よい季節なのでまた長野に行こうかと考えています

    東京にいるの?

    あれ? 東京にいるの?
    福士さんが皆でご飯を食べようといってた。郵便局がアルバイトをさがしてる。 

    コメントの投稿

    管理者にだけ表示を許可  

    トラックバック

    http://sugihara.blog27.fc2.com/tb.php/141-6f7f78b0

     | HOME | 

    FC2Ad

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。