Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2007-11-04 稲刈り体験

    9月28日に書く

    去年制作で必要な稲藁をわけてもらった、
    稲尾の百姓の方と友達になったので、
    稲刈りの体験がてら手伝いにいく
    花の出荷と稲刈りが重なって大変急がしそう

    機械で刈って、はぜ棒を組んで、
    はぜかけにする、
    とても構造的で、利にかなった組み方、
    茅葺き屋根の構造にも近いという

    はぜかけの稲穂の黄金色の形はとてもうつくしいが
    刈りたてはまだあおい草の色が残っている、

    機械刈りで束に結ばれた稲をはぜかけにしていく作業をした

    乾くと量が減るので、風で倒れたりしないように
    しっかりかけていく、

    稲魂という言葉もあるが、
    なかなか感慨ふかい

    この前栗ご飯つくった時に、
    縄文人の狩猟採集から弥生の稲作への移行は、
    米の備蓄できる安定的な生活ということにまけたのではなく、
    米のもっている味にまけたのではないだろうか、とふと思った

    神の食べ物、米食いたければ、
    高床式米倉、神社にひれ伏せって感じで、


    色々、この辺の地域の農業の問題点を聞く、
    農協を通して米の販売をすると、
    機械の維持費、農薬費用、肥料、農協の手数料等で赤字になってしまうという、
    あれだけ大変な作業をして赤字だったら誰もやらなくなるのは当然だ、

    兼業農家で、別の仕事で稼いでいて、
    その赤字を補填して、先祖代々の田圃を荒らさない為に趣味のようにやっているらしい
    こんな状態では誰も、農家をやらなくなるのは当然だ、

    農協はしかも、無農薬農法を弾圧するらしい、
    消費者は、無農薬をもとめているのに、
    農薬が売れなくなり、肥料が売れなくなるから、
    無農薬の米を作っている人に圧力をかけて広まらないようにするという
    酷い話だ、

    本来、稲一本あたりに広い面積を与えて、育ててやれば、多少病気になっても、
    全体としては問題なく、
    無農薬農法は可能だという、
    でも狭いところにぎっしり植えて、栄養不足で肥料を与えて育てると
    病気になり、農薬が必要になり、農協が儲かる仕組になっている

    確かに、無農薬だと雑草抜きなど大変だから、
    アイガモ農法をやっていて、アイガモは雑草もたべてくれるから、
    そこまで大変ではない、だれでもできる形の農業をめざして
    日夜研究をしているそうだ、

    最後に機械が刈り残した稲をノコギリ状の鎌で刈り取って束ねる
    稲刈りのサクッという切れ味が心地よく、楽しい

    でも手刈りで田圃一枚刈ったら、ものすごい大変だ、
    昔は親戚一同集まって、一気に刈ったが、今はそんなことできないから
    機械でやらないと採算が合わない、

    でも自給自足を実践している人が隣村にいて、
    手刈りしているという、田圃一枚の半分くらいで十分一人で食っていけるらしい
    玄米だったら、栄養が豊富だから
    ほとんど玄米だけ食っていても生きていけるらしい
    一ヶ月10キロ食べて、1年120キロ

    でも田圃一枚でも耕すのは大変で、その人も機械でやってもらっているという
    やはり、昔は馬が耕していたから大変なのだろう


    なにかと興味があるので、色々これからも教えてもらおうと思っています
    採れたお米も手伝った分、もらえるということで、どんな味か楽しみです



    11月3日

    このお米を食べました
    とてもおいしいお米です
    食べてるとお米の粒が一つ一つ話しかけてくるような
    お米のひと粒ひと粒の存在感を感じるというお米は食べたことがないかもしれません
    食べ物は、そのまま自分の体です
    このお米は直売していて、
    注文して直接買うことができるので、
    興味のある人は
    こちらを見てください



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    コメント

    コメ

    コメって銘柄じゃないと、ぼくも思うな……
    いまは仕事に追われてるけど、そのうち食べにいきたい。(笑)
    その土地の水と、空気と、空と、緑も

                          いただきます。 _(._.)_
     
     

    ぜひぜひに、
    お米はしばらくの間、うちで食べられます
    国道や電車が通ってるので、そこまで、
    大自然ではないですが、里山とか湿原とか、
    ちょっと山のほうにいけば、電気も水道もない生活してた人がいるそうです

    新しき村

    学生時代、隠れ白樺派と
    友だちから笑われていたけど、そうかもしれない。

    できるなら作ってみたい 新しき村

    共同体というのは、非常に大きな問題ですね、
    自給自足とか、村とか祭とか、
    地につかない言葉が、共同体の言葉だとすると、
    地に足がついた生活における共同体というのは、
    どういうものなんだろう、普通はそっちのほうを共同体と呼んでいる気もするけど、現実的には部族という血のつながりが共同体を支えている気もするけど、脈々と受け継がれた生活が壊れて、それをまた生み出すというのはとても大きなことだけど、その地に足を差し入れること、しっかりと大地に立つことと柳の揺れる葉の触れ合いのように、その往復運動は幽霊の所作みたいになるのか、節というか、ハレとケのリズムがあって、房みたいに彩りがわたしたちということなのか、徐々に断ち切られた生活の脈を蘇らせていくなかで、わかってくることなのか、とにかく地をあいすることの共同体というのは、あるだろうし、家族というのも、大きな問題ですね

    あと境界ということも関係してるだろうし、渚みたいな混じりあう場のこととか、歌垣なんかの、かけあいとかそういうのも

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