Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2007-09-27 香取神宮、鹿島神宮、五ノ神神社、まいまいず井戸

    香取神宮

    台風後で、奥宮に落ちた枝が散らばって不思議な時間
    要石見る

    御神木の巨木の空間がすばらしい
    こういう人工物と自然の作り出す場というのは、
    世界にあるだろうか、もしあったら見てみたい、
    外国人旅行者は、これこそ日本の見るべき場所ではないか、
    日光はそれに近いが、建築が勝ち過ぎる、
    見るべきは、建物ではなく、
    巨木と建築との関係性の空間なのだ
    社殿は徳川が作ったので、派手な感じ

    香取だんごがうまい
    だんご屋のおじさんが帰りしなに、
    車で駅まで送ってくれる

    鹿島神宮

    鹿島神宮駅からの参道が赤れんが敷きの気持ちわるい道だったが、
    森がすごい
    神宮内の奥宮までの参道は道幅が広く
    夕暮れの銅色のこがねの光がうつくしく
    芭蕉さんがやってきた時代の道の気配を感じていた

    原生林が力をもった広大な森
    むしろ伊勢神宮の森より好きかも

    うつろ舟の流れ着いた常陸の海をみたくて
    歩いて海へ

    海の近くの神社の在り方は御嶽に近い
    木々のトンネルを通って小さな社と巨木のある小さな森

    真っ暗になって海に着き、
    海の動きと
    山の存在について思う

    歩いて駅へ、水郷の佐原に行きたかったが、時間がなかったので、
    帰る


    そういえば、この香取神宮と鹿島神宮というすばらしい森が、
    古代、蝦夷討伐の前線基地だったということが持っている意味は、
    考え深い、
    特別な森や木を崇めるというのは、
    縄文人にはなく、
    境を作るよりも、中心の空白、ストーンサークルが必要で

    縄文人を駆逐し、森を切り開き、田圃を作っていった
    弥生人達が、縄文人と森の供養として、神社を建てたのではないか、
    皮肉にも、その蝦夷討伐の前線基地にもっとも
    蝦夷(縄文)の暮らした原始の森が残るということになっているのか、

    そういう血なまぐささも神社は抱えているのかもしれないし、
    祝詞というのは、どこか血塗られたものを封じ込めようとする
    意味があるのかもしれない


    他日

    吉増剛造さんのクラスの人達と
    まいまいず井戸へ行く

    まいまいず井戸は羽村駅すぐの五ノ神神社の中にあり、
    吉増さんが井戸に行った映像を講義で見せてくれた

    まいまいず井戸よりむしろ
    五ノ神神社のほうが、非常に気になった
    ものすごく古めかしい石の多い神社だ、
    そして木々の根元に石が寄せられ、塚状になっている
    こんな神社は見たことがない、
    小祠には美しい丸石があり
    木の根元には陰石がある
    縄文の遺跡か、古墳の跡地のようだ、

    まいまいず井戸はその土地の在り方、
    深さから木々を眺める空間はすばらしい

    吉増さんが言っていた、
    降りていくと、音が消えていく感覚もよい

    だが、表層が整備されて、道の石の組みかたなど、つまらなくなっている
    式根島にもまいまいず井戸があるらしく、そっちはまだ使えるらしい
    いつか行ってみたい
    宮古島にもまいまいず井戸のような、ウリカーがあり、
    そこへ入った記憶が蘇る

    まいまいず井戸は上から見た時に
    御嶽に似た落ち葉が静かに舞い降りる感覚が
    あるのかもしれない

    羽村を散策して、郷土資料館の古民家で
    火をくべた囲炉裏を囲んで休む
    このしずかな時間はとても尊い

    郷土資料館の裏山の登り口の看板の前に段ボール箱が捨てられていて、
    蛆がわいた何かの死体が入っていた





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    コメント

    神護石

    「こうごいし」って詳しい?
    http://a575a77.onmitsu.jp/kougoishi.html
    山の中に意味もなく石がころがってることって、
    普通にあるのだと思ってた。

    ネットで見て、気になってはいたけど、
    見たことないです、
    見に行ってみたい

    でも、山に転がってる石と
    神社とか古墳にある石って、
    全然存在感とか古さが違いますよね、
    いわくありげな、
    時の堆積

    石と呼んで、眺めているその表面は
    微生物や苔の集合住宅なんだから
    石は生きていると言うことは言えるし、
    石の神みたいなものってそういう風に感じること
    できると思うんです

    山口や福岡

    神護石って北部九州と山口の、あのあたりに転がってるらしい。こどものころから、ふるい砦なんかの石が山に転がってるのを不思議に感じなかった。ぼくはそういう石がけっこう好きなんです。コケにまみれながら埋もれていないのも不思議。石――的なものが、自然のなかに露頭してる姿こそに石を感じる。

    山口とか福岡の山というと、そういういわくありげな石があたりまえにありそうですね、
    いわゆる登山の山、アルプスとかの古代文化のふれていない山にある石とは質が違いますよね、
    登山の山だと、鉱石として石が見えてくるけど
    人がふれてきた石というのは、なんか違う
    触るということで、手のあぶらとか栄養がついて、
    実際的にも、微生物が繁殖したり、
    触れることが、うっすらと彫ることだったり、
    あと、選んで、その場所に置かれるということが、
    石の存在を呼び覚ますのかもしれない

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