Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2007-08-11 上原(うわっぱら)遺跡

    大町のページを見ていたら、ふと
    配石遺構のある遺跡が載っていたので、
    行ってみる

    自転車で水路に沿って畦道をゆく
    途中、偶然古墳跡に出会う、
    天井石の失しなわれた石の祭壇のような風情
    草と石の美しい場

    カメラを持っていたが、メモリカードを忘れて、
    しょうがないので、映像に撮る

    道に迷いつつ、大町温泉郷らしき
    大きな建物を目指す、

    鹿島川の橋を渡り、温泉郷の
    観光案内所で、周辺の地図をもらい
    上原(うわっぱら)遺跡の位置を確認する、

    奥の森に数日前に熊が出たから、鈴とかラジオとか
    音の出るものを持っていってと言われるが、持ってないので、
    声を出しながら、森の道をゆく

    途中、道祖神がたくさん立っている
    中沢厚の「石にやどるもの」の中で、馬頭観音について書いてあるのだが、
    そこら中の道祖神の頭に馬頭がついているのだ
    確かにに、なんで、こんなに馬頭観音なんだろう、と不思議な気持ちになってくる
    道祖神は穂高を歩いたとき、石の存在に引き付けられてはいたけれど
    石の時間のようなものにか、

    その造型にはそれほど興味がなかった、
    でも馬頭観音は確かに気になる

    上原遺跡の、竪穴跡を見、
    配石遺構に行く道の畑に、銃をもったマネキンが3体、奇妙な服を来て、
    顔をペイントされて立っている、マネキンは嫌いだが、こいつらはおもしろい
    これこそアートみたいなものだな、と
    妻有とかにあるべきものだ、と思う

    配石遺構、つまり、立石、環状列石、
    それは、草の大地にそそり立つ、男根であり、境界であり
    樹石であるような、その石と草という存在の差異があざやかにうたうような場だ、
    こういう場こそ、必要なんだと思う、
    その境界、ある空白な域、に満ちる生命の讃歌
    この山に囲まれた平地という立石の在り方は、他の石の記憶を呼び覚す

    韓国の江華島の山間の小さなドルメン達、
    大湯環状列石、八ヶ岳の尖石遺跡の風景
    この山という存在に対するアカシ、
    性であり生であることのアカシの場、
    山と響きあい、つりあっているのか、

    平地にリズムを与える
    山の骨を植える



    でも写真と現物の配石の並びが変わってる気がするけど、
    あと、変な植木とか、柵とかはいらないけど

    このすぐ近くに市民浴場の温泉があって
    なかなかよい温泉だったが、
    改装されて上原の湯、一般500円になってしまった

    近くの、森の中
    蚕玉神社の巨石に会って、帰る

    sightseeing_pl19.jpg

    大町市のページより



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