Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2011-12-14 蟹田ストーンサークル

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    撮影 片山康夫



    「蟹田ストーンサークル」

    杉原信幸×山形淑華

    最大直径 50m
    素材 7700個の自然石

    制作年 2011年9月26日~10月9日

    撮影 片山康夫、本郷毅史、山形淑華 
    映像 本郷毅史

    協力 外ヶ浜町のすばらしき皆さん
    応援 縄文友の会 外ヶ浜町教育委員会 NPO harappa

    場所 大山ふるさと資料館前
       青森県東津軽郡外ヶ浜町字蟹田大平沢辺34-3

    平成23年度青森県縄文遺跡集客事業


    http://www.town.sotogahama.lg.jp/k_siryoukan.html
    大平駅徒歩5分


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    撮影 本郷毅史



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    撮影 杉原信幸


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    撮影 山形淑華


    http://aomori-jomon.jp/essay/?p=4339
    JOMON FAN 山田スイッチさんの文章

    http://sugihara.blog27.fc2.com/blog-entry-284.html
    ストーンサークルフェスティバル体験記









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        2011-12-14 ストーンサークルフェスティバル体験記

    青森で現代の精霊に出会った。

    津軽半島の外ヶ浜町の小国ふるさと体験館に約2週間滞在して
    約13000年前の日本最古の土器が出土した大平山元I遺跡のある
    大山ふるさと資料館のグランドにストーンサークルをつくったのですが、

    この体験は、本当に青森という深い森に分け入って
    その果ての國の底力というか、美しさに心打たれたのでした。

    山田スイッチさんと、その旦那さんケンさんと一緒に蟹田に入り、
    ふるさと資料館のKさんに近くの石の拾えそうな川をまず案内してもらいました。

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    撮影 本郷毅史


    一か所はふるさと資料館からすぐ近くの
    河原の近くまで車で行ける場所で、
    二つの川の合流点の中洲に沢山石が集まっていました

    もう一つの川は石はさほどなかったのですが、大きな鮭が死んで浮かんでいて、
    あれ拾っていって埋めたいなと、後ろ髪ひかれながら、
    次の川へ

    もう一つの川は大きめの石もあるのだけど、
    泥岩という脆い石が多く、やはり一番最初の川がいいなと思っていたら
    鮭が勢いよく泳いで行ったり、
    これはなんか幸先のよい出会いをして

    役場の教育委員会の方に挨拶に行ってから、
    蟹田の食堂で
    貝の味噌焼という大きなホタテ貝の貝がらを鍋にして火にかけて食べる
    青森名物をケンさんにごちそうになって

    すぐ
    一番近い川で石を拾い始めたのでした。

    ふるさと資料館から近くて
    大きい石も沢山あるのですが、川の中洲に石があるので、
    まず、膝くらいまでの水位の川を越えて中洲に行って拾うわけですが、
    サンダルを持っていなかったので、
    ただでさえ裸足で、石の河原を歩くのは痛いのに
    大きな石を持つとその加重で
    もの凄い足つぼを刺激される感じになって、痛いのです。

    でも川の水は冷たくて、丸くて美しい石を選んで運ぶ行為は
    なんとも言えず楽しいものでした。

    DSC02239s_.jpg


    DSC02065s.jpg


    スイッチさんも一緒に石を運ぶのですが、
    途中から、中洲から岸に石を運んで川を横断するのを止め、
    石を岸に向かってボンボン放り投げるのでした。
    体力のない女性であるスイッチさんのこの行為は
    後々にとって、とても示唆に富んだ行為でした。

    ケンさんも石を岸から車に運ぶ手伝いをしてくれて
    ケンさんの乗用車のトランク一杯に石を拾い
    スイッチさんの自宅から持ってきた石と
    トランクの石を下ろして初日の作業を終えたのでした。

    DSC02068s.jpg


    その時、ケンさんはスイッチさんが大切に集めてきた石たちを
    ポンポン地面に投げていくので、そのうちの一個の石と石がぶつかって
    二つに割れてしまったのです。スイッチさんは、ケンさんにはもう
    石を運ばせないと怒っていたのですが、

    これもまたケンさんの示唆に富む行為だったのです。
    つまり、簡単に割れるような石はストーンサークルに使うなという
    意識的か、無意識的かはわからないけど
    メッセージが籠められていたのです。

    それから連れはしつこく、川で石と石をぶつけて
    割れない石だけを選んでました。

    aomori12s.jpg
    撮影 山形淑華「鮭の川」


    次の日はとりあえず、朝から川を遡り、石探しを行い
    やはり、最初の場所が一番良いなということで、石集めを行い
    スイッチさんのスタッフであるエレキさんが昼過ぎに軽トラで来てくれて
    石を運びました。

    この日一日であらかた、近くの川に落ちていた、石棒状の石、丸くて細長い男根状の石は
    エレキさんと二人で拾い尽くしてしまいました。そして日暮れに死んでいた鮭を回収し、
    どこに埋めるか決めかねて、獣に盗られないために木の上に吊るし、

    スイッチさんが自宅から持ってきた石と、河原から運んだ石棒状の石を立て
    一つの小さなサークル状の塊ができたところで、日が暮れ

    明日は誰も来れないから、Kさんに車出してもらえないか頼んでみて
    というエレキさんの言葉に従ってKさんに頼んで見るが、
    Kさんは仕事で忙しく無理だというので、
    誰か他の人がいないか聞いておいてくれるとのことでした。

    そして次の日になったわけですが、
    制作期間13日間の内の二日間が終わり、広大なグランドのほんの少しぽつんと石の塊ができたところで
    今日は人力で石を運ぶとなると、どうすんだこれ、と思ってグランドに行って作業をしていると

    昨日からグランドの草刈りをしてくれていたおじちゃん、おばちゃん達の監督で
    グランドの上から椅子に座って眺めていたおじさんに、
    大きくて長い石落ちてる場所知りませんかね、と尋ねると
    知らん、と一蹴に付され、そうですかと話を聞いていると
    そういえば、採石やってた山のところで、大きな棒状の石見たような、というので
    見に行きたいか?と聞かれ、ぜひお願いしますと言うと
    じゃあ行くぞと、大きなトラックに部下の一人を連れて
    石山に連れていってくれたのでした。

    いったいこの人が誰なのかもわからないまま、蟹田港を通り、海沿いを走ってから
    山の方にずんずん走って行ったのです。川の近くにはかなりいい石が落ちていたのですが
    その採石跡までいってみると、意外と大きな石はなく、あっても脆い石が多かったので、
    来た道をゆっくり下りながら、トラックに石を拾っていきました。

    そしてある程度積んだところで、今度は海に行くぞと出発したのでした。
    ちょうど昼頃だったので、飯はと聞かれ、弁当つくったけど
    置いてきてしまいました。と言うと、まあいいここで食べようと、

    行きつけの食堂に入って、がんばってもらいたいから食べろと言われて
    ホタテラーメンと若生(わかおい)という昆布で巻いたおにぎりをごちそうしてもらったのです。

    aomori11s.jpg
    撮影 山形淑華「わかおいのおにぎり」


    この時点でまだこの人が誰だかよくわかってなかったので、
    草刈り会社の社長さんなのかと思って
    部下の人に、社長さんなんですか?とトイレに立った時に訪ねると、
    あれは、役所の○○課の人だよと言われ、初めてその正体を知ったのでした。

    ホタテと海草の入ったラーメンは凄く美味しくて
    わかおいという緑の色あざやかな昆布で巻いたおにぎりは、ここの名物らしく
    とても磯の香りのするおいしいおにぎりでした

    それから、冷えた海苔巻を巻いた醤油餅、磯辺餅やホタテの干したのまでお土産にもらって
    磯辺餅というのは、焼いた餅に醤油をつけて海苔を播いたのはよくあるけど、
    それを冷やして食べるというのが、意外ですごくおいしかったのです。

    それから、少しだけ海に行ってふるさと資料館に戻りました。

    これが、現代における精霊というのはこういう人なんだと知ることになる
    スイッチさんのブログでも登場する蟹田の精霊さんとの出会いでした。

    それからは、俺が動くとなにかが動くと言いながら、トラックで蟹田中を走りまわり、
    採石場から川から、地元業者に顔パスで頼んで、石山を見つけてくれたり、
    ストーンサークルの石を探してくれたのです。

    そして精霊さんの部隊の一人おじさんが、家に丸石が沢山あって、オノみたいなのもあるし
    おばあさんが丸石で庭を作ってたと言ったのを、
    うちの相方が真に受けて、その丸石を見たい、写真に撮りたいと言い出し、
    この相方も精霊みたいな奴なんだけど、

    その人の家が竜飛岬の方だと言うので、滞在中に一度は竜飛の方も行ってみたいね
    と諫めていたところ

    蟹田の精霊さんは、その話をした直後の、仕事終わりに竜飛まで車でぶっ飛ばし
    部下の人の家を訪ね、
    丸石の庭から、石を持って行っていいよと言ってくれたのです。

    tappi01.jpg
    撮影 山形淑華「竜飛への道」


    その庭がまたすばらしく、小さいスペースなのですが、
    その辺はアイヌの集落であったらしく、
    川沿いに道が家の敷地に繋がって、
    庭一面に石が敷き詰めてあるような、未だにアイヌの集落の雰囲気を残しているような
    すばらしい場所だったのだけれども、
    丸石に交じって、磨製石器みたいなのが立っていたり、
    家に伝わるオノというのは、どう見ても縄文時代の磨製石器だったり
    すごい家だな、と驚いていたのです、

    tappi02s.jpg
    撮影 山形淑華「丸石」丸石の庭は裏側にある



    そして大変美しい丸石の庭だったので、持って行っても問題ない丸石と
    大きな石を少しだけ頂き、磨製石器は借りていくことにして
    精霊さんは、そのまま、竜飛岬まで行って、
    すばらしい景観を見せてくれたのでした。
    夕暮れの竜飛岬は石が沢山あって本当にすばらしいところでした。

    tappi03ss.jpg
    撮影 山形淑華「竜飛海岸」




    蟹田の精霊さんは落人の研究をしていたり、津軽におけるアイヌ語地名の研究をしていたり、と
    民俗学にも詳しく、この竜飛地域ではまだ、磨製石器が見つかっていなかった、
    明日ふるさと館のKに見せてみると、意外な発見を喜んでいました。

    竜飛から帰ってきて、真っ暗なグランドで、
    蟹田の精霊さんは、夜も明かりをつけて作業をしてたら、地元の人も感心して興味を持ってくれる
    だからそれぐらいやんなきゃだめだ、それぐらいやるなら、俺は前夜祭にライトアップして
    火を焚いてやると言ってくれました。それに心うたれた僕らは、
    ちょうど、星が出ていたので、もうちょっとやって行きます。
    ありがとうございました。とお礼を言って別れ、

    昼食べなかった弁当を食べて、満点の星空を眺めながら、
    集めた石を星のしるしに沿うようにして、グランドを歩きながら置いていったのです。
    この星に導かれるように石を置いていった時間は、ストーンサークル制作の一つの
    無意識の設計図を描くような時間だったのかもしれません。

    まわりはほとんど見えないから、石と石との関係も良く見ず、
    星と石と私(渡し)の身体をつらぬく光の落ちるようにして石を置く。

    そして次の日、
    蟹田の精霊さんとふるさと館のKさんとのかけあいが漫才のようにいつもおもしろいのでしたが、
    Kさんが頼んでおいてくれた人がこの精霊さんなのでした。

    磨製石器は、やはり本物で、このアイヌ集落だったところに住んでいた部下の方は
    正月にこの磨製石器を囲んで、親族で集まるというのが、決まりになっているらしく、
    磨製石器は大切なものだから返すことになったのですが、
    未だに、縄文、アイヌから続く文化の息吹が残る
    津軽半島という地の力をすごく感じました。

    それとこの人は石を探すのを河原で手伝ってくれたのですが、
    一人でどんどん川を遡り、形の良い石を探してきてくれる、
    石に対する鋭い感性を持った人でした。

    丸石で庭をつくったこの方のおばあさんもきっとシャーマンで、
    縄文から続くアイヌのシャーマンの血筋の人なんだと思います。

    赤坂憲雄さんの『遠野/物語考』を読んでいたのですが、オシラサマについての項で
    正月に巫女(イタコ)と親族の女たちが集まって、呪文を唱えながら、
    オシラサマを遊ばせる姿が描かれているのですが、
    この光景は、磨製石器を囲んで集まる旧アイヌ部落の一家の姿とそのまま繋がり、
    オシラサマと縄文の石棒崇拝とを
    アイヌ、縄文、東北で繋ぐ、イメージの連環を感じさせます。
    そしてジェファーソンを遊ばせる、山田スイッチさんもまた
    このオシラサマを遊ばせる、巫女の血筋を引いているのだろうなと思わされます。

    とにかく、蟹田の精霊さんは、グランドを見渡す、資料館の高台にテントを張って
    椅子とテーブルを置いて、作業をみつめながら、お茶の時間になると草刈り部隊の人たちと一緒に
    お茶に誘ってくれて、青森の美味しいりんご100%ジュースや氷餅や栄養ドリンクなどをくれるのでした。
    そして草刈り部隊のおじさん、おばさんもすばらしい方たちばかりでした。

    EPSON009s.jpg
    撮影 山形淑華「精霊と精霊部隊」



    完全にこの蟹田ストーンサークルは僕、僕と連れ、僕らの力を超えたものでした。
    その中でも、この蟹田の精霊さんは最も力を貸してくれた、この人がいなければ
    蟹田ストーンサークルは実現できなかった人です。

    この人のおかげで、最初は小さな石のサークルだったのが、10倍以上に拡大したのです。


    そして、もう一人、この現代のストーンサークルをつくろうと言う天啓を受けたというか、
    それを閃いた現代の巫女、山田スイッチさんもやはり、すごいものを呼び寄せるのでした。

    まず、スイッチ家にあった石、漬物石として使われていたものや代々家にあった石が
    これいい形の石でしょ、とスイッチさんが言っていた石が
    すごい存在感を放っていて、それが中心になるだろうと予感していたのですが
    やはり中心石はスイッチ家の石になりました。

    それからスイッチさんは河原で、石を中洲から岸に投げてたのですが、
    それが、石拾いの方法のスタンダードになっただけではなく、

    ストーンサークルを作っていく過程でも重要な位置を占める方法になったのです。
    石投げについては、中沢厚さんの『丸石神』の中で、ショウブキリの河原での石投げ合戦や
    石による割礼のイメージもあったり、アイヌは川に置いてある石をみだりに動かしてはいけない、
    石の並び自体が、占いの予兆になっているというイメージもあり

    石を投げることに含まれる、占い性
    石を投げて、濡れた大地に突き刺さる時の快感、その行為は石を運ぶのを手伝ってくれた人たちが
    トラックから石を下ろす時、あの辺にお願いしますと言った辺りに
    石を放り投げるその無意識の手技が
    成せる形がとても美しく、その多くの人の手技と無意識をそのまま、ストーンサークルの形に
    取り入れたいという方法を呼び出す、最初のきっかけが、スイッチさんの
    河原での石投げという、とても合理的でもあり、占い的でもある行為に示唆されていたのです。

    僕ら自身も、遠くに重い石を運ぶのに投げるという合理的な方法と、運を天に任すという
    無意識がなるべく顔を出すような方法を基本とし、
    そこに生まれた形を生かす形で石を組んでいったのです。

    そして、竜飛に行った話をスイッチさんにすると
    スイッチさんも竜飛には行ったことがなかったので
    とにかく竜飛に行こうと、なぜか、竜飛岬に向けて、僕らは出発していたのです。

    夏の原始感覚美術祭で縄文研究家の田中基さんの縄文夜話で
    新潟の寺地遺跡に埋まっていたサメの話を受けて、
    田口ランディさんが、ネコザメは陸上に上げられると、
    七転八倒して肺呼吸をし始めるという話を本で読んだという話をしてくれたので、
    サメの骨をぜひストーンサークルに埋めたいと思っていたのですが、

    蟹田の精霊さんに、竜飛からの帰り道で
    北海道と大間の漁火を見せてもらいながら、
    大間のマグロは本当は三厩(みんまや)の辺りで捕れているが、
    昔、大間はマグロを名物として売り出し、、
    三厩はマグロよりサメ漁を名物として売り出したために、
    三厩のサメは下火になり、大間のマグロは有名になった
    という話を聞いていたので、三厩にはサメがいるらしいということはわかっていたのだけど、
    どうしたらサメを手に入れられるかはわかっていなかったのです。

    そして三厩漁協に着き、サメどうしようか、とりあえず、
    竜飛行くかと通り過ぎそうになったところ、
    三厩石のところへ来て、すごい石だとは思ったけど、
    蟹田の精霊さんと来た時は急いでいて
    車から見ただけだったので、降りて見てみることにして

    三厩石は元は海の中にあり、波が巨石に穴をうがった、すばらしい空間なので、
    しばらく、三厩石を堪能したスイッチさんと僕らは
    折角だから、漁協行ってみるかと、

    漁協に行き
    おじさんに尋ねてみると、昼にはサメ漁から船が戻ってくるから、
    サメも手に入るだろうと言ってくれて

    よかった、それじゃあ、竜飛に行って戻ってきたらちょうどいいね
    と車に戻ろうとすると、
    ポッポッポッと湾に船が一艘入ってきました。

    それがちょうどサメ漁の船だったのです。
    そして、スイッチさんが、サメを欲しいのですが、分けてもらえますか?
    ストーンサークルというのを大山ふるさと資料館につくってる者なのですが、
    と尋ねると
    「もってけ」
    と漁師のおじさんが
    船一杯に積まれ、まだ生きているサメを一匹渡してくれたのです。

    そして、お礼を言っていると、引っかけ棒のようなものでサメを
    岸辺に上げて選別している別のおじさんが、
    「一匹でいいのか?もう一匹もってけ」
    ともう一匹サメをくれたのでした。

    なぜかわからないけど、商品であるはずのサメをまるごと二匹も頂いた僕らは、
    サメの螺鈿細工のように妖しく美しく光る眼に心奪われながら、
    お礼を言って車に戻ったのですが、
    連れが、ストーンサークルフェスティバルのチラシを
    三厩漁協の人に渡してくると言って渡しに行って、
    そのまましばらく戻ってこなかったのですが、走って戻ってくると、
    もうチラシは貰ってるということだったので、
    もしかしたら三厩漁協の人たちは、ストーンサークルのことを知っていて、
    それで協力してくれたのかもしれない
    外ヶ浜町全域にチラシを配ってくれた、Kさん達に感謝です。

    ということで、スイッチさんの、竜飛へという啓示のような、
    行動によってストーンサークル制作に欠かせないと思われていた
    サメを二匹も手に入れることに成功したのでした。
    そしてそのまま、竜飛岬を目指し、竜飛岬のすばらしい景観を満喫し、
    岬で三人で合気道の呼吸をやってから、すぐ、
    スイッチさんは子供の迎えの為に家路を急いだのですが、
    その竜飛岬での、昼間の海の岬の風景、
    海の半円状の水平線の遠い波しぶきのつくる風景というのも、
    どことなく、ストーンサークルの光景と重なり、
    海のストーンサークル、海の平ら、
    海を呼び起こすことについてのイメージを喚起していたのです。

    石庭では石をしきつめ波を描き、島をつくる、
    石は水を蓄え、水を治める、水の象徴なのです。
    だから、ストーンサークルもまた、水の、海の象徴でもあるのだろうと

    そして、また連れが、スイッチさんをどうしても磨製石器の丸石の庭に連れていきたいと、
    精霊さんの部下のおじさんの家を探して、辿りついたのですが、
    その集落は、サメがこの辺の名物であるか、
    ふるさと資料館で働く学芸員の方にスイッチさんが尋ね、
    三厩がサメの産地ですよと、貸してもらった三厩の資料に載っていた、

    海の丸石を墓石にした写真の、
    ここに行きたいと連れも僕も話していた場所が
    元宇鉄という、そのおじさんの集落だったのです。

    なので、その墓を探し出し、行ってみたら、もう海の丸石の墓はなくなっていたけれど、
    自然石を墓石にしているのは残っていて、
    墓域を自然石で囲んで示している部分も残っていて、
    集落を見下ろす高台の墓所で
    ストーンサークルの小さな原型のような場所を見ることができたのです。

    そのおじさんは留守だったけど、庭を見せてもらい、ふるさと館に帰りを急いだのでした。
    そしてサメをどうしようかということになり、食べてから埋めることが大事なので、
    ぜひスイッチさんにも食べて欲しかったので、スイッチさんに一匹持って帰ってもらうことにして、
    サメまるごと一匹持ってくる嫁、ってどうだろう?でもばあちゃんがなんとかしてくれるだろうと、
    そのままスイッチさんはサメをトランクに詰めたまま子供の迎えの為に家路を急いだのでした。

    それと入れ違いに応援にきてくれたエレキさんと、縄文友の会のNさんが着いて、
    小国ふるさと体験館で、まず、サメのさばき方を聞いて、小国ふるさと体験館では、
    まっしぐら弁当やおいしいパンをつくって販売しており、調理師のおねえさんがいるのだが、
    そのおねえさんはサメは捌いたことはないと言いながら、見事に手際よくサメを捌いていき、
    なぜか器用なエレキさんが初めてだけど半分サメを捌いて、

    おねえさんはそのまま、頭を茹でてから、ほぐして大根おろしとあえて食べる料理を作ってくれて、
    それがその日の晩飯になったのだけど、凄く美味しかった。

    その前日にも、エレキさんとNさんは弘前の川でも、大きな石を拾って持ってきてくれたのですが、
    そのNさんには蟹田に来る前、弘前で家に泊めてもらい、とてもお世話になり、
    小牧野ストーンサークルが見たいと、連れていってもらい、
    秋田の伊勢堂岱ストーンサークルが見たいと連れていってもらい、
    そのまま近いから、大湯環状列石も見たいので、急遽連れて行ってもらい、
    そこで見た三つのストーンサークルと、
    特に夕暮れに見た、大湯環状列石の夕陽を浴びた、石たちの膨らみが、
    幽気が騒ぎはじめる時間の涙、のような特別な時間、
    内藤礼さんの、たくさんのものが呼び出されている、のような、
    たくさんの他者の声、他者の存在、死者たちの存在が、
    立ちあがった石たちの夕ぐれの赤い光の震えを映した石の膨らみの溢れるのような時間に、
    打たれていた。石が立つというのは人の影、その死者の存在を感じていたが、
    これほどまでの他者性、これをつくった時間の層の重層性と多くの人の関わった、
    時層とずれが、一つの空間に宿るとは、
    それとも空間自体が多層な時間を持って存在しているのかもしれない、
    それにしても、陽が傾き、暮れていく時間に、
    急に、石たちは騒ぎはじめ、無数の声を発し、震え始めたのだ。

    これは、あの言葉を失う光景、震災と津波によって失われた光景によって、
    言葉を失った私たちが、声なき声を、言葉ではないもので、うたう、
    為の一つの答えがそこにはあったような気がしたのです。

    そこで私(渡し)になにかが宿った。
    連れは連れで、ストーンサークルにとりつかれ、うたと踊りを始めてしまい、
    大地を踏みしめ、石たちを呼び起こそうとしていた、

    Nさんが帰って娘さんと奥さんと過ごす団らんの時間を奪っていたが、
    Nさんはそれを笑いながら、優しく眺めていてくれた、
    そんなNさんの懐の深さにも、青森という地の持つ奥深さと、すばらしさに感じていたのです。

    ※Nさんも実はいろいろなことをやってるという謎の人物でなにかの社長なのかと思っていたら
    役所の職員もやっていて、精霊さんといいNさんといい、こういう人が役所にいることが、
    青森という地の底力なんだよなと思うのです。Nさんのような遊びも、事務もわかる人がいて、
    スイッチさん、雪さん、ランディさんという現代の巫女三人もいて、
    そのもの凄いエネルギーを支えていっている男たちがいる、エレキさんもだけど、
    これは卑弥呼の時代以前から、縄文から続く日本のもっとも力を発揮するスタイルなんだと思います。
    縄文友の会はそこがすばらしい。僕も縄文友の会・長野支部長にしてもらったけど、
    うちにも、連れという無茶苦茶な現代の巫女がいる。

    そんなことで、ストーンサークルをつくるにあたって、幾つか言葉を書きつけて、いたので、
    それを書いてみようと思います。

    どうしようもないおもいのたけ
    宇宙を彫刻する
    山の円環
    意味性は一要素に過ぎず、ただ美しいこと、
    惑星の傾きをずらすこと(小牧野ストーンサークルより)
    海の葬列
    エロスの遊び
    再生(縄文研究家、森幸彦さんより)
    われわれは言葉を失った、言葉を失ったところから始めよう
    風を迎いいれること(伊勢堂岱遺跡より)、
    浮遊(田口ランディさんに勧められて読んだ『集落の教え100』より、
    小牧野ストーンサークルの石の丸みの膨らみが、浮遊感を生み出しているようなイメージから)

    やはり、スイッチさんをストーンサークル制作に向かわせた要因には
    震災と津浪のことがあったと思うし、僕がストーンサークルに向かい、籠めたものも、
    言葉を失うような風景を前にして
    それでも、それだからこそ、なにかをしなければならない、
    その無限の受け皿としての大地と石たちが与えてくれた、
    時間と空間の再生が、あそこだったと思います。

    言葉のない、無数の人の手による祈りの行為。

    だから、鮭が川を遡る姿を見れたことも、凄く啓示的だった、海と川は繋がっている。
    川は海へ流れるものだが、鮭という生命の舟に運ばれて、海から川へと遡る道がある。
    そしてその川に抱かれ、流れに磨かれ、まあるくなった石の膨らみに宿るものを、
    一つ一つ、拾い出して、
    それはタマを掬いあげる行為かもしれない。
    それを大地に置き、雨で潤んだ大地に突き刺し、
    あるときは放り投げ、大地を叩き、揺り起こす。
    そうして雨で潤んだ大地の泥に、石棒を突き刺す行為は、非常にエロティックであり、
    大地との交感行為だ、そこには非常な快感があり、同時に死者に対する祈りでもある。

    そして、あの家々を飲みこみたくさんの命を飲みこんで行った黒い波、
    家は燃えながら流れていった。そのすべてを飲みこむ力の塊の姿が目に焼き付いて離れない、

    その姿を石の波に重ねて託していたのかもしれない。

    だから、鮭の骨は先触れ、としてその、標として埋めた。
    サメは、海で魂を食べたかもしれない、
    私たちは食べて食べられることで、生をつないでいる。
    だからそのサメの骨を中心の子宮石の下に埋めたのだ。

    ※子宮石とは石窟古墳の奥石のことを鏡石というのだが、
    壱岐島で出会った石窟古墳の奥石を子宮石と思わず呼んだことから


    と、まあNさんとエレキさんも泊まりこみで、石を運んでくれて。
    ふるさと記念館の中庭にあった、縄文の頃には崇められていたであろう、
    大きな丸石(子宮石)を三人がかりで運び、暗くなるまで、石を運んでは放り投げを繰り返したのです。

    そして食事はどうしていたかというと、スイッチさんのばっちゃがつくった野菜と、
    スイッチさん一家でつくっているおいしいお米をたくさん頂いて、調味料も、
    今まで味わったことのないようなおいしい、
    りんご入りの醤油だとか、岩塩だとか、八方汁だとかをスイッチさんに頂いて、
    凄く美味しく健康的な食事を自炊して頂いて、

    スイッチさんがばっちゃの料理したサメの醤油漬けを差し入れてくれたり
    (まったく臭みがなくサメ料理とは思えないぐらい美味しかった)
    具だくさんのうどんを作って来てくれたり、肉じゃが作ってきてくれたり、
    主婦力あがったと言って弁当つくってきてくれたり、
    玉砕さんという縄文友の会のメンバーで玉砕と書かれたTシャツを着ていたから、
    そういうあだ名になったYさんが八戸に住んでいるのでせんべい汁つくってきてくれたりと、
    本当にすばらしい、縄文友の会というその名、そのままに縄文的な、すばらしい人たちが適当に、
    うまく集まってフォローしてくれたおかげで、
    本当に暗くなったら、飯作って、飯食って、朝日が出たら、ふるさと体験館からふるさと資料館まで、
    貸してもらった自転車で20分くらい行って日暮れまで、石を運び、並べ続けるという作業をぶっ通しで
    13日間やり続けることができたのです。

    aomori13s.jpg
    撮影 山形淑華「通り道の案山子」



    スイッチさんのばっちゃのつくった野菜は、
    たぶん、ばっちゃその人の人柄そのままに、
    すっごく美味しくて、元気が出るのです。

    他にもスイッチさんやNさんにはおやつや足袋やら、合羽やら、9月に出発してワタラセ、会津と旅して
    弘前に辿り着き、10月の青森の寒さに対応する防寒着を持ってくる余裕のなかった僕らに、
    ケンさんやNさんの着ていなかった防寒具などありとあらゆるものを頂いて、
    本当にありがとうございました。そのおかげで、
    もう本当にストーンサークルをつくることだけに集中することができました。

    そして、小国ふるさと体験館の方にはおいしい食事を分けて頂いたりもしました。
    それから元小学校なので、図書室があり、そこでスイッチさんが発見した蟹田町誌を読むことからも、
    かなりイメージをもらいました。

    それは蟹田の精霊さんからあるとき、12のサークルをつくってほしいと言われ、
    蟹田地区には現在12の地区があるので、それが集まって、大きなストーンサークルができているというのは、
    大湯環状列石で感じた、たくさんの他者が集まっているイメージとぴったりだったのです。

    その蟹田の12地区の成り立ちが事細かに蟹田町誌に書いてあったのです。
    だから、スイッチさんにたくさん、巨石や石にまつわる本を借りていたのですが、
    写真は全部見たのですが、石運びから帰ってくると疲れてすぐ寝てしまったので、
    文章はまったく読む余裕がなかったのですが、蟹田町誌だけは読むことができました。
    そこから、なんとなく、12のサークルを作ろうというイメージが生まれていたのです。

    それから
    ストーンサークル制作中という看板を幾つも資料館のKさん達が用意してくれて、
    車からもよく見えていたのですが、車道のガードレールから、
    毎日おじいさんが眺めているのが気になっていました。

    何日か目に話しかけて来てくれて、
    ここでも昔は川から拾ってきた石を立てて墓石に使っていたから、
    懐かしいという話をしてくれました。

    墓の場所は、今は公園に移っているのだけど、
    昔の墓地はふるさと資料館のすぐ近くに住むHおじいさんの家の裏手の田んぼの中にあるというので、
    連れていってもらい、何もない草の更地になっていたけど、
    墓石は新しく御影石なったから、もしかしたら、
    この下に墓石につかってた石棒が埋まってるかもしれないよと話してくれました。

    そして家に寄っていってください。と家にあげてもらい、いろいろ話を聞きました。
    おなじ川石を墓石につかっていたという話は、とてもイメージを与えてくれました。

    蟹田の石棒は赤い、オレンジ色をしているのです。
    あまりストーンサークルで赤みの石は見たことがないけれど、
    それから、その赤茶けた色の石が立っていると、
    死者の石、墓石を連想させてくれるようになりました。

    そしてなにより、興味をもって毎日、見に来てくれて、
    差し入れの飲み物などもくれるHおじいさんのような人がいたことは、
    本当に励みにもなり、あの場所にストーンサークルをつくることの意義にもなりました。

    そして、もう一つ、気になっていたことは小牧野ストーンサークルの石の材料になった川に落ちている石は、
    緻密で重い安山岩であり、その溶岩がもの凄いエネルギーを凝縮させ、固まったものが、
    さらに川と水に磨かれ、魂をいれる器のようなタマになっていること、
    スイッチさんに事前に聞いていた、安山岩は石英を多く含み磁場をつくると言うこと。

    蟹田の近くの川の石は、石棒もあるのですが、
    その緻密で重い小牧野の石よりは強度が低いようだったのです。

    それが、ストーンサークルという時を超えて、祈りを伝える素材として、
    良いのかということはだいぶ悩みました。
    だからエレキさんとNさんに他の場所の石も探してきてもらったのですが、
    結局それは、蟹田の精霊さんが採石の石山を見つけてくれたことによって、
    それも地元の河原石だったのですが、それは緻密で重い石だったので、
    そこからもたくさん、小山の形が変わるぐらい石を頂くことで解決したのです。

    川の赤い石もKさんによると安山岩だということだったのと、
    墓石に使われていた石で、美しい長丸石だったので、
    連れによると幽霊船だ、という墓域の部分に使われました。

    しかし、当初からずっと気になっていたグランドの端にあった
    壊れた遊具がだけがどうしても、邪魔だったのです。

    大湯環状列石の草原の真中に
    ストーンサークルが立っている様は、
    思わず走って駈けよってしまうような気持ちのよさです。
    あれは何もない森に囲まれた広大な草原に石が立つという
    すばらしいロケーションゆえの空間性なので、

    壊れて使えない遊具が、ロープを張られて目線の端っこにずらっと並ぶ様はどうしても
    ストーンサークルの広がりを阻害していたのです。
    だからエレキさんやKさんになんとか撤去できないか
    相談していたのですが、コンクリの土台がしっかりしていて、
    処分も含めて業者に頼むと大変な額になってしまう。
    ということで、困難を極めていたのですが、
    やはり蟹田の精霊さんに相談し、役所が重機を持っているらしいけど、
    借りられないですかねと尋ねると
    「無理だ」と一蹴に付されて、そのまま話を聞いていると、俺ならできるけどね、
    と溶接で根元から切って処分まで含めて、安値できるというのです。

    そこで、スイッチさんにどうしてもあの遊具をどかしたいのだけど
    蟹田の精霊さんが安値で引きうけてくれるらしいので、お願いできませんかと言おうと思っていたら、
    蟹田の精霊さんとスイッチさんの間で話があったらしく、

    スイッチさんは遊具をとりましょう、お金はなんとかするから、精霊さんに杉原さんからお願いして
    きっと精霊さんもそれを待っていると思うからと言ってくれたのでした。

    そういうスイッチさんの想いと蟹田の精霊さんの想いは本当にありがたいものです。
    そして精霊さんにお願いすると、またたく間に、遊具は撤去され、
    ストーンサークルとして非常にすっきりとした気持ちのよい空間になったのです。
    こういう人の想いの一つ一つがすばらしいものをつくっていくのだと思います。

    その後
    青森のアートNPO harappaの小杉さんと手伝いのSさんが来てくれたり、
    舞踏家の雪雄子さんも舞踏のイメージをつくりに来てくれたりして

    だいぶ、完成日も迫ってきたところで、
    象徴になるような大きな丸長の石棒がどうしても見つからず、困っていると
    やはり蟹田の精霊さんが、俺が動くとなにかが動くと
    知り合いの業者さんに頼んで、巨大な石を見つけ出し
    巨大なトラックについたクレーンで、巨大な石棒を運んでくれたのでした。

    人の手ではまったく動かないような巨石は、ご神体のような存在感を放っていました。
    精霊さんは、その二本の巨大石棒を地元の方のシャベルカーまで借りて、設置してくれたのです。

    その石の位置を決めるのは、本当に一発勝負というか、その場の直感しかない状態で
    ほぼ、即決されましたが、

    その二つの石棒によって空間は一気に宇宙的な広がりになったのです。
    蟹田の精霊さんは、その二つの石棒を、お太子様の背のように見えると言って
    喜んでくれました。その石の一つは僕が、
    もう一つはあの磨製石器のおじさんがみつけてくれました。

    石棒を運ぶ時にはトラックが、連日の雨でぬかるんで、動かなくなって、ぬかるみから出すのに
    大変な思いをしたり、蟹田の精霊さんや部隊の方には大変な協力をしていただきました。
    精霊さんや部隊の人は石を集める作業や石を運ぶ作業に大変な力を貸していただきました。
    これは本当に蟹田という地に暮らす人たちが力を貸してくれたからこそできたストーンサークルです。

    車の運転もできない僕ではとうていできない規模のものです。
    でもだからこそ、それを見かねた精霊さん達が力を貸してくれた。
    これはもう重機をつかった現代の大人の遊びのような、
    なんの計画性もなく、精霊さんの想いによってなされた
    祈りのような崇高なものと遊びが融合した素晴らしい祭でした。

    そしてストーンサークルの構造に関してですが、
    縄文友の会のNさんに連れていってもらった伊勢堂岱で会った、
    ボランティアのおばさんにもらったストーンサークルのパンフレットの
    大湯、小牧野の構造を綿密に見続けて、石の並びを描きうつしたりしながら、

    大湯の構造は、日時計のような一番長い男根石は中心ではなく
    中心にはむしろ、三角形に近い、空間の削れた、受けの石が来ている、
    つまり、女陰、子宮のような女性的な空間が中心にあり、
    日時計の男根石に夏至か冬至の朝日か、夕陽がさすと影が延びて、
    中心に刺さるという構造になっているということを、見出し、

    それが再生の祭りの瞬間、夕陽をうけて石たちが騒ぎだす時間の奇跡を生み出す構造に
    なっていると考えたのです。中心は男(男根)ではなく、女(女陰)なのですね。縄文は。

    だから、縄文的には夏至と冬至の様子を見てつくる必要があるのですが、
    今回は3.11という日があり、それはちょうど春分の日に近い日であり
    10月9日のストーンサークルフェスティバルの日も秋分から近い日で、ほぼ、それが
    裏返った日の光に近いだろうということで、

    どうしても朝日が昇るところを見たくて、
    朝5時頃に資料館に行ってみるのですが、
    天気がずっと悪くて、見えず、フェスティバル前日になって
    やっと朝日を浴びたストーンサークルを見ることができて

    その朝露に濡れた石たちが、朝陽を浴びて刻一刻と白く変化していく
    その色の呼吸には心打たれるものがありました。

    ふるさと資料館には大きな木が生えていてそれが夕陽が沈む時間には
    大きく影を落としてしまうので、そこまで夕暮れには劇的な時間は訪れないのですが、
    朝陽は、陽が昇るほうに一段低くなった田んぼが広がっているので、
    遮るものが何もない、美しい影を落としてくれるのです。

    だから、ぜひ蟹田ストーンサークルには朝陽を見に来てほしいです。
    それはとても特別な時間なのです。

    この時間帯には、石を並べる作業が非常にスムーズに導かれるように進みます。
    そしてある程度、陽が高くなると、ふと目が覚めたようにくっきりとしてしまい
    なにか切り離されてしまうのでした。

    朝陽、夕陽のあの真赤な光は男根が、女陰と結合した瞬間の
    血の再生の時間なのかもしれません。

    それから、連れと僕とで自然に担当の部分が決まるような感じで石を組んで行きました。
    連れはとにかく、土を掘って石を埋めて、「通路」をつくるように石を組んでいました。
    そして正午の時間に真南の影に沿って石を組んでいました。

    僕はとにかく、石の丸みに呼びだされるままに石を組みつつ
    大湯環状列石の舞台としての構造、まず、厚い石群の石組みが大きく域を作っていて
    それは賽の河原のように、生と死の境のような場所を作り、それをむかい入れる
    産道のような入口があり、
    それは能の舞台の楽屋は子宮のようなものであり、
    舞台に出るとことは生まれなおすことであり、
    あの能舞台の橋を渡る姿は、非常に美しいけれど、
    生と死の彼岸を渡る誕生の歩行なのですね。

    だから舞踏家の大野一雄さんが言った通り、踊りの場所は胎内なのですね
    その根源的な構造がストーンサークルにはあるので、
    その生死の混在とする彼岸としての境を

    その域をつくることを目指していたのです。
    そしてその域を超えて中に入ると、そこはすでに異界であり、
    踊りの場所であり、胎内なのです。

    そこからさらに薄膜の子宮に入ると
    誕生の秘部になっているという構造を想っていたわけです。

    ストーンサークルの南側には小川が流れていて、
    その小川の流れのカーヴに呼び起こされるように、
    舞踏家の雪さんが入っていく道があり、

    それは海から川を遡ってやってきたものたちが
    雪さんに宿り、一時の身体を得て舞い、解き放つ再生の舞台としての
    大地の襞、大地の胎内としての石の子宮の襞なのです。

    そんな風に思っていました。
    だからランディさんがディーパの公演が終わって、白取農園に一緒に泊めてもらったとき、
    言ってくれた縄文はすごく多層なものが重なりあっているという言葉と
    もっとも激しいパッションとは受動することだというイメージに導かれ、

    いろんなものを受け入れていったのです。だから、蟹田の精霊さんの12のサークルのイメージや
    大地の子宮、襞としてのイメージ、Hおじいさんが言っていた墓石や賽の河原のイメージ、
    スイッチさんが言っていた男根のイメージ、3.11の津浪のイメージ、竜飛岬の海の円弧のイメージ
    大湯の踊りの舞台としてのたくさんの他者の騒ぐイメージ、
    そういう多層な深い意味が織重ねられた場というのが
    縄文時代の場であり、縄文人の在り方なのではないでしょうか、

    僕の好きな画家でセザンヌという人の絵がありますが、
    これなんかも、ものすごく多様なものが響きあっていて、

    本当にすばらしいものはいつもそのように深く織かさねられ、響きあっているように感じます。
    詩人の吉増剛造さんの在り方も、非常に多くの他者の声を身の内に宿らせて
    それが囁いているようにして、声が響いてくる。そういうのはすばらしいですね。

    今は非常に意味が区分けされ、非常に豊穣な命の在り方が、衰えさせられているように感じます。
    それを乗り越えて、豊穣でおもしろいものをたくさん呼び出していくためには、
    本当にいろんなものを受けいれるような場が開かれて、
    多くのいろんな人が出会って、身の内にいろんなものを宿らせていけたらいいなと思います。

    だから蟹田ストーンサークルもそういう場所になってくれればいいなと思っています。

    まあ連れには、ダメだしされたり、しながら、
    もちろん、僕も連れにダメだしもしたけど、
    本当に河原の水のように丸い石たちの美しさに、惚れてしまって、
    いつまでもずっと、石を拾って、石を大地に挿していく時間をすごしていたかったです。
    いろんな偶然が、たくさん呼び合って、奇跡のような出会いをつらねていく
    夢のような時間でした。身体はもちろん疲れましたが、
    この体験ができたことは、忘れがたい記憶として刻まれています。

    今も、もう石を集めて、石を立てたい気持ちでいっぱいです。

    そして青森という地に暮らす、スイッチさん、エレキさん、縄文友の会Nさん、玉砕さん
    蟹田の精霊さんと部隊のみなさま、ふるさと体験館のみなさま、ふるさと資料館のKさんとみなさま
    なんてすばらしいんだと思っています。

    精霊さんの指示でかがり火の準備を草刈り部隊の方がしてくれていたとき
    部隊のおばさんが丸太で桁を組んで、その上に稲藁で棒がけという
    この辺、独特の稲を干す形をつくってくれている時、日も暮れて、暗くなりかけの頃、
    「楽しいー、楽しい―」と言いながら、
    藁を組んでくれた時、

    僕はその棒がけの美しい姿と、地元の方とのこんなにも完璧なコラボレーションができたことに
    深い喜びと感動を感じていました。

    こんなにもうまく制作と場とその地の人と響きあった、
    制作体験は未だかつてなかったのです。

    それを成し遂げたのは蟹田の精霊さん、いつも丘の上から見下ろしていて、
    いろいろなお願いごとに、最初は無理だ、と必ず言うのに、すぐに必ずなんとかしてくれる

    精霊さんの監督としての演出力があったからこそと思います。

    そのことからしても、完全に蟹田ストーンサークルは
    僕の力を超えた、個人を超えたものです。
    そこにはスイッチさんやエレキさん、Nさん、Kさんほかたくさんの
    想いが集まってできたのだと思います。

    そして前夜祭の為に、Kさんと蟹田の精霊さんは
    火を焚く為の消防の許可や発電機でライトアップもしてくれました。

    普段はずっと、監督役だった精霊さんも、どうしても迎え火を焚きたいという連れの願いに応えて
    ジャージ姿で、一人スコップ片手にかがり火の周りに溝を掘って火を焚く準備をやってくれました。

    そしてライトアップされたストーンサークルと、かがり火に揺らめく石たちは
    とても美しかったです。街灯の明かりで火の明かりはそこまで劇的ではなかったけど、

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    撮影 片山康夫


    harappaの小杉さんの連れて来てくれた、Sさんも、
    精霊部隊の人と一緒にかがり火焚きを行い、火を囲んでお神酒を飲み交わしました。

    そして
    体験館にはシャワー施設しかなく、ずっと風呂に入っていなかった僕らを
    おでんやトマトスープを作って再び駈けつけてくれた玉砕さんに頼んで、
    蓬田の温泉に連れていってもらい、約二週間の疲れを落とし、
    ストーンサークルフェスティバル当日を迎えたのでした。

    当日
    ずっと、降ったり止んだりの雨で、元田んぼのグランドは水たまりになって
    水の中に立つストーンサークルも美しかったのですが、
    中央部は雪さんが踊るためにぬかるむとまずいから
    水をスポンジで一人吸い出し続けてくれたふるさと資料館のKさん、

    他、記録映像も撮ってくれた本郷さんや、原始感覚美術祭の参加作家で
    滋賀にいたのに駆けつけてくれたIWAさん
    京都芸術センターの学芸員の奥脇さんも展覧会の忙しい中駆けつけてくれて、
    Sさんと一緒に濡れたグランドに草をまいたり、苔で覆ったりを手伝ってくれました。

    そして、まだ石が足りないと、玉砕さんに頼んで、石を拾い、
    並べ続ける中、本番を迎えたわけです。

    スイッチさんのアイデアで、フェスティバルの時にサメの骨を埋めることになり
    放置されて、腐っていたサメの骨を、スイッチさんは一人持って帰り、
    もの凄いアンモニア臭を発していたサメの骨を、臭い、臭いと言いながら
    洗い上げ、自作の縄文土器を器にして、埋めることになったのですが、

    そのサメの骨が白くて半透明な
    本物の妖精か精霊のように美しくて、
    これはもう確実に縄文の人もやっていただろうというものができたのでした。

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    そして、ふるさと資料館にはまたたく間に、フードブースや椅子とテーブルが
    役場の方たちによってセッティングされ、

    縄文服を着たスイッチさんの縄文トーク、バスガイドとともに弘前からくるバスが付き、
    地元のおばあさんたちもHおじいさんに連れられてか、たくさん来てくれて、
    バイクに乗った一団が到着したり、俄然、盛り上がってきたのです。

    小国ふるさと体験館の人たちが作ってくれた豚汁とおにぎりを頬張って、
    腹ごしらえをしてから

    まずスイッチさんの挨拶があり、

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    僕と連れからストーンサークルの説明、
    でも感無量で、ほとんど、言うことなしの、
    ただ蟹田と青森の人に感謝の言葉を述べるだけでした。
    そしてフェスティバルに来てくれた人達は石を持ってきて
    ストーンサークルに置くと言うワークショップを僕と連れでやることになっていたのですが、

    本当は一つ一つどこに置くか、検討しながら、置きたいと思っていたのですが、
    すごくたくさんの人が集まってくれて、もう自由でいいや、と

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    そこに集った人の想いに任せて、置いてもらいました。
    それが思いのほか、みんな、無意識の絶妙なポイントに石を置いていってくれて
    びっくりしました。きっと皆、いろんな想いを持ってここに来てくれて、
    石を置いてくれたんだと思います。いろんな話を聞いてみたかったけど

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    つづく、サメの骨を埋める儀式、
    僕とエレキさんと、縄文イベント常連の青年三人で
    大きな丸石を動かし、穴を掘って、
    連れがサメの骨の入った土器を穴に入れ
    埋めて、丸石で蓋をして、

    最後に縄文友の会会長、田口ランディさんが
    お神酒をその丸石のお腹に美しい螺旋を描きながらかけると
    美しい太陽のような紋様が現れたのです。

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    そして、連れが、マイクで朗読をはじめ、それが終わると
    雪さんの魂籠めの舞踏がはじまったのです。

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    僕は、急遽葬式が入ってすごく楽しみにしていたけれど来られなかった蟹田の精霊さんが
    いつも座っていた丘の上から、その舞踏を見ていたのですが、

    雪さんの舞踏は、まるで、卑弥呼が舞を踊っているように感じられるすばらしいものでした。

    雪さんという舞踏家は、あのストーンサークルという石の、死者たちの観客に囲まれた異界で
    最も生き生きとした生を得ている。

    そんな風に、それは野生の鳥が、一心に誰もいない草原を歩行をしている時の姿のように
    ユーモラスでもあり、真摯な足どりで心を打つ歩行であり

    風に揺らめく、白装束の衣装が風のアウラを纏って共に舞い
    それは常世の波の風にのって、舞う身体はすでに、雪さんという個人から解き放たれて

    常しえの時を越えてきた石たちの発する見えない力に抱かれてダンスする
    身体の解け目のような、
    そういう
    ストーンサークルという空間そのものが舞っているようなすばらしい時間でした。

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    僕は思わず、笑いながら、深く感動していました。

    今まで、自らのつくった空間で、自分でパフォーマンスをしてきたけれど、
    このストーンサークルでは雪さんという巫女が踊るのが一番よかったと思いました。

    なので、蟹田ストーンサークルは、もの自体で完結するのではなく、
    踊りという祭があって、完成した状態になるものだと感じました。

    これを朝陽とともにやったら、もっとすごいことになるだろうな。
    ということで、その魂籠めの舞で、ストーンサークルは完成し、

    その後のコトリンゴさんのライブは、スイッチさんの狙い通り

    ストーンサークルでピクニックしようという、

    すばらしい青空
    それは空に向かって小石を一つ投げたら、吸い込まれていくような
    空に小石を投げたくなるような気持ちの良い空だったので、
    コトリンゴさんの歌は美しくストーンサークルに響き渡っていました。

    ESC_0007s.jpg

    コトリンゴさんは月桂冠のCMで、
    この人の歌いいなあと思って名前を調べたことがあった人だったので
    ふるさと体験館の食堂で、いつもおいしそうに並んでいたけど、
    忙しくて食べられなかった手作りパンを買って
    ストーンサークルの中で、食べながら、踊りながらライブを聴いていました。

    雪さんによる、縄文の芯に触れるようなものとの接触によって開かれていく部分と
    コトリンゴさんによる縄文ポップに開かれていく部分と

    うまく二重の解放があって、ほんとうにすばらしかったです。

    そして、ランディ会長の言葉でフェスティバルはしめくくられ、
    フェスティバルに集った人たちは、皆すばらしい時間を過ごしてくれたと思います。

    本当にストーンサークルフェスティバルに関わってくださった皆さまありがとうございました。

    そして、ものすごく大きなものを蟹田というところに残してきてしまったので、
    また必ず、蟹田に行きます。まだ時間が続けば、ずっと並べ続けていたいです。

    そして、このストーンサークルをつくるという体験は、僕の中で
    忘れがたい体験として宿り、再び新しいなにかを生み出す大切な種となって
    温められています。この体験をもっとたくさんの人に伝えられるように、
    さらなる開かれた場をつくっていきたいと思います。

    そして、この「蟹田ストーンサークル」は半永久設置が決まっているので、
    ぜひ、みなさん、大平山元I遺跡のある大山ふるさと資料館を訪れて、
    「現代のストーンサークル」を見てみてください。

    これが何千年後かに、発見されて、この時代のひとはなんで、これ作ったのかなあ?
    と考古学者に考えてもらえるのか、

    ストーンサークルフェスティバルは
    平成23年度青森県縄文遺跡集客事業として行われているもので、
    縄文の良さをもっと多くの人に知ってもらい

    三内丸山遺跡や小牧野遺跡、大湯環状列石などを
    世界遺産に登録しようという事業の一環です。

    ほんとうに縄文のストーンサークルはすばらしいものです。
    十分、世界遺産に登録される価値のあるものです。
    というか、日本において縄文の文化がもっとも価値ある表現だと
    思うところがあります。

    と、この文章をなぜか、徹夜で書き始めて、半分ぐらい書いたところで
    力尽きて、寝て起きたら、スイッチさんから電話が入ってて

    明日Nさんと蟹田に行って、石の数数えて、直径とか測ってくると電話がありました。

    このなにかの縁のようなものに動かされる感じは、何なんでしょう。
    スイッチさんと話すと、あの、ストーンサークルフェスティバルの熱が蘇り
    テンションが高くなります。

    縄文というもののすばらしさとともに、
    これからも、もっとすごいことが起こっていく予感があります。

    山田スイッチ・縄文ファンhttp://aomori-jomon.jp/essay/?category_name=%E5%B1%B1%E7%94%B0%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%81

    山田スイッチ・『言い得て妙』ストーンサークルフェスティバル~写真編http://ameblo.jp/yamadaswitch/entry-11054512761.html

    山田スイッチ・『言い得て妙』ストーンサークルフェスティバル~当日の様子http://ameblo.jp/yamadaswitch/entry-11045675296.html


    そう、それから、青森のテレビや新聞、ラジオの方も取材に来てくれました。
    スイッチさんも「現代のストーンサークル」というものには皆興味を持ってくれたと言ってました。

    そうそう、そういえば、「ストーンサークルとムラ」というシンポジウムで秋田に来ていた
    縄文研究の第一人者である小林達雄さんが、大平山元I遺跡の見学に来て、
    蟹田ストーンサークルも見ていってくれました。
    ストーンサークルについてのお話も少し聞けました。

    それと蟹田の精霊さんなのですが、サルの駆除もして、
    スズメバチのでっかい巣をスズメバチジェットの二刀流で防護服もなしで、
    たたき落とし、あっという間に駆除するというすごい技を眼の前で、見たのですが、

    会う人みんなが、口は悪いけどいい人なんだよと言うように、
    建築もできたり、蟹田におけるイベントの仕掛け人として
    あらゆることをやってたり、こういう人は精霊であると同時に
    昔だったら豪族の長でもあるのだろうなと思いました。

    蟹田を車で移動するときも、必ず、一週まわるような円運動をして帰ってくるのですが、
    エレキさん曰く、狩人は同じ道を通らないということなので、
    蟹田の精霊さんは、そういう原始的な感性が生きている
    蟹田を守る影の長なのでしょう。

    そして蟹田の精霊さんとケンさんとIWAさん
    おそらく変わった人と言われてしまうこの三人ですが、
    スイッチさんが家族で肉じゃがを届けにきてくれて、
    そのまますぐに帰った日、ケンさんはグランドに下りてきて
    挨拶だけしてすぐ帰ってしまったのですが、
    蟹田の精霊さんは、あれは男だ
    集中して作業している時は話しかけない
    と感心していました。
    IWAさんはシャーマン語を話す
    宇宙と交信するような人なのですが、
    精霊さんはIWAさんをとても気にいったらしく、
    わかおいのおにぎりと氷餅を沢山持たせて、
    あれで旅先でも困らないだろうと言ってました。
    きっと3人には通い合うものがあったのだと思います。


    そうそう、それから、グランドというのは平らなものだと思っていたんですよね
    実際に砂を盛って整地して、水はけをよくしているわけだけど、だから、窪みが
    二か所くらいあって、あとは、平らだから、地形のきっかけがないなと思って、
    石を組む、始まりを探して、とりあえず、鮭を埋める為に穴を掘って、埋めて
    大地のありようを変化させようとしたりしたのですが、あるとき、雨が降ったのですよね
    そしたら、水たまりがどんどんできて、平らだと思っていたグランドも、
    全然平らではなかったのですよね、そこから、動きが生まれて、石が組みあがっていくきっかけに
    なったのだと思います。
    それと縄文友の会のNさんが
    最初に来た時に一人早起きして、日の出の方角を測って、しるしを立てておいてくてたのですが、
    それに連れが真南の石を置いて、その三点の中心が、中心の位置になったのです。

    なるべく、意図せず、無意識が見つけたものを頼りにして
    そんな風につくられていきました。

    そして、スイッチさんたちが、石の数を数えてきてくれました。
    石の数は7700個あったそうです。
    最大直径50mの国内最大級のストーンサークルになりました。

    http://ameblo.jp/yamadaswitch/theme-10043184853.html

    そういえば、小牧野も大湯も川の又のYの字の丘の部分に作られているのですよね。
    蟹田ストーンサークルも一応そういう位置にはあるけど、

    京都の下賀茂神社がそういう女陰のような位置にあって
    川の合流地点に石が沢山あるということもあるけど
    それだけではなく、ストーンサークルは川との結びつきが非常に強い
    大地の子宮というイメージが、大地の血管のような川とも繋がっている。


    会津・漆の芸術祭~東北へのエール~に捧げた言葉

    わたしは手のない土偶の祈りのようにしてじっとしています。
    朝が明けていくときのように、わたしの影からそっと手が伸びて、
    失われたものへと重なるように。わたしはただ立っているだけで、
    そこに夜露の雫が一雫降りそそぐ樹木の静けさのように。
    わたしのエールは言葉を失った。
    失われたものたちに対する声なきエールです。

    これは、言葉を失う風景と失われたものへ
    捧げられる精一杯の言葉だったのですが、

    これがストーンサークルの姿を予言しているようで
    後で驚いたのですが、

    手のない祈りのように立つ石
    朝に伸びていく影、
    そして夜露で濡れた石の呼吸の色

    縄文時代のストーンサークルもおそらく
    人智を超えた天変地異に見舞われた人々が
    失われたものへと捧げられる
    精一杯の祈りだったのだと思います。


    http://sugihara.blog27.fc2.com/blog-entry-287.html
    蟹田ストーンサークルの写真


    それにしても、
    あそこに立ちあがっていた影たち
    囲んでいた石の影たちはもっと視えていた。

    つくりつづけたい。
    大湯が200年以上かかってつくられているなら
    確かに僕の子孫が、いればの話だが、
    つくりつづけるようなものだろう。








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