Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2008-12-30 伊東、宇佐美、「セザンヌ主義」

    伊豆
    宇佐美駅

    比波預(ヒハヨ)天神ホルトの木股の
    陰(ホト)石

    丸石アリ

    巨樹の円蓋
    梢の囀り
    木漏れの踊りの風

    宇佐美城趾の平かな円庭
    蜜柑の樹
    廃稲荷の
    結ぶ路

    海際を
    伊東へ歩く

    干物の試食の食べ放題
    炭火で自分で焼いて食べられる

    伊東温泉に着くが
    温泉浴場は2時からしか開かないので、
    伊東を散策

    小津安二郎の映画に出てくるような
    大きな温泉旅館
    東海館の情緒溢れる佇まい
    外観だけ眺め
    川沿いの道を歩く

    音無神社の
    タブ(玉)の巨樹

    湯川弁天の湯(200円)に入る
    日頃の疲れがとれる
    温泉は最高だ

    伊東からの帰り
    横浜美術館のセザンヌ主義展に行く

    久しぶりに見たセザンヌの絵画群に心動かされる
    温泉に入ってリラックスして出会ったセザンヌには
    大切な何かを受けとった気がする

    展覧会自体もセザンヌとゆかりの作家の作品を集め
    岸田劉生の自画像、静謐な夕刻を宿した静物画など
    魅力的な絵画で空間が作られている
    そのことも出会いの一因かもしれない

    絵画の額ということにも考えさせられたし、
    とてもよい展覧会と思います
    おすすめです

    帰って、伊東のスパーで買った朝どりのごまサバ一匹100円を捌き
    味噌煮、塩焼きとシメサバを作って食べる
    海の味に舌鼓を打つ





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        2008-12-30 水戸芸術館、弘道館

    水戸へ

    連れが弘道館に行きたいというので、
    行ってみる

    引き戸の襖に描かれた
    何気ない
    水墨画の木を見て

    ものが化ける
    ということについて
    思う

    ものに仮想を託すことで
    逆にその本質に至るような
    ものの息吹

    ものが
    生きているものとして
    つき合っていくことの智慧
    というか心が失われて久しいのではないか
    歳経たものが命を宿し妖怪になるといった
    イメージにはなにか人がこの世界で生きていくのに大切な智慧が
    隠れているのではないか、この世界のバランスということに関して

    弘道館公園に
    散った銀杏の黄の絨毯に
    目を奪われる

    水戸芸術館
    友人の淺井くんが参加している
    『日常の喜び』
    入り口から階段を登ると、一番に
    泥絵の巨大な壁画にあっ、と思わされる
    パブリックな美術館にある泥絵の存在はとてもいい感じがする
    特に泥を削って描いた白い壁の凹凸を生かした表現
    土の底の蠢く生き物たちの金の煌めきに惹かれる

    ただマスキングテープを剥がして描いた直線部分は好きになれないが
    バランスとしては必要なのかもしれない

    他、日比野克彦の種と種の人
    文庫本のしおりが糸で作られたクレーンになってるやつ
    藤浩志の不気味なおもちゃの森

    白い部屋にクリスタルの粒子で描いた空間は
    目眩を起こさせる白い部屋のほうが語り、
    描かれたイメージは型が見え過ぎる気がした

    展覧会としては幅があっておもしろいのだが、
    やはり見終わってみるとどっと疲れた感じがする

    展覧会という幅を超えて
    美術館という枠を超えて届いてくるものではなかったのだろう

    きっと
    ものが化けるというようなことの
    ものとのつきあい方
    その水脈との齟齬、伝統との亀裂の問題なのだろう



        2008-12-07 来宮、熱海、巨樹

    巨樹と巨石をもとめて、熱海へ

    車中、鵜飼哲さんの「応答する力」を読みながら

    <舟=お腹>(ぺ-)としての「まなざし」
    そのイメージに衝撃をうける

    熱海の海が見えて
    そのうつくしい白波の点々と青さに驚いて

    海が しら(白) ないで(凪いで) いる
    海が しら(白) ないで(凪いで) いる

    海もまた地球の腹だと

    珠洲の岬の(海が鳴る)森(杜)のすがた
    (石川県能登半島の突端の珠洲神社のなにもない森のすがた 
    そのねじれた樹)

    (こゆるぎ)

    小揺るぎの磯の青さとしらないで


    熱海駅前に無料の足湯があるので、
    温泉に足をひたし て
    伊豆山神社へ

    途中、車道沿いにうつくしい立石
    馬頭観音だったが、横から見ると丸みを帯びたエロティックな
    ストーンサークル石柱の一つにしか見えなかった

    伊豆山神社への石段を登り
    神社前の商店で200円の煮物を買い
    神社の石段を登る

    見晴しのいい高台
    松の木の根元に男根石と石祠
    この構図の組み合わせは、マツタケ
    キノコの男根としてのイメージと受けとる
    社務所の人に尋ねると、あれは神主だけがマツリを行っていた
    マダラというものだと言う
    おそらく、密教のマタラから来ているのだろう

    脇のベンチで持参したお握りと煮物を食べる
    おばあさんの手作りであろう
    甘い味付けの煮物の味に遠い年月を経てきた記憶の痕を感じながら

    境内は
    うつくしい巨樹が立ちならぶ
    郷土博物館150円が隣にあり、入るが小さく特に見新しいものはない
    社殿の後ろの山には照葉樹の巨木の森が広がり
    奥宮であろうか、白山神社へと道がつづいている
    巨樹の山を登り
    すこし荒れているが
    たくさんの巨樹と出会った
    白山神社は巨石にのった小さな社で
    付近には巨石が連なっている

    太古の岩屋根に
    腰をおろし、手帳に落ちる葉影の風に揺れる様を眺める

    海が しらないでいる

    木々ノ 御稜威(ミイツ)

    しばらくして
    山を下る

    この磐座のすぐ上に家を建てたり
    公園にしてしまったりしているけど、

    この森という宮殿に住うことの意味を
    忘れてしまったわたしたち

    山を下り、走り湯という奥に温泉が湧き出して流れ出している
    洞窟に入ると、ものすごい湯気で奥が見えない
    70℃くらいだというので、
    お湯には入れないのだろう

    熱海まで戻り
    さらに来宮まで歩く
    熱海の商店街の雰囲気にほだされ
    温泉まんじゅう50円を食べる

    途中、湧き水を汲んで
    湯前神社、出なくなった間欠泉をとおって

    来宮神社
    巨石、大楠のものすごい巨樹の空ろ
    まわりを囲むような石が祭壇のように置かれる

    社殿後ろにはさらに本当の巨樹
    樹齢二千年の大楠がある

    このあまりに長い年月を生きつづける生命に
    畏怖の念を抱く
    時を刻みつづけた木肌の答えようのない皺に
    どうしてこんな姿になったのか
    その大地と巨樹と大気の意志
    その声なき言葉の
    強烈な生命のうねり
    こういう場所があるんですね

    来宮駅に行く途中
    駅前にはほとんどなにもないが
    和菓子屋さんがあった
    神社の参詣の為に食事を作っているところは
    おいしいということで、
    みたらし団子100円を買って食べる
    すごくうまかった







        2008-12-01 「母型」について

    内藤礼さんの「母型」について再び想い巡らしてみると、
    その茶室ということ、茶室というのはにじり口という
    入り口が狭く、武士は刀を置いてくぐって中に入る
    意味としては裸になる子供に戻るようなことだと思う
    この所作は古代の石窟古墳の入り口が狭く
    くぐって入ると中が広いという
    子宮を想わせる構造を持っている
    そして横笛庵は平らな天井がなく
    茅葺き屋根の傾斜がそのまま天井になって
    そこから糸が垂れている
    このイメージは産屋を思いおこさせる
    出産の際籠る茅葺きの小屋だ
    同時に暗闇に浮かぶそれは
    臍の緒のようなイメージもあるかもしれない
    そのことと、電熱器が大小二つ置かれていること
    熱と風という2種類の力によって呼び起こされる動き
    これは生命誕生の謎に接触するような
    歴史的な作品という気がする

    そして開かれた環境に見る人が存在することによって
    反応し、無限の変化を生み、動きを生み出すモノ
    これはいままでになかったモノの在り方を更新した
    美術の歴史ではなく、人の歴史を更新するような作品なのではないか
    モノというのは本来こういうイノチを宿したものだったというのことを復権する、
    モノにイノチをよびおこす
    これは歴史的な事件であり
    世界を変え得る作品であると思う
    だれかがこれを正確に発信し、伝え、
    残すことが必要と思います







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