Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

  • experience (12)
  • news (60)
  • exhibition (31)
  • word (47)
  • essay (4)
  • film (4)
  • review (30)
  • journey (59)
  • photograph (6)
  • performance (10)
  • architecture (2)
  • book (2)
  • workshop (13)
  • review&journey (1)
  • memo (2)
  • livepaint (0)
  • 最近の記事

    最近のコメント

    最近のトラックバック

        -------- スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2006-07-28 「純情の衝突」展

    「純情の衝突」展

    8月9日(水)~15日(火)
    耕仁美術館、第三展示室
    住所 : ソウル市 鍾路区(チョンノグ) 寛勳洞(クァンフンドン) 30-1
    電話番号 : 02-733-4448
    開園/館時間 : 10:00~18:00

    荒木涼子、岩井澤健治、小田切雄亮、國宗浩之、杉原信幸、村田晋一、山田心平、渡邊知樹、
    イ・ソミョン、イ・ミオク、イ・ヨンギョン、ウ-・ソヨン、キム・イジョ、
    キム・チウォン、キム・テヨン、キム・ミンジョン、シン・ヘエヨン、ジン・ソンウン、ユン・ジョンヒョン

    協賛:国際交流基金(ソウル文化センター)、アシアナ航空、カボ、カリカリ
    後援:在韓日本大使館広報文化院




    韓国のソウルで展示します
    ソウルにお越しの際はお寄りください

    水墨画とインスタレーションをする予定です、

    期間中に韓国の作家と共同制作で作品をつくるので
    展示場にいることが多いと思います、
    オープニングパーティーとクロージングパーティーが
    18時頃からあります


    CIMG0080up.jpg




    CIMG0083up.jpg


    「ミシャグジ」「山」

    墨、和紙、絹 

    純情の衝突展
    (耕仁美術館-ソウル、2006年)




    CIMG0075up.jpg


    「木霊」

    枯れ葉、ボール紙 

    純情の衝突展
    (耕仁美術館-ソウル、2006年)
    スポンサーサイト

        2006-07-28 言葉、すべて

    都市にいると、すべてがつながっているということが
    隠蔽されてしまう、
    だからぼくは、一つのものだけずっと描いていた、
    道路に咲く花はあまりに美しいが
    アスファルトの道路とは切り離されて
    存在しているように感じてしまう
    しかし、沖縄の御嶽しかり
    自然、森に包まれてしまうと、
    その圧倒的なものに
    すべてがつながっているんだという
    ゆるしのようなものを感じることができる、
    たぶんそれだけだと思う
    すべては









    すべてのものにカミが宿っていたとき
    食べた魚の骨を
    けして折らずに、ひとところの水の中に返していた時代、(貝塚が祭祀場だという)
    それを隠蔽する都市、
    もちろん今でも、たぶんすべてのものにカミは宿っているんだろうけど、
    工業製品などの機械工物にそれを見い出すのは非常に困難だ



    食と性、あわせて生である
    (ミキシゲオ、「胎児の世界」から)

    タブーとしてのエロスではなく
    生としてのエロスを

    ファーストフードでも嗜好としての食でもなく、
    神を食べる、生命の伝承としての食という、

    この二つを正常にとりもどさねばならないだろう

        2006-07-15 ジャコメッティ展、葉山

    葉山の美術館のジャコメッティ展を見に行く、
    かなりの見ごたえのある作品数、必見の展覧会ですね

    弟、ディエゴの像がいいですね、
    その鼻梁には崖を感じる、

    頸まわりの気配には、
    生の存在が、

    見つめることで成立する彫刻、
    触れるのではなく、見つめることが触れることなんだ

    デッサンもいい、

    矢内原の石膏の彫像にはアルカイックな印象がある

    ブロンズと石膏の関係
    細く小さな女の立像も美しい、

    ディエゴの像は二体とも日本の美術館で見たことあるやつだったけど、

    ただ美術館の白さ、床の木目の荒さゆえに置かれた、
    白い台、この無味無臭な感じは、なにか間違っている

    ジャコメッティのアトリエの匂いが漂う場でこそ、見たい

    絵画は額ありきで、美術館においても成立する、他者がつくった額という場という仲介において、
    彫刻の台があんなに真っ白では、つまらない、

    芭蕉さんの奥の細道の紀行文という旅の場から、
    立ち上がる俳句という、
    形式のすばらしさ

        2006-07-09 再び三鷹天命反転住宅

    早大法学部教養演習/塚原ゼミ(表象文化研究)ARAKAWA+GINS*三鷹天命反転住宅公開授業
    2006年7月1日(土)午後2~4時
    テーマ「言葉と音:意味から無意味へ―ダダ、宮沢賢治、寺山修司…」
    担当教員/塚原史(法学部教授)
    ゲストスピーカー/高橋世織(文芸評論家、元早稲田大学政経学部教授)

    □参加者はツァラ「ダダの作詩法」(1920)をモデルに、自作の「詩」を球形の部屋で朗読すること。声以外の音源使用OK。
    □ゲストスピーカーによる「風の又三郎」の絶唱、担当教員による寺山作品絶叫つき。


    連れが行くと言うのでこれに参加、二度見てもやっぱり印象は変わらない、
    気に食わない、「建築する身体」も読んでいるが、
    人は死なない、死に抗う建築というのは、
    ものすごく未来に向いた現在の在り方で、
    だから荒川の建築は現在に対する緊張感がないのではないか、

    死を避けるということにそんなにこだわることが
    ぼくにはなくって、それはそんなに避けるべきことなのか、

    死と言う自然に立ち向かうというのはなんとも西欧的発想で、
    生と死は一つとして自然に受け入れているのは
    全然敗北者でもペシミズムでもないと思う

    よっぽどメカスさんのほうが僕にはすごいと思われる、
    あるがままというか


    詩の朗読があるというので、行ったのに、人が多くて、緊張感のないざわざわとした
    おしゃべりになってしまっていたので、
    連れに言って、詩の朗読を始める、
    僕は文章朗読するのきらいだから、
    その場で始まって
    小山の床をぐるぐる歩き なが ら、なんか言葉を発話していた、
    何しゃべってたのか、憶えてないけど、
    動きと言葉で、場をつくったのは初めての経験ではないか

    床は好きだけど、荒川がつくりたかった床はほんとは土の土間で
    もっと大きなうねりの山ができるはずだったのに、
    工務店のひとが、荒川が試しに作ってみたのより、かなり小さな小山を作ってしまって、
    これは違うなと、荒川は言ったのに、工務店の人がやってくれたのも、これはこれでいいと、納得したらしい、
    そういう妥協が、あの建築の緊張感を失わせている

    つれは荒川好きで、
    人は死なないと、意見が一致しているので、
    あれ買うらしい、
    8000万円くらいするけど、8万円くらいしかだせないから
    1000人くらいで買って共同で使うと言っている、
    荒川さんもそんなこと言ってたから
    興味があるひとは僕に連絡ください、
    インターネットで募集したくないと言ってたけど、
    僕経由ならいいかなと



    http://www.architectural-body.com/ja/

     | HOME | 

    FC2Ad

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。