Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2006-06-14 軽井沢、塩田

    上田市塩田、信州の鎌倉といわれるだけあって、
    趣きある神社や寺がたくさんある、
    森の中ひっそりと佇む、石の祠や
    「信濃デッサン館」のある丘の上から眺めた
    なだらかな眺望はとても気持が良かった

    「無言館」「信濃デッサン館」窪島誠一郎

    「無言館」は丘の上の風に揺られる木々に囲まれた
    静かな佇まいをみせる場所だった、料金も後払いで、
    展示空間にすっと入っていける、
    建築自体もコンクリ打ちっぱなしでなかなかおもしろい建物だ
    しかし、そこに展示してある戦没画学生の絵は、
    そこに書かれているエピソードの呼び起こす感覚とは違う、
    戦争に行って死ぬかもしれないという、
    緊迫したものは全然伝わってこない
    退屈なものばかりだった、
    説明書きがいくらその状況を伝えていても
    絵が語るものしか、受けとることはできない

    「信濃デッサン館」が資金難で潰れそうだというのテレビで見て気になっていたので、
    行ってみた、そしたらなんで潰れそうなのか良くわかった
    外観はおもしろいんだけど、この人の建築はまったく展示空間に対するセンスがない
    ブロックを積んで壁面をつくっているんだけど、隙間のセメントは荒く
    肌色っぽいペンキ塗っただけで、
    とても見づらい、
    絵を見る環境としては最低だった
    関根正二や村山槐多の「尿する裸僧」靉光の魅力的な線のデッサン、
    松本俊介の絵(松本俊介は耳が聞こえなかったんですね、
    あの絵は無音の世界だったのか)とおもしろいんだけど
    残念

    となりに前山寺というお寺があって、
    その参道に樹齢700年くらいの欅だったかな、
    太い樹があって、それはうつくしかった
    三重塔もあって、小さいながら、美しい曲線の屋根、
    あの空間性のするどさはすごい
    三重塔や神社、寺というデザイン形式があたりまえになっているけど
    あれができて初めての、世界に一個しかなかったときの
    空間性のすごさは測りしれない、
    三重の塔みたいな、
    まったく別のものつくりたいな
    美術として

    安楽寺、国宝の八角三重塔、四重に見えるけど、下から二段目は飾りで、三重の塔

    別所温泉、
    大衆温泉が150円で入浴できる、うれしい




    軽井沢

    「聖パウロ教会」レーモンド、木でできた小さな教会

    「小さな家(軽井沢別荘)」吉村順三

    場所が、軽井沢銀座周辺ということしかわからず、
    レンタサイクルで、ふらついていたら、
    すぐにみつけた、表札は違うひとだけど、
    レーモンドの教会の道沿いだった気がする、
    でも別荘なので、人はいないので、
    雨戸がしまっていて、
    家が閉じている
    人がいるときにきて、ぜひ中もみせてもらいたい、
    芸大の建築科のゼミとかで、あるみたいだから、
    それに便乗して

    この軽井沢銀座周辺、吉村順三の家の辺りの感じは
    なかなかいい
    軽井沢なんて、金持ちの集う、趣味の悪いとこかと思っていたが、
    資金と空間に余裕があって、森のなかに家があるという感じは、
    気持がいい、
    そこらへんの別荘もなかなかおもしろい、
    やはり都市の建築がつまらないのが多いんだな、と
    田舎の建築はわりと、伝統的だし、空間に余裕があるからか、
    悪くない、
    インターネットがもっと普及して、
    人口密集しなくてもよくなれば、
    軽井沢のセンスのいい場所をモデルにして都市空間をつくればいい、
    東京の都市部でも、森の中に家があるという空間が
    成立すればいいのにと思う


    「石の教会・内村鑑三記念堂」ケンドリック・ケロッグ

    フランク・ロイド・ライトのまな弟子らしい
    石の輪切りがつらなっていくような外観の写真を一目見て惹かれて
    行ってみると、すばらしい
    内部も外部も細かな石で覆われて
    堂内のアーチのつくる曲線の空間がうつくしい
    光が溢れ、水が流れ、草も生えている小さな教会、
    細やかな、細部の造形もおもしろい
    十字架がないので、係の人に尋ねると
    正面の窓の外に見える木に十字架がついているのが
    木が育って葉群に覆い隠されて見えなくなっているらしい
    それもなんかいい
    これこそ教会だという感じ

    280px-Ishinokyoukai01.jpg

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        2006-06-09

    ごくたまに、見るということに
    距離感が喪失してしまうときがある、
    そういうときは脳になんかおかしなことがおこってるんだろうな、
    と思う、
    見ることそのものが、
    膜になってぴったりと張り付いてしまって、
    距離ゼロになってしまう、
    体育館のようなホールのような場所の端っこに
    向かい合って立っているような、
    異常な距離間が頭のなかに生まれる時もある
    そういうのはだいたい人と向き合うとき、
    しかもそうとう切羽詰まった時だ
    なんなんだろうなそういうの

        2006-06-08 「リトアニアへの旅の追憶」ジョナス・メカス

    吉増剛造さんの講義で冒頭部分だけみたんだけど、
    その音楽が心に纏わりついて離れなくなってしまった、
    一度レンタルして見たんだけど、
    また見たくてしょうがなくなってしまった
    鳴っている
    これはなんだと思ってみたら、
    「リトアニアへの旅の追憶」だった

    というか、たぶん欲しい

    f-lith8.jpg

        2006-06-05 家をつくった

    家をつくりました、
    設計デザインして、プロの人が構造計算とか法律的なことやってくれて
    ここにパプワニューギニアの食人種に食べられた人の頭蓋骨とか展示します

    内装の漆喰塗りもやりました

    写真を押すと別の写真が見れます

    up10P1010089.jpg

    http://snsl.exblog.jp










        2006-06-03 荒川修作「三鷹天命反転住宅」

    見学会に行く、
    キューブ、球体、円柱の部屋自体が建築空間を構築するという
    建築システム自体の革新によってつくられた空間、

    しかし、建築家ではない芸術家が建築つくっちゃったという感じの
    家としての機能の欠陥、
    ディティール、マテリアルに対する無関心、

    8000万円も払って、あの狭っくるしいシャワー、
    ドアのない空間の中心にある使いにくそうなキッチン、
    天井にべたべた張りついたフックなど
    問題点が目につく

    本人もこういう家に住んでるのかというと、
    本人は思考に集中できないからと、ニュートラルな部屋に住んでいるという、
    実際に部屋に暮してみてもいないようだ、
    実際暮してみれば、改善点がいくらでも見つかりそう、

    使用方法に書かれていることは、おもしろいが、
    その内容を建築が語るとは思えない、
    そこがディティールとかマテリアルな部分で
    すっぽり抜け落ちた部分を言葉で説明している印象、
    太陽が生まれるなんて、あの建築からは考えられない、
    ただ実際暮してみないと、本当のところはわからないが
    作家が話す言葉から作品がずれるということは多いから、
    言葉は無視したとしても、
    でこぼこの床以外におもしろいと思うものはない

    ただ帰り道で東京の都市の建築物の直線的にかしこまった空間が非常につまら
    なく感じたというのは、驚きだった、
    建築する身体とかいう空間の作用があったということだろう

    説明してた係の女の人が、
    コンクリのパーツを組み上げた状態が一番おもしろかったと
    言ったのが、印象的で、
    まさに骨格の部分はおもしろいのだが、
    ディティールがない、
    心なんて窓の外に投げ捨てちまえって言ってた部分の欠如につながる気がする
    その両方があって初めて、
    太陽が生まれるような空間が生まれるのではないか、
    だから今は、身体感覚に一撃を加える建築物としては
    一験の価値はあると思う

    気に食わないけど
    建築空間の在り方を革新してるんだろうな

    基本のシステムを揺るがすということは、
    たしかにすごい影響が起こることだな

    http://info@architectural-body.com





    平行、水平、垂直の建築空間は
    精神の器として、人間の意識の基礎をつくっている
    そこを変えれば、劇的な変化が起こるのではないか、




    そういえば「三鷹天命反転住宅」は未来の家のような印象がある
    あれから抵抗感を奪って、平滑にしたものが流通しそうな気がする



    あと免疫抗体とかそういう細胞の構造をモデルにしているのではないか、
    そういうのは学びたいな、





    家のデザインしたときも、水平垂直平行の箱のイメージしか浮かばなかったこと
    それは箱ということがイメージコンセプトにあったからだけど、
    その水平垂直平行というのがイメージにもしっかりと染みついているということで
    それを壊すというのはぜひやってみたいなと思う






    「養老天命反天地」は落ちぶれたアミューズメントパークみたいで、失敗だったと思うけど、
    家というだれしもが共有しているものであれをやったことで成功したのだろう、
    アミューズメントパークみたいなのはなんでもありだから、変なことやっても
    別におもしろくないけど、
    家という建築のあたりまえを揺るがすことで、
    その場ではディティールが悪いから感じなくても、
    その場を離れて、都市の空間にはいった時にその効力に気づくというのは、おもしろい体験だった、たしかになにかが揺るがされる体験というのは、ゲージゅつとかいう奴みたいな気もする
    しかも家に人が住んで、手をいれつづければ、落ちぶれたアミューズメントパークみたいに
    悲しい様相を呈すことがないかもしれない、
    でもあの値段では家としては売れなそうだから、廃虚になってしまうかもしれないけれど





    世界観の変革というのは芸術というものの内容のように見えるが、
    その 物、場自体が語るのではなく、
    差異によってもたらされる変革は、
    それを名付けるのなら、
    芸術ではなく
    土台と柱という建築システムからの脱出による
    建築における革命
    なのではないか

        2006-06-01 批評について

    そういえば、友人の作品に対して、感じたものを正確に伝えようとする、
    それは辛辣になることもあるが、あくまで
    よりいいものをつくってほしいという願いからだ、
    それは高橋悠治さんが言っていた、
    批評とは次の創造を刺激するようなものでなければならない
    というようなことを言っていたような気がする、につながるのか、
    それなら、
    なぜそれを作家本人だけにではなく、
    拡大して発信する必要があるのか、
    それは、おもしろいものは誰がつくろうがとにかく
    世界に広がれと想う
    気持に由来するのか、

    この頃喋りすぎるのは、
    調子がわるいからか、
    湿度が高いからか、
    ぼくを空間に留めるもの、
    音楽をもとめる




    創造が創造をよぶ
    というのは、なんかいいな、
    批評という創造

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