2008-03-27 大石神社、浅間(センゲン)神社、川をあるく
東山梨駅からさまよいあるき
路ゆき出会う丸石神
笛吹川を見下ろす土手路で見かけた
塚 上のお家
浅間(センゲン)神社の
急石段を登って
社裏にて
出会った
卵の男根石の立つ
小庭に佇む
お山のへそ
大石山
大石神社の
大石の頂きで
石の柔らかな鼓動に
振動しているわたしの心臓の鼓動もまた
石の腸のなか
石生み山の磐座で
丸石道祖神は
大石の記憶の痕のように
七日市場の大丸石
川をあるくもののこころの風
川は市場だ
大町温泉郷へとつづく鹿島橋から
直線、坂をのぼって丘上の遠景
山脈に囲われた原
上原(わっぱら)遺跡の小ストーンサークル石柱へと
つづく河原には石棒多数
流木有り
石を立てる
木を立てる
歯を立てる
流木柱は不在の声に 衣
低い
水地
スイッチ
天輪(わ)
石ノね
海ノ口
鹿島川
石の河原の舟
流木たち
川よりも石の河原のひろい河床
石の川にうちあげられた舟
流木たち
路ゆき出会う丸石神
笛吹川を見下ろす土手路で見かけた
塚 上のお家
浅間(センゲン)神社の
急石段を登って
社裏にて
出会った
卵の男根石の立つ
小庭に佇む
お山のへそ
大石山
大石神社の
大石の頂きで
石の柔らかな鼓動に
振動しているわたしの心臓の鼓動もまた
石の腸のなか
石生み山の磐座で
丸石道祖神は
大石の記憶の痕のように
七日市場の大丸石
川をあるくもののこころの風
川は市場だ
大町温泉郷へとつづく鹿島橋から
直線、坂をのぼって丘上の遠景
山脈に囲われた原
上原(わっぱら)遺跡の小ストーンサークル石柱へと
つづく河原には石棒多数
流木有り
石を立てる
木を立てる
歯を立てる
流木柱は不在の声に 衣
低い
水地
スイッチ
天輪(わ)
石ノね
海ノ口
鹿島川
石の河原の舟
流木たち
川よりも石の河原のひろい河床
石の川にうちあげられた舟
流木たち
2008-02-18 雪の有明山と雪の御神渡
二〇〇八年二月七日、安曇総合病院前で見た
雪の有明山(信濃冨士)の
空に立った岩壁画を見る(
ゆ)目は
雪が描いた山の神の貌
その光景、自体が一つの言葉なのだ
文字をもたなかった縄文人の
土器に籠まれた野生のえぐれのリズム
精神の線
魂の貝の内側を撫でる光
その光景によるたった一つの言葉
光の景の言葉
(ゆつ)
間のリズム
風景は風の景の言葉
風の言葉
「30センチほどつもって、見えにくいかもしれないけれど」、
砥川の河口、プリンスホテル近くの汀で、
誰のものでもない平(ヒラ)に出会っていました
諏訪湖につもった
小鳥の足跡ひとつない雪の平で
いったいだれが渡るのだろう
と虚空を吹く風の言葉が舞っていて
「そうか蛇の道か」と
雪をかむった御神渡(おみわたり)に
呟いていました
砥川河口の「金の透野(トーノ)」
わずかに残った黄昏の湖頭に
水鳥が澪をひいて泳いでいました
日は山の暮れへ
温室のような練習場から
学生の声も響いていました
雪の有明山(信濃冨士)の
空に立った岩壁画を見る(
ゆ)目は
雪が描いた山の神の貌
その光景、自体が一つの言葉なのだ
文字をもたなかった縄文人の
土器に籠まれた野生のえぐれのリズム
精神の線
魂の貝の内側を撫でる光
その光景によるたった一つの言葉
光の景の言葉
(ゆつ)
間のリズム
風景は風の景の言葉
風の言葉
「30センチほどつもって、見えにくいかもしれないけれど」、
砥川の河口、プリンスホテル近くの汀で、
誰のものでもない平(ヒラ)に出会っていました
諏訪湖につもった
小鳥の足跡ひとつない雪の平で
いったいだれが渡るのだろう
と虚空を吹く風の言葉が舞っていて
「そうか蛇の道か」と
雪をかむった御神渡(おみわたり)に
呟いていました
砥川河口の「金の透野(トーノ)」
わずかに残った黄昏の湖頭に
水鳥が澪をひいて泳いでいました
日は山の暮れへ
温室のような練習場から
学生の声も響いていました
2008-01-23 加曽利貝塚、竹岡、黄金井戸
18切符が一枚余ったので、ふらっと
加曽利貝塚へ
都賀駅からモノレールで桜木駅
徒歩10分くらいで貝塚公園

貝塚の中心に道が掘られ、断層を見ることができる
古代の生活の時層の堆積
秘やかで確かな存在の重なり、
そのモノが語る土中の絵画のような存在感に圧倒される

なにものにしろ、そのあざやかな断面、切れ目にこそ
何かが宿っている

壊れた竪穴式住居

新しく作られる住居の骨組み

建物内に保存された住居跡
加曽利貝塚の博物館はかなり古めかしい
しかも入り口の中心に職員の部屋があるという
なにか権力的なつくりの建物
やはり貝塚の縄文土器はかなり平面的だった
海と山、
やはり山のビジョン、生活の風景に山が見えていることのイメージ生成力と
山の地形的な生活リズムがその空間感覚を生み出すのか
壊れた竪穴式住居の再建の為に市の自然公園などで刈られる
茅や樹木を刈りあつめ、沢山置いてある
費用がかからないのはよいことだ
千葉駅までもどって、海のほうに行く
木更津をこえても、なかなか海が見えない
やっと上総湊(かずさみなと)駅で
美しい海の青い風景が広がっている
竹岡駅で黄金井戸、光藻発祥の地という看板を見つけ、
下車、徒歩五分くらい

黄金井戸の石の窪みの洞の浅い水の
黄金の底の光

樹の根の洞の石柱
駅までもどって、再び電車で南下するが、
真っ暗になってしまったので、保田駅で下車
本当は、温泉に入って帰りたかったが、
千葉には火山がないので温泉が少なく、
駅からも遠いのがさびしい
神社をまわって、パンと弁当を売っている商店で
サンドイッチ買って、駅に向かって歩いていると
迷ってしまって、道をおばあさんに聞いて、
帰り着く、途中海岸線に着き、暗い砂浜に降り立つ
波に触れた手が潮に澄んで
潮のせいかしら
塩のせいかしら

保田駅近くの神社
帰りの電車を待つ間に散歩
波の伊八の下総だけに、小さな神社にも生きた膨らみを宿した龍の彫り物があった
加曽利貝塚へ
都賀駅からモノレールで桜木駅
徒歩10分くらいで貝塚公園

貝塚の中心に道が掘られ、断層を見ることができる
古代の生活の時層の堆積
秘やかで確かな存在の重なり、
そのモノが語る土中の絵画のような存在感に圧倒される

なにものにしろ、そのあざやかな断面、切れ目にこそ
何かが宿っている

壊れた竪穴式住居

新しく作られる住居の骨組み

建物内に保存された住居跡
加曽利貝塚の博物館はかなり古めかしい
しかも入り口の中心に職員の部屋があるという
なにか権力的なつくりの建物
やはり貝塚の縄文土器はかなり平面的だった
海と山、
やはり山のビジョン、生活の風景に山が見えていることのイメージ生成力と
山の地形的な生活リズムがその空間感覚を生み出すのか
壊れた竪穴式住居の再建の為に市の自然公園などで刈られる
茅や樹木を刈りあつめ、沢山置いてある
費用がかからないのはよいことだ
千葉駅までもどって、海のほうに行く
木更津をこえても、なかなか海が見えない
やっと上総湊(かずさみなと)駅で
美しい海の青い風景が広がっている
竹岡駅で黄金井戸、光藻発祥の地という看板を見つけ、
下車、徒歩五分くらい

黄金井戸の石の窪みの洞の浅い水の
黄金の底の光

樹の根の洞の石柱
駅までもどって、再び電車で南下するが、
真っ暗になってしまったので、保田駅で下車
本当は、温泉に入って帰りたかったが、
千葉には火山がないので温泉が少なく、
駅からも遠いのがさびしい
神社をまわって、パンと弁当を売っている商店で
サンドイッチ買って、駅に向かって歩いていると
迷ってしまって、道をおばあさんに聞いて、
帰り着く、途中海岸線に着き、暗い砂浜に降り立つ
波に触れた手が潮に澄んで
潮のせいかしら
塩のせいかしら

保田駅近くの神社
帰りの電車を待つ間に散歩
波の伊八の下総だけに、小さな神社にも生きた膨らみを宿した龍の彫り物があった
2008-01-19 甲斐、牧丘町、道祖神祭
1月14日、道祖神祭
山梨県、塩山駅からバスで牧丘町へ

牧丘町、窪平
気になる路地
タクシー会社の人に道と、どこにオカリヤがあるか、聞く、
おじさんが、今日撮ってきたデジカメの写真を見せてくれ、
塩平の杉のオカリヤやいくつかのオカリヤの写真をみる

牧丘町、窪平
道祖神場、丸石を覆う、どんとの杉の葉

近くの石祠ふたつ

家の垣根に使われている丸石
歩いて、塩平へ

黒戸奈神社境内、遠くから見ると男根のように見えた丸石首地蔵

気になる巨石、近寄れなかった

道祖神場、丸石を覆うオカリヤ

丸石とみかん

ここからバスで塩平へ、1乗車どこまで乗っても100円のバス

道祖神場、森の顔みたいなオカリヤ、
バスの運転手さんが、乗客が誰もいないので止まってくれた

道祖神場、オカリヤ
これもバスから
途中、たくさんのオヤナギとオカリヤを見る、
バスの路線沿いに道祖神場がある
バスの運転手さんが教えてくれた
塩平に着くと塩平のどんと焼きはもう終わっていた
てっきり夜に焚くと思っていたら、
獅子舞と合わせて、昼のどんと
結局、塩平の杉のオカリヤは写真でしか見れなかった
獅子舞が公民館でやっていると言うので、
見に行く

塩平の獅子舞
幕の舞
獅子舞というのは初めてみる気がするが、
イメージと違い、
獅子役と
二人の黒子というか獅子の体役が
常に風呂敷を高く支えるから、獅子の大きさが巨大で
宙に浮かんだような、
神さびた静けさ、影、ひきに近いものをうっすら感じさせる
演者は名人ぽいおじいさん
でも演奏の太鼓の音がいまいち



狂の舞

オヤナギと菱形
暗くなってしまった

丸石道祖神場
歩いて下って、
洞雲寺というお寺のある
牧丘町北原のオカリヤに着く、
オカリヤの隣の家のおじさんに聞くと
どんと焼きは6時からだと教えてくれる
オカリヤについて尋ねると、道祖神は馬鹿だとか、
卑猥な囃子歌があると教えてくれた

どんと焼き
牧丘町北原
観光客が他にだれもいない
村の人の為の祭
すこし下の牧平というところの広場は
盛大に観光客向けにやっていたので、そっちに人が集まるのだろう
村人だけの祭のほうがおもしろい

北原のオカリヤ
男根型のカリの先っちょにみかんがささってる
カリの太さは一番らしい
見学ですと伝えて、
見る
オカリヤを崩して
普通の道の真ん中で、猛然とどんと焼きが始まる
松葉がはぜて、燃え上がる
(松葉のヤニですぐ燃えると言っていたが杉の葉だったような)
獅子舞が舞われ、
木の枝にさした繭玉餅が焼かれる
一つ焼いた餅を頂く
虫歯にならないらしい
お神酒が振る舞われる
コップにどんどんついでくれる
箱入りのみかんも手に持ちきれないくらいくれる
旅人にも別け隔てなく振る舞われる
すばらしい祭
自分たちの為の祭
ここにはそういう火の祭の場所
火の座、
祭の時間がある
空きっ腹で
お酒を飲んでたから
みかんを食べたら急に酔いがまわった
村の人たちに道祖神祭の話を聞いたりしていたが、
帰りのバスがないので、
15キロくらい歩いて塩山駅に行かないといけないので、
お礼を言って、ふらふら舞うように
夜道を歩き走りながら、
チョー愉しいと言いながら、
2時間半くらい歩いて帰りました
足が棒のように筋肉痛です
獅子舞の菱 幕の舞 三人足の宙
塩平では「オカリヤノ オ小屋立テ」
燃え尽きた杉葉のオカリヤデ
オヤナギノ菱 空 駈け降りる
洞雲寺のアスファルト路の真ん中で
焚きつけられる
松葉のはぜる どんと火の
どんと火の
お神酒をコップで頂いた 舞イ神ノ踊リダココハ
繭玉の枝さしかざす どんと火の
どんと火の
お小屋を一つもらった お団子一つもらった
黒々と燃え横たわり藁のカリ
みかんを食べて酔った
牧丘ノ舞イ座を降りて
山梨県、塩山駅からバスで牧丘町へ

牧丘町、窪平
気になる路地
タクシー会社の人に道と、どこにオカリヤがあるか、聞く、
おじさんが、今日撮ってきたデジカメの写真を見せてくれ、
塩平の杉のオカリヤやいくつかのオカリヤの写真をみる

牧丘町、窪平
道祖神場、丸石を覆う、どんとの杉の葉

近くの石祠ふたつ

家の垣根に使われている丸石
歩いて、塩平へ

黒戸奈神社境内、遠くから見ると男根のように見えた丸石首地蔵

気になる巨石、近寄れなかった

道祖神場、丸石を覆うオカリヤ

丸石とみかん

ここからバスで塩平へ、1乗車どこまで乗っても100円のバス

道祖神場、森の顔みたいなオカリヤ、
バスの運転手さんが、乗客が誰もいないので止まってくれた

道祖神場、オカリヤ
これもバスから
途中、たくさんのオヤナギとオカリヤを見る、
バスの路線沿いに道祖神場がある
バスの運転手さんが教えてくれた
塩平に着くと塩平のどんと焼きはもう終わっていた
てっきり夜に焚くと思っていたら、
獅子舞と合わせて、昼のどんと
結局、塩平の杉のオカリヤは写真でしか見れなかった
獅子舞が公民館でやっていると言うので、
見に行く

塩平の獅子舞
幕の舞
獅子舞というのは初めてみる気がするが、
イメージと違い、
獅子役と
二人の黒子というか獅子の体役が
常に風呂敷を高く支えるから、獅子の大きさが巨大で
宙に浮かんだような、
神さびた静けさ、影、ひきに近いものをうっすら感じさせる
演者は名人ぽいおじいさん
でも演奏の太鼓の音がいまいち



狂の舞

オヤナギと菱形
暗くなってしまった

丸石道祖神場
歩いて下って、
洞雲寺というお寺のある
牧丘町北原のオカリヤに着く、
オカリヤの隣の家のおじさんに聞くと
どんと焼きは6時からだと教えてくれる
オカリヤについて尋ねると、道祖神は馬鹿だとか、
卑猥な囃子歌があると教えてくれた

どんと焼き
牧丘町北原
観光客が他にだれもいない
村の人の為の祭
すこし下の牧平というところの広場は
盛大に観光客向けにやっていたので、そっちに人が集まるのだろう
村人だけの祭のほうがおもしろい

北原のオカリヤ
男根型のカリの先っちょにみかんがささってる
カリの太さは一番らしい
見学ですと伝えて、
見る
オカリヤを崩して
普通の道の真ん中で、猛然とどんと焼きが始まる
松葉がはぜて、燃え上がる
(松葉のヤニですぐ燃えると言っていたが杉の葉だったような)
獅子舞が舞われ、
木の枝にさした繭玉餅が焼かれる
一つ焼いた餅を頂く
虫歯にならないらしい
お神酒が振る舞われる
コップにどんどんついでくれる
箱入りのみかんも手に持ちきれないくらいくれる
旅人にも別け隔てなく振る舞われる
すばらしい祭
自分たちの為の祭
ここにはそういう火の祭の場所
火の座、
祭の時間がある
空きっ腹で
お酒を飲んでたから
みかんを食べたら急に酔いがまわった
村の人たちに道祖神祭の話を聞いたりしていたが、
帰りのバスがないので、
15キロくらい歩いて塩山駅に行かないといけないので、
お礼を言って、ふらふら舞うように
夜道を歩き走りながら、
チョー愉しいと言いながら、
2時間半くらい歩いて帰りました
足が棒のように筋肉痛です
獅子舞の菱 幕の舞 三人足の宙
塩平では「オカリヤノ オ小屋立テ」
燃え尽きた杉葉のオカリヤデ
オヤナギノ菱 空 駈け降りる
洞雲寺のアスファルト路の真ん中で
焚きつけられる
松葉のはぜる どんと火の
どんと火の
お神酒をコップで頂いた 舞イ神ノ踊リダココハ
繭玉の枝さしかざす どんと火の
どんと火の
お小屋を一つもらった お団子一つもらった
黒々と燃え横たわり藁のカリ
みかんを食べて酔った
牧丘ノ舞イ座を降りて
2007-12-07 丸石神、発電所美術館、岡谷考古博物館
塩山駅からバスで、三富村へ
駅周辺の丸石神の地図は持っていたが、
中沢厚さんが初めて丸石に出会った、三富村の基壇の上の
山の丸石を見たくて
バスのこと聞こうと、
タクシー会社の中に止まっているバスの方に行くと、
出がけの車のおじさんが、
声をかけてくれ、三富村のことを教えてくれた
三富村も広く、雷、芹沢、広瀬はかなり離れていて、
歩くのは遠い、雷が一番近く650円くらいで行けると教えてくれる
以前塩山駅から東山梨駅の間を歩いてみたことがあったので、
もっと山奥の村にある丸石をみるのが一番おもしろいだろうと思っていたので
バスに乗る
でも七日市場にある大丸石も見たかったので、
また今度地図をもって駅周辺を歩きたい
おもしろいバスの運転手さんにいろいろ話を聞く、
甲斐の人だから、丸石のことをよく知っている、
途中、いくつも基壇上の丸石の道祖神場を見る
徳和という村に着き、そこで正月に行なわれる道祖神祭りが
おもしろいと教えてくれた、
乾徳山という山の登山口で、以前はここ行きのバスがあったが廃止されたので、
路線バスが寄って、来た道を戻って三富村へ向かうというコースを辿る、
その為、少しのあいだ、
バスの乗車賃がさがるという現象が起こる
雷(いかずち)に着いて、集落まで坂道を登る
集落の中心に丸石神の道祖神場、意外と地味だ
小さな滝とお堂があって
丘状に広がる畑と集落のしずかな気配が
良い所だ
国道まで戻って、芹沢に向かって歩く
温泉宿のある川浦の集落はコンクリの塀の合間に道祖神場
川沿いに歩き
天科(あましな)、青笹
帰りの電車の関係上、ここの丸石は見れなかった
赤の浦、大嶽山那賀都神社に寄ろうとするが、
小山の上にある神社を見て先に急ぐ
別の道に灯籠が続いていたが、
そっち神社があったらしい
帰りのバスの時間も近いが、
川沿いの道を遡る
すると、芹沢の集落の看板がある
地図もなくただ歩いてきたが、
ちょうど日暮れ前に辿り着くことができた
急斜地の上に丸石を祀る基壇が覗いている
坂を登って丸石神を見つめる
笛吹川の深い渓谷の急斜地の突端にそれはあった
木の門は石の基壇に倒れて凭れ掛かっていたが
丸石の白い艶のある丸みが
渓谷のうつを挟んだ林の緑と触れあって
妖しく光り漂う
巨石が隣にあって、向かいにはお堂
お堂の隣にも巨石と石塔
しばらく佇み
坂道を下っていく
振り返って丸石を眺めると
ちょうど夕暮の空に丸石が触れている
四隅の竹が空に生えて
「ああ、あれはタマだ」
空に昇る玉(タマ)、
川から急斜地に拾い上げられ、
その突端に祀られる、この触れかた
初めて中沢厚さんが、登山の帰り道に三富村の広瀬で丸石神と出会った
その広さ、日暮れの山の持つ空間のひろがりの
うつろのイメージにこそ僕は触れたかったのだろう
このイメージには触れたことがなかった
広瀬の丸石はまだ遠く、
電車の時間に間に合わないので、
正月の道祖神祭の時に見に来ようと、
帰りのバスに向かうが、一本バスを逃していたので、
電車に間に合うか微妙だった、
車をひろおうとするが、
スピード出して通り過ぎる、
もうバスが来るかなという頃、
芹沢の集落から来た車のおじさんに乗せてもらう
徳和の乾徳山に登ってから
大嶽山那賀都神社に行って来たそうだ
東海道や中山道を週末を使って、7年かかりで歩いたりしてる
おもしろいおじさんだった
鎌倉から来ていると言っていた
山梨駅まで送ってもらい
電車で長野へ
下諏訪で降りて、40分くらいしかないが温泉に向かう
途中パッと眼にはいったのり巻き屋さんに入る
かんぴょう260円とうめちそ230円の二品しかない
おばあさんが1人、
おいしそうなので、買おうとするが、
1000円がくずれない、
おばあさんが今日はいいからもってきな、
と言うので、小銭全部100円ちょっとを置いて
温泉へ急ぐ
ゆっくり浸かり、牛乳瓶の冷えた牛乳を飲んで、
駅へ戻る、さっきの店はもう閉まっていた
電車に乗って、のり巻きを食べる
うめちそって何だろと惹かれて買ったが、
ご飯がぎっしりと詰まって、梅とシソと大量のゴマだけしか入ってないのだけど
すごくおいしい、ゴマと梅という組み合わせは新鮮だった
おばあさんの今日はお釣がないからお金はいいよという
キップのよさ、諏訪という地にはこういう旅人の心をくすぐってくれる
すばらしいものが残っている
酢の味のよくきいたおいしいのり巻きを食べながら、
稲尾駅へ、木崎の家に一泊
朝、始発に乗り遅れるが、
入善の発電所美術館の内藤礼さんの「母型」を見にいく
糸魚川まで単線列車で行き、
入善へ、コミュニティバス、のらんマイカーは
偶数日と奇数日で路線が違い、今日は発電所美術館行きのバスがない
電話して新谷というバス停が近いと聞くが、
バスの時間まで相当あるので、歩いていくことに、
途中、中華料理屋で、開店セールみたいな
ラーメン半額をやっていたので、
野菜ラーメンとチャーシューメンを食べ、歩きだす
海から近いので、すごく平らな田圃の風景が続くが、
視線の先にはアルプスがそそり立っている、
水が豊富で、平らな割に流れが速い
幾つか神社に寄るが、雪囲いの窓ガラスに覆われ見栄えがよくない
浄土真宗のお寺で、尼さんにお茶を一杯もらって話を聞く
かなり遠かったけど発電所美術館に着く
発電所なのに平地のちょっとした丘の下にあった
入場料500円をはらって中へ、
最初に文章を読んで、靴を脱いで見てくださいとのこと、
先に見にいった友人が靴下が濡れたと言っていたので、裸足になる
二つの大きな鉄でできた穴が先ず目に着く、しかも上にどんどん続いている、
どんどん登っていくと、真っ暗になってきて、錆が酷くなる
ちょっと恐いので戻る、こりゃなんだ、
ラピュタのパズ−が登るロボット兵の穴みたいだ、と場の存在にびっくりする
広い発電所の空間に、上から水が垂れて、点々とした水たまりが出来ているが
特にぴんと来ない
壁面に小さな水のガラスの跡のような写真が一枚ある
ロフトのような2階にだけ照明があって壁面には写真がたくさん並んでいる
そこにも一ケ所だけ点々とした水たまりがあった
その水と光りを見た瞬間、ドキッとした
水は照明の光りを受け、光の粒そのもののようにうつくしく輝いていた
それは前にギャラリー小柳の内藤さんの展示の小さな紙に無数に穴が開いた作品の前に立ったとき
風で揺らめいた瞬間に出会った驚きに似ていた
それから、白い糸が上の張ってある
一階に降りて、
幾つか置かれている
白い真ん中に穴の開いた箱椅子に座って、眺める
すると、何ケ所かの水たまりが見える、そのうちの一ケ所が、
窓からの自然光を受け、うつくしい光の粒の揺らめきとなって
息づいているのを見つめる
穴の近くにあった水たまりは踏んづけられて、
うつくしい水点が崩れてしまっていたのだ、
だから、最初はぴんと来なかったのだが、
ただ一点から滴る水跡のうつくしさに目を奪われる
現代の巫女がとうとう水という素材に触れたかと
水の女という言葉も浮かび
その踏みつけられても甦る水という存在に
生命を感じる、今までの死者の為の作品から、
なにかが少し変わったのかしらと思った
ギャラリー小柳の時に床に置いた土の器の舟が踏んづけられたという
話も聞いていたから、そういう所からも来ているのだろう
窓際に糸がニ本、これは大崎美術館の時のほうが、うつくしい存在の仕方を
していたような気がする
文字の作品もあると聞いたが、見つけられなかった
鉄の巨大な穴は水力発電に使っていたもので、中を満水にして使っていたそうだ
奥に発電機が一つ残っている
天井が高いからどういう仕組みで水が落ちて来るかはわからなかったけど
自然に水の力で落ちてたらいいな
この在り方はすばらしいけど、
やはり発電所という箱の中であることが、
僕には引っ掛る
芹沢の丸石神の在り方の開かれかたのほうがしっくり来るのだろう
でも写真を見ると、日差しが入って、全然雰囲気がちがうから
その出会いのタイミングの問題もあるのかもしれない
雨降り天気で薄暗かったから
この地域は平すぎるという
至るまでの道の問題もあるのかもしれない
バス停に行くが、教えてもらったバス停は
違う路線のバス停で、結局歩いて帰ることに、
途中で仕出し屋さんの隣の商店に入って、
値引きされたおでんのような煮物を買う
駅まで真っ暗な中歩いて、駅前で太巻きを買い
電車の中で食べる、煮物がすごく甘くてうまい、
太巻きもうまい、田舎にはこういう想いのこもった
食べ物があるから、しあわせだ
木崎に帰って一泊
東京に帰る途中、
岡谷の岡谷美術考古館にいく
併設の岡谷蚕糸博物館、養蚕の機械がたくさんある
昭和の匂いのある博物館だが、縄文土器はすごく見ごたえがある
出産土器とひしめく縄文土器
左奥のケースの縄文土器郡に眼を奪われる
たましひが宿るモノたち
出産土器には鳥のような生き物の形が宿っている
渦巻き、左右ずれた二つの輪、蛇か
この縄文土器という、生命をやどらしたものを生み出した
日本という島に住む人々の文化は
生命としてのある究極的な場所に辿り着いていたのではないか、
人が生命とともに世界とともに生きる最高の知恵が脈々と宿っているようだ
こんなものをまだ世界で見たことがない
この先人の残した遺物から、僕達は本当に大切なものを学ぶ必要があるのだろう
生命が宿る物質、という言い方が、的確でないと言うのなら
折口信夫の言った神以前の「たま」か「マナ」のようなものが
そこには確実にやどっている
その境は生物とそれ以外より
「たま」の宿ったものとそれ以外のもののほうが大きいのではないか
縄文土器も蛇としてのひもから作られている
そういう風にして、想いを込めなければ、土器は爆発したのだろう
野焼きした時に爆発するのは恐ろしいことだ、
土器との関わりから、縄文人のアニミズムが育まれてきた側面は
大きいだろう
東京へ
内藤礼展「母型」
会期:2007年10月6日(土)〜12月16日(日)
発電所美術館
http://www.town.nyuzen.toyama.jp/nizayama/
岡谷蚕糸博物館・岡谷美術考古館
http://www.okaya-museum.jp/exhibit/011.html
駅周辺の丸石神の地図は持っていたが、
中沢厚さんが初めて丸石に出会った、三富村の基壇の上の
山の丸石を見たくて
バスのこと聞こうと、
タクシー会社の中に止まっているバスの方に行くと、
出がけの車のおじさんが、
声をかけてくれ、三富村のことを教えてくれた
三富村も広く、雷、芹沢、広瀬はかなり離れていて、
歩くのは遠い、雷が一番近く650円くらいで行けると教えてくれる
以前塩山駅から東山梨駅の間を歩いてみたことがあったので、
もっと山奥の村にある丸石をみるのが一番おもしろいだろうと思っていたので
バスに乗る
でも七日市場にある大丸石も見たかったので、
また今度地図をもって駅周辺を歩きたい
おもしろいバスの運転手さんにいろいろ話を聞く、
甲斐の人だから、丸石のことをよく知っている、
途中、いくつも基壇上の丸石の道祖神場を見る
徳和という村に着き、そこで正月に行なわれる道祖神祭りが
おもしろいと教えてくれた、
乾徳山という山の登山口で、以前はここ行きのバスがあったが廃止されたので、
路線バスが寄って、来た道を戻って三富村へ向かうというコースを辿る、
その為、少しのあいだ、
バスの乗車賃がさがるという現象が起こる
雷(いかずち)に着いて、集落まで坂道を登る
集落の中心に丸石神の道祖神場、意外と地味だ
小さな滝とお堂があって
丘状に広がる畑と集落のしずかな気配が
良い所だ
国道まで戻って、芹沢に向かって歩く
温泉宿のある川浦の集落はコンクリの塀の合間に道祖神場
川沿いに歩き
天科(あましな)、青笹
帰りの電車の関係上、ここの丸石は見れなかった
赤の浦、大嶽山那賀都神社に寄ろうとするが、
小山の上にある神社を見て先に急ぐ
別の道に灯籠が続いていたが、
そっち神社があったらしい
帰りのバスの時間も近いが、
川沿いの道を遡る
すると、芹沢の集落の看板がある
地図もなくただ歩いてきたが、
ちょうど日暮れ前に辿り着くことができた
急斜地の上に丸石を祀る基壇が覗いている
坂を登って丸石神を見つめる
笛吹川の深い渓谷の急斜地の突端にそれはあった
木の門は石の基壇に倒れて凭れ掛かっていたが
丸石の白い艶のある丸みが
渓谷のうつを挟んだ林の緑と触れあって
妖しく光り漂う
巨石が隣にあって、向かいにはお堂
お堂の隣にも巨石と石塔
しばらく佇み
坂道を下っていく
振り返って丸石を眺めると
ちょうど夕暮の空に丸石が触れている
四隅の竹が空に生えて
「ああ、あれはタマだ」
空に昇る玉(タマ)、
川から急斜地に拾い上げられ、
その突端に祀られる、この触れかた
初めて中沢厚さんが、登山の帰り道に三富村の広瀬で丸石神と出会った
その広さ、日暮れの山の持つ空間のひろがりの
うつろのイメージにこそ僕は触れたかったのだろう
このイメージには触れたことがなかった
広瀬の丸石はまだ遠く、
電車の時間に間に合わないので、
正月の道祖神祭の時に見に来ようと、
帰りのバスに向かうが、一本バスを逃していたので、
電車に間に合うか微妙だった、
車をひろおうとするが、
スピード出して通り過ぎる、
もうバスが来るかなという頃、
芹沢の集落から来た車のおじさんに乗せてもらう
徳和の乾徳山に登ってから
大嶽山那賀都神社に行って来たそうだ
東海道や中山道を週末を使って、7年かかりで歩いたりしてる
おもしろいおじさんだった
鎌倉から来ていると言っていた
山梨駅まで送ってもらい
電車で長野へ
下諏訪で降りて、40分くらいしかないが温泉に向かう
途中パッと眼にはいったのり巻き屋さんに入る
かんぴょう260円とうめちそ230円の二品しかない
おばあさんが1人、
おいしそうなので、買おうとするが、
1000円がくずれない、
おばあさんが今日はいいからもってきな、
と言うので、小銭全部100円ちょっとを置いて
温泉へ急ぐ
ゆっくり浸かり、牛乳瓶の冷えた牛乳を飲んで、
駅へ戻る、さっきの店はもう閉まっていた
電車に乗って、のり巻きを食べる
うめちそって何だろと惹かれて買ったが、
ご飯がぎっしりと詰まって、梅とシソと大量のゴマだけしか入ってないのだけど
すごくおいしい、ゴマと梅という組み合わせは新鮮だった
おばあさんの今日はお釣がないからお金はいいよという
キップのよさ、諏訪という地にはこういう旅人の心をくすぐってくれる
すばらしいものが残っている
酢の味のよくきいたおいしいのり巻きを食べながら、
稲尾駅へ、木崎の家に一泊
朝、始発に乗り遅れるが、
入善の発電所美術館の内藤礼さんの「母型」を見にいく
糸魚川まで単線列車で行き、
入善へ、コミュニティバス、のらんマイカーは
偶数日と奇数日で路線が違い、今日は発電所美術館行きのバスがない
電話して新谷というバス停が近いと聞くが、
バスの時間まで相当あるので、歩いていくことに、
途中、中華料理屋で、開店セールみたいな
ラーメン半額をやっていたので、
野菜ラーメンとチャーシューメンを食べ、歩きだす
海から近いので、すごく平らな田圃の風景が続くが、
視線の先にはアルプスがそそり立っている、
水が豊富で、平らな割に流れが速い
幾つか神社に寄るが、雪囲いの窓ガラスに覆われ見栄えがよくない
浄土真宗のお寺で、尼さんにお茶を一杯もらって話を聞く
かなり遠かったけど発電所美術館に着く
発電所なのに平地のちょっとした丘の下にあった
入場料500円をはらって中へ、
最初に文章を読んで、靴を脱いで見てくださいとのこと、
先に見にいった友人が靴下が濡れたと言っていたので、裸足になる
二つの大きな鉄でできた穴が先ず目に着く、しかも上にどんどん続いている、
どんどん登っていくと、真っ暗になってきて、錆が酷くなる
ちょっと恐いので戻る、こりゃなんだ、
ラピュタのパズ−が登るロボット兵の穴みたいだ、と場の存在にびっくりする
広い発電所の空間に、上から水が垂れて、点々とした水たまりが出来ているが
特にぴんと来ない
壁面に小さな水のガラスの跡のような写真が一枚ある
ロフトのような2階にだけ照明があって壁面には写真がたくさん並んでいる
そこにも一ケ所だけ点々とした水たまりがあった
その水と光りを見た瞬間、ドキッとした
水は照明の光りを受け、光の粒そのもののようにうつくしく輝いていた
それは前にギャラリー小柳の内藤さんの展示の小さな紙に無数に穴が開いた作品の前に立ったとき
風で揺らめいた瞬間に出会った驚きに似ていた
それから、白い糸が上の張ってある
一階に降りて、
幾つか置かれている
白い真ん中に穴の開いた箱椅子に座って、眺める
すると、何ケ所かの水たまりが見える、そのうちの一ケ所が、
窓からの自然光を受け、うつくしい光の粒の揺らめきとなって
息づいているのを見つめる
穴の近くにあった水たまりは踏んづけられて、
うつくしい水点が崩れてしまっていたのだ、
だから、最初はぴんと来なかったのだが、
ただ一点から滴る水跡のうつくしさに目を奪われる
現代の巫女がとうとう水という素材に触れたかと
水の女という言葉も浮かび
その踏みつけられても甦る水という存在に
生命を感じる、今までの死者の為の作品から、
なにかが少し変わったのかしらと思った
ギャラリー小柳の時に床に置いた土の器の舟が踏んづけられたという
話も聞いていたから、そういう所からも来ているのだろう
窓際に糸がニ本、これは大崎美術館の時のほうが、うつくしい存在の仕方を
していたような気がする
文字の作品もあると聞いたが、見つけられなかった
鉄の巨大な穴は水力発電に使っていたもので、中を満水にして使っていたそうだ
奥に発電機が一つ残っている
天井が高いからどういう仕組みで水が落ちて来るかはわからなかったけど
自然に水の力で落ちてたらいいな
この在り方はすばらしいけど、
やはり発電所という箱の中であることが、
僕には引っ掛る
芹沢の丸石神の在り方の開かれかたのほうがしっくり来るのだろう
でも写真を見ると、日差しが入って、全然雰囲気がちがうから
その出会いのタイミングの問題もあるのかもしれない
雨降り天気で薄暗かったから
この地域は平すぎるという
至るまでの道の問題もあるのかもしれない
バス停に行くが、教えてもらったバス停は
違う路線のバス停で、結局歩いて帰ることに、
途中で仕出し屋さんの隣の商店に入って、
値引きされたおでんのような煮物を買う
駅まで真っ暗な中歩いて、駅前で太巻きを買い
電車の中で食べる、煮物がすごく甘くてうまい、
太巻きもうまい、田舎にはこういう想いのこもった
食べ物があるから、しあわせだ
木崎に帰って一泊
東京に帰る途中、
岡谷の岡谷美術考古館にいく
併設の岡谷蚕糸博物館、養蚕の機械がたくさんある
昭和の匂いのある博物館だが、縄文土器はすごく見ごたえがある
出産土器とひしめく縄文土器
左奥のケースの縄文土器郡に眼を奪われる
たましひが宿るモノたち
出産土器には鳥のような生き物の形が宿っている
渦巻き、左右ずれた二つの輪、蛇か
この縄文土器という、生命をやどらしたものを生み出した
日本という島に住む人々の文化は
生命としてのある究極的な場所に辿り着いていたのではないか、
人が生命とともに世界とともに生きる最高の知恵が脈々と宿っているようだ
こんなものをまだ世界で見たことがない
この先人の残した遺物から、僕達は本当に大切なものを学ぶ必要があるのだろう
生命が宿る物質、という言い方が、的確でないと言うのなら
折口信夫の言った神以前の「たま」か「マナ」のようなものが
そこには確実にやどっている
その境は生物とそれ以外より
「たま」の宿ったものとそれ以外のもののほうが大きいのではないか
縄文土器も蛇としてのひもから作られている
そういう風にして、想いを込めなければ、土器は爆発したのだろう
野焼きした時に爆発するのは恐ろしいことだ、
土器との関わりから、縄文人のアニミズムが育まれてきた側面は
大きいだろう
東京へ
内藤礼展「母型」
会期:2007年10月6日(土)〜12月16日(日)
発電所美術館
http://www.town.nyuzen.toyama.jp/nizayama/
岡谷蚕糸博物館・岡谷美術考古館
http://www.okaya-museum.jp/exhibit/011.html


