Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2009-09-21 「猿田彦土中神社 鈴木寅二啓之 天地の軌跡」

    伊勢の猿田彦神社で猿田彦土中神社を制作した
    鈴木寅二啓之さんのドキュメンタリー映画が
    ポレポレ東中野でやっているので見に行く

    和紙に極太の筆と墨で描き
    地中に100日ほど埋めて掘り出す
    土中絵画を制作する作家であり、
    その微生物と土によって彩られた
    土中絵画の掘り出されたばかりの生きた色の美しさは
    絵画の一つの極点とも言える

    その土中絵画を天井に配した猿田彦土中神社(土柱神社のようでもある)、と
    その奉納舞を映したドキュメンタリー

    その一撃のごとく打たれる
    絵画の息の呼吸

    その衝撃ではじまるこのドキュメンタリー映画は
    シンプルだけど非常に印象に残る
    作家の制作の芯に触れるすばらしい映画だと思う

    ポレポレ東中野で9月25日まで上映中
    モーニング11時より

    http://www.mmjp.or.jp/pole2/
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        2006-06-08 「リトアニアへの旅の追憶」ジョナス・メカス

    吉増剛造さんの講義で冒頭部分だけみたんだけど、
    その音楽が心に纏わりついて離れなくなってしまった、
    一度レンタルして見たんだけど、
    また見たくてしょうがなくなってしまった
    鳴っている
    これはなんだと思ってみたら、
    「リトアニアへの旅の追憶」だった

    というか、たぶん欲しい

    f-lith8.jpg

        2006-01-26 「ライフ・オブ・ウォ-ホル」ジョナス・メカス

    映像と映画の違い、
    純粋な映像の写真のような現実との向き合い方には、
    おもしろいことが起こることに対する予知能力が必要なのかしら、
    音と映像の幅、
    ドキュメンタリーとも違う、映像image
    でもこれも映画filmに含まれるんだろうけど、

    ストーリーから切り離された純粋な映像としての美しさ、
    そこにもストーリーは存在するけど、
    それは現実そのものから切りとられた断片である、
    ある種の絵画のように、

    このひとの画面はズームやカットが多くて、
    すごく揺れるのに、
    なんで不快な感じがしないのか、
    アナログのカメラのせいなのか、
    コマとコマとの間にすごく柔らかな感じがする、
    映写機のフィルムの丸みのような柔らかさとなめらかさ、

    でもジョンレノンとオノヨーコとウォ-ホルとメカスとが
    いっしょの部屋にいるってすごいよな

    「孔雀」のクリストファー・ドイルも
    たぶんメカスさんに影響受けている、
    露出いじるのとかフィルムスピードいじるのとか、

    メカスさんには二度お会いしたことがある、
    メカスさんの写真の個展のときに、
    飲屋で、吉増剛造さんに紹介してもらった時と、

    偶然大野一雄さんの家に遊びに行った時、
    一雄さんとメカスさんの奥さんなのか?パフォーマーの女性が
    一緒に踊っているのをメカスさんが撮影している時、

    メカスさんはこの世の人とは思えない、
    すごいかっこいい人だったな

        2005-01-26 「孔雀」クリスファー・ドイル

    44154_199s.jpg

    最初に見たときはねむたくって、通りすぎただけだった。
    でもそれはずっと僕の中に残っていた。
    再びテレビでその音楽を聞いたとき、
    ぼくはその音楽を求めていた。
     
    それから僕はもう四六時中、生活の一部になってしまったように、
    「孔雀」を見続けた。
    別に食い入るように画面を見続けているわけではないが、
    その場 に映像と音楽が流れていることが必要なことで、
    それはぼくにとって完璧な作品だ。
    最後の浅野忠信が踊っているところを除いて。

    自分にとって特別な作品というものがあるならば、
    まさに「孔雀」はそれにあたる。
    「孔雀」を理解できるということは
    僕にとってひとつの指針になると思う。
    だから僕はずっと探している。
    「孔雀」が自分にとって最高の映画だという人を。

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