Nobuyuki Sugihara

砂場の山の隧道の指

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        2008-01-08 初詣でなど

    ひさしぶりに
    友人に半ば無理矢理に
    初詣に近くの神明宮に連れだされた

    友人、主に二人は年来の行事として毎年行っているが
    何かと出かけていたり、用事で参加出来ないことがほとんどだった

    今年はいろんな神社にたくさん行ったが、
    普段人の気配のほとんどない神社に
    初詣の時には凄い人混みで、行列ができていた

    辟易しながら並んで待ちながら
    四隅に竹を立てた焚き火を眺めて、甘酒など飲んでいると
    年始めから火を見てすごすのも、よいものだなと
    家まで直接呼びに来てくれた友人に感謝しながら
    あかるい初詣気分から
    まったく暗がりに隠れている、磐座や巨木にあいさつして
    初詣を終えた

    (篝火や巫女装束の袖の磐座)

    それから長野に帰って、
    雪深い寒さにやられて、寝込んで過ごしたりしている

    宵、雪景色
    単線の無人駅に降り立って
    くらい銀世界の雪の木立の闇のトンネルをくぐって
    日はあける

    ふと
     目についた 吸いつくように
    雪の杉木立は夜の満天の星空の冷えた呼吸 の記憶を
    闇の呼吸の星空の記憶を宿しているような姿を 吸いつくように 重ねています
    凍て星の 抱くがごとし 雪木立

    風邪をひいて寝込んでいたので、近くに行って見たかったけれども
    窓辺から見えるおんべの火が小さく燃えるのを
    さみしく眺めていました
    おんべ火の 凍ゆる窓に 昇り竜

    肩が寒くて風邪をひいたのでどてらを着て寝たら、肩が暖かい
    夜に昼の日差しと薪ストーブの熱で融けた屋根雪が落ちて
    家の脇腹に堅い雪の拳固を食らったような
    重く深い鈍痛のようなひびき
    さむくて布団を山のようにかけているから
    そのひびきがまるで雪の分厚い布団に閉ざされて
    潰されているような そんな寒い 言葉少ない場所です
    どてら敷き さみしき肩に 雪落とし


        2007-10-23 「ラ・アルヘンチーナ頌」に捧ぐ

    吉増さんのハンマーが銅板を叩く音が、客入りの前、
    いつもより速い、いつもは塵を鎮めるようなのに、
    その時、寄り掛かかっていた壁の中、
    背から水の流れる落ちる音がして、
    この巨大な倉庫跡も、
    生命の腹に成りうるのかもしれない、
    舞踏はお母さんのお腹の中ですという大野一雄さんの言葉とかさなるような

    吉増さんは、石狩シーツの詩を少しだけ読んで、時間ですと言って止めてしまった

    隣に座らせた山形淑華の鳴き声のようなうた
    吉増さんのサヌカイトのかすかな音

    応募の時の録音はもっとエロティックな感じだったが
    石狩シーツに対する詩のようなものを沢山書いていたが、すべて使わず
    鳴き声に

    すばらしいので、
    安心して、

    もう一人の詩人が戦争はおわったと朗読、
    リハーサルの時、一言叫んだ音のトーンが一番強かった


    もう踊りおわったらしんでしまってもよい
    というように踊ったら、おかえし、伝わるかなと
    一雄さんと吉増さんに

    でも土取さんの演出指示があったので、
    そこまでいかなかったな、

    でもまったく叫ぶつもりはなかったけど
    叫んでいた自分がいたりした

    なんだか、決まった終わりに居合わせたくなくて
    外に出て、海に引かれて、海に落ちて、
    よじ登るがたいへんだったけど、戻ったら終っていた、

    吉増さんと土取さんのは、後ろから聴いていたので
    ほとんど見えなかったけど、なんだか
    吉増さんが、一雄さんと石狩シーツ一緒にやった思い出が
    捧げられるようにはならなかったような気がしたなあ

    吉増さん最初に読んじゃえば良かったのに
    土取さんとやりたかったのかもしれないけど、2度読んでも良かったのに
    ごろごろは2回読んだりしてた、

    でも終って、悔しい気持ちもあったけど
    ビワの枝、掃除して
    二階のパーティーで中嶋夏さんという舞踏家の人に
    歯磨きするみたいに裸になるセックス=舞踏は見たくないと文句言われて、
    歯磨きするみたいにしたつもりはないと、言い返していたとき、
    視界が急に眩しくなりはじめて、
    まわりの方から、光の泡みたいな光の粒が見えてきてしまって、
    光をみた、
    うちの光なのか、ものの光なのか
    なんなんだろう身体的にコントロールできない現象

    こりゃやばい、横浜の汚い海に入って、傷口から毒がはいったからか、と
    そのまぶしさは、しばらくすると治まったが、

    ドイツでステーキ食べ放題で奢ってもらって食い過ぎて、
    視界が暗転してきて、吐いた時とか
    アムスで吸った時も暗転的なイメージだったけど
    その逆、健康的な

    一雄さんが医者にだめだと言われてても踊ると、身体が元気になってしまうといった
    そんな感じ、
    普段、展示とか行為すると血便が出たりするけど
    むしろ、2回踊っただけで、体つきがかわってしまった
    踊れるというような
    健康的な




        2007-09-29 キノコ大量

    IMGA1326s.jpg


    すぐ裏山で一時間ほどで、こんなに採れました
    シャカシメジが大量です
    また茸鑑定士さんに見てもらって
    写真はすべて食べられるきのこです

    料亭にでるようなうまいキノコで、
    きのこ鍋で食べました
    命の味がします
    都会の食事では命の味はなかなか味わえません





        2007-05-18 境界のない世界

    どうも、オリジナリティーというものこそ
    いらないのではないか、
    独創性、
    これより
    オリジナル−原物の意味のほうが
    まだしっくりくる、
    括ること、
    境界のない世界、
    知を所有しようとすることこそが害悪なのだ、
    すべてが原初からすでにもうある
    所有しなくても存在そのものが知なのだ
    なにも持たないことが
    すべてを持つこと

    神の軽さ

    という言葉が浮かぶ

    経験は所有ではない存在だ

        2006-11-09 野焼きと精霊と魔法と

    野焼きをして土の器に火の精霊の跡が焼きついた、

    内藤礼さんが貝紫染めで殺した貝が色として生きはじめることを、精霊と
    昔の人は呼んでいたのではないか、とすごくうつくしくこころに響くことを言っていたけれど、
    そんなかんじがした

    昔のひとが今の電気を見たら、魔法みたいと思うかしらと思っていたが、
    野で土の器を焼く焔とともにあることは、
    魔法としか思えない、
    縄文人は魔法とともに暮していたんだ、
    精霊とともにあること、
    生命と自然と接近して、そのうねりと一体化して生きることが
    どれだけ歓びに満ち溢れたことか、
    縄文人はよろこびに満ちた生を送っていたという実感を得る

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