2008-06-15 初田植え
西伊豆に初田植えに行く
棚田のうつくしい静かな浜辺の村
小さな棚田だが、素足で泥のなかに入るときもちいい
細い竹ざおに印がついていて、それに合わせて
苗を植えていく
だいぶ、石がごろごろとしていて
荒々しい田圃だ
歩いて海辺にある無料の露天温泉にいく
露天の温泉は、巨石の上に地蔵と湯の滝
樹木とひらけた空が、もう最高
これこそ、温泉だ
田植えの後だからより一層、芯に沁みてきもちいい
展示の疲れが一気にとれる
内風呂の温泉もあったけど、
室内の温泉では、もう物足りない
あまりに美味しい鯛料理に舌鼓をうち
大漁祭りという、漁船が地味な大漁旗をたなびかせ、入り江をぐるぐる回って
釣り竿にぶら下がった鰹を何度も何度も上げては、戻すという
シュールで地味な祭り行なわれる
鰹の刺身と魚介類のバーベキューが
タダで振る舞われる
このローカル感がすばらしい
二つの村の神社には、うつくしい石柱が立っていたり、横たわっていたり
朝の神社には、お参りに来た人が途切れない、浜辺の漁村の朝の時
やってきたおじいさんに石のことを尋ねると、
力石だという、昔は若いもんが担いで力試しをしたという
相撲も行なわれていた
ストーンサークルと力石、
ストーンサークルの遺跡には高倉が付属していることが多い
これと、相撲がむすびつくイメージを見る
力石は重くてびくともしない
つづいて、長野に帰って、
山菜採り、
友人も遊びに来て
ワラビ、ゼンマイ、ウワバミ草、フキ、イタドリ、ノビルなど
そこらへんに生えてるものが、ほとんど食べられる
もう、野菜は買わなくていいのではないか、
米農家の友人の田植えを見にいくと、
田植えの機械が、故障して、うまく植わらず、無惨に苗が散乱している
これは、手伝わねばと、友人達と、素足で小雨の中、再び田植え、
木崎湖の湖畔の田んぼなのだが、この前の伊豆の田とは、まったく泥の感触が違う、
ものすごくなめらかで、やわらかい
胎児の記憶の底をくすぐるような、足の裏の幸福感を味わう
田植えは大変だと聞いていたが、昔の人は一族郎党集まって、
この春の幸せの感触を楽しみにしてきていたのではないか、
この感触を味わえるだけで充分価値のある年中行事の祭り、生命の節たりうる気がする
日光に温められた田んぼの泥は、あたたかく
熱帯の植物たる稲の、
祖先の記憶の底と直接つながるような体験なのかもしれない
ただ、後日、湖から離れた、開墾されて、まだ年月の浅い田んぼでも、
田植えを手伝ったのだが、そちらのほうは、泥が粒っぽくて、その感動はなかった
だから、田の土の良さによってまったく、田植えの体験の質が変わってしまうのだろう
だから、みなさん、田植えをするなら、土の良い田んぼでしてみてください
日本人なら、毎日米を食べているなら、一度くらい田植えをしてみましょう
それが、どれだけ大地と生命の喜びから生まれてきているかを知ることは大切なことだと思います
木崎の米農家の友人も今は機械を使わないと、やりきれないと言っているけど、
手植えで植えたほうが、自然に植わるから、よいお米ができるらしいので
いずれは、手植えで、という希望も持っているようなので、
来年、田植えを体験したいという人は連絡ください
うちの家のアトリエの上に宿泊できるので、西丸震哉記念館に遊びに来がてら
すばらしい、土の田んぼなので、きっとおいしいお米ができると思います
木崎湖畔の生活
http://www.doblog.com/weblog/myblog/78163/448#448
棚田のうつくしい静かな浜辺の村
小さな棚田だが、素足で泥のなかに入るときもちいい
細い竹ざおに印がついていて、それに合わせて
苗を植えていく
だいぶ、石がごろごろとしていて
荒々しい田圃だ
歩いて海辺にある無料の露天温泉にいく
露天の温泉は、巨石の上に地蔵と湯の滝
樹木とひらけた空が、もう最高
これこそ、温泉だ
田植えの後だからより一層、芯に沁みてきもちいい
展示の疲れが一気にとれる
内風呂の温泉もあったけど、
室内の温泉では、もう物足りない
あまりに美味しい鯛料理に舌鼓をうち
大漁祭りという、漁船が地味な大漁旗をたなびかせ、入り江をぐるぐる回って
釣り竿にぶら下がった鰹を何度も何度も上げては、戻すという
シュールで地味な祭り行なわれる
鰹の刺身と魚介類のバーベキューが
タダで振る舞われる
このローカル感がすばらしい
二つの村の神社には、うつくしい石柱が立っていたり、横たわっていたり
朝の神社には、お参りに来た人が途切れない、浜辺の漁村の朝の時
やってきたおじいさんに石のことを尋ねると、
力石だという、昔は若いもんが担いで力試しをしたという
相撲も行なわれていた
ストーンサークルと力石、
ストーンサークルの遺跡には高倉が付属していることが多い
これと、相撲がむすびつくイメージを見る
力石は重くてびくともしない
つづいて、長野に帰って、
山菜採り、
友人も遊びに来て
ワラビ、ゼンマイ、ウワバミ草、フキ、イタドリ、ノビルなど
そこらへんに生えてるものが、ほとんど食べられる
もう、野菜は買わなくていいのではないか、
米農家の友人の田植えを見にいくと、
田植えの機械が、故障して、うまく植わらず、無惨に苗が散乱している
これは、手伝わねばと、友人達と、素足で小雨の中、再び田植え、
木崎湖の湖畔の田んぼなのだが、この前の伊豆の田とは、まったく泥の感触が違う、
ものすごくなめらかで、やわらかい
胎児の記憶の底をくすぐるような、足の裏の幸福感を味わう
田植えは大変だと聞いていたが、昔の人は一族郎党集まって、
この春の幸せの感触を楽しみにしてきていたのではないか、
この感触を味わえるだけで充分価値のある年中行事の祭り、生命の節たりうる気がする
日光に温められた田んぼの泥は、あたたかく
熱帯の植物たる稲の、
祖先の記憶の底と直接つながるような体験なのかもしれない
ただ、後日、湖から離れた、開墾されて、まだ年月の浅い田んぼでも、
田植えを手伝ったのだが、そちらのほうは、泥が粒っぽくて、その感動はなかった
だから、田の土の良さによってまったく、田植えの体験の質が変わってしまうのだろう
だから、みなさん、田植えをするなら、土の良い田んぼでしてみてください
日本人なら、毎日米を食べているなら、一度くらい田植えをしてみましょう
それが、どれだけ大地と生命の喜びから生まれてきているかを知ることは大切なことだと思います
木崎の米農家の友人も今は機械を使わないと、やりきれないと言っているけど、
手植えで植えたほうが、自然に植わるから、よいお米ができるらしいので
いずれは、手植えで、という希望も持っているようなので、
来年、田植えを体験したいという人は連絡ください
うちの家のアトリエの上に宿泊できるので、西丸震哉記念館に遊びに来がてら
すばらしい、土の田んぼなので、きっとおいしいお米ができると思います
木崎湖畔の生活
http://www.doblog.com/weblog/myblog/78163/448#448
2007-11-04 稲刈り体験
9月28日に書く
去年制作で必要な稲藁をわけてもらった、
稲尾の百姓の方と友達になったので、
稲刈りの体験がてら手伝いにいく
花の出荷と稲刈りが重なって大変急がしそう
機械で刈って、はぜ棒を組んで、
はぜかけにする、
とても構造的で、利にかなった組み方、
茅葺き屋根の構造にも近いという
はぜかけの稲穂の黄金色の形はとてもうつくしいが
刈りたてはまだあおい草の色が残っている、
機械刈りで束に結ばれた稲をはぜかけにしていく作業をした
乾くと量が減るので、風で倒れたりしないように
しっかりかけていく、
稲魂という言葉もあるが、
なかなか感慨ふかい
この前栗ご飯つくった時に、
縄文人の狩猟採集から弥生の稲作への移行は、
米の備蓄できる安定的な生活ということにまけたのではなく、
米のもっている味にまけたのではないだろうか、とふと思った
神の食べ物、米食いたければ、
高床式米倉、神社にひれ伏せって感じで、
色々、この辺の地域の農業の問題点を聞く、
農協を通して米の販売をすると、
機械の維持費、農薬費用、肥料、農協の手数料等で赤字になってしまうという、
あれだけ大変な作業をして赤字だったら誰もやらなくなるのは当然だ、
兼業農家で、別の仕事で稼いでいて、
その赤字を補填して、先祖代々の田圃を荒らさない為に趣味のようにやっているらしい
こんな状態では誰も、農家をやらなくなるのは当然だ、
農協はしかも、無農薬農法を弾圧するらしい、
消費者は、無農薬をもとめているのに、
農薬が売れなくなり、肥料が売れなくなるから、
無農薬の米を作っている人に圧力をかけて広まらないようにするという
酷い話だ、
本来、稲一本あたりに広い面積を与えて、育ててやれば、多少病気になっても、
全体としては問題なく、
無農薬農法は可能だという、
でも狭いところにぎっしり植えて、栄養不足で肥料を与えて育てると
病気になり、農薬が必要になり、農協が儲かる仕組になっている
確かに、無農薬だと雑草抜きなど大変だから、
アイガモ農法をやっていて、アイガモは雑草もたべてくれるから、
そこまで大変ではない、だれでもできる形の農業をめざして
日夜研究をしているそうだ、
最後に機械が刈り残した稲をノコギリ状の鎌で刈り取って束ねる
稲刈りのサクッという切れ味が心地よく、楽しい
でも手刈りで田圃一枚刈ったら、ものすごい大変だ、
昔は親戚一同集まって、一気に刈ったが、今はそんなことできないから
機械でやらないと採算が合わない、
でも自給自足を実践している人が隣村にいて、
手刈りしているという、田圃一枚の半分くらいで十分一人で食っていけるらしい
玄米だったら、栄養が豊富だから
ほとんど玄米だけ食っていても生きていけるらしい
一ヶ月10キロ食べて、1年120キロ
でも田圃一枚でも耕すのは大変で、その人も機械でやってもらっているという
やはり、昔は馬が耕していたから大変なのだろう
なにかと興味があるので、色々これからも教えてもらおうと思っています
採れたお米も手伝った分、もらえるということで、どんな味か楽しみです
11月3日
このお米を食べました
とてもおいしいお米です
食べてるとお米の粒が一つ一つ話しかけてくるような
お米のひと粒ひと粒の存在感を感じるというお米は食べたことがないかもしれません
食べ物は、そのまま自分の体です
このお米は直売していて、
注文して直接買うことができるので、
興味のある人は
こちらを見てください
去年制作で必要な稲藁をわけてもらった、
稲尾の百姓の方と友達になったので、
稲刈りの体験がてら手伝いにいく
花の出荷と稲刈りが重なって大変急がしそう
機械で刈って、はぜ棒を組んで、
はぜかけにする、
とても構造的で、利にかなった組み方、
茅葺き屋根の構造にも近いという
はぜかけの稲穂の黄金色の形はとてもうつくしいが
刈りたてはまだあおい草の色が残っている、
機械刈りで束に結ばれた稲をはぜかけにしていく作業をした
乾くと量が減るので、風で倒れたりしないように
しっかりかけていく、
稲魂という言葉もあるが、
なかなか感慨ふかい
この前栗ご飯つくった時に、
縄文人の狩猟採集から弥生の稲作への移行は、
米の備蓄できる安定的な生活ということにまけたのではなく、
米のもっている味にまけたのではないだろうか、とふと思った
神の食べ物、米食いたければ、
高床式米倉、神社にひれ伏せって感じで、
色々、この辺の地域の農業の問題点を聞く、
農協を通して米の販売をすると、
機械の維持費、農薬費用、肥料、農協の手数料等で赤字になってしまうという、
あれだけ大変な作業をして赤字だったら誰もやらなくなるのは当然だ、
兼業農家で、別の仕事で稼いでいて、
その赤字を補填して、先祖代々の田圃を荒らさない為に趣味のようにやっているらしい
こんな状態では誰も、農家をやらなくなるのは当然だ、
農協はしかも、無農薬農法を弾圧するらしい、
消費者は、無農薬をもとめているのに、
農薬が売れなくなり、肥料が売れなくなるから、
無農薬の米を作っている人に圧力をかけて広まらないようにするという
酷い話だ、
本来、稲一本あたりに広い面積を与えて、育ててやれば、多少病気になっても、
全体としては問題なく、
無農薬農法は可能だという、
でも狭いところにぎっしり植えて、栄養不足で肥料を与えて育てると
病気になり、農薬が必要になり、農協が儲かる仕組になっている
確かに、無農薬だと雑草抜きなど大変だから、
アイガモ農法をやっていて、アイガモは雑草もたべてくれるから、
そこまで大変ではない、だれでもできる形の農業をめざして
日夜研究をしているそうだ、
最後に機械が刈り残した稲をノコギリ状の鎌で刈り取って束ねる
稲刈りのサクッという切れ味が心地よく、楽しい
でも手刈りで田圃一枚刈ったら、ものすごい大変だ、
昔は親戚一同集まって、一気に刈ったが、今はそんなことできないから
機械でやらないと採算が合わない、
でも自給自足を実践している人が隣村にいて、
手刈りしているという、田圃一枚の半分くらいで十分一人で食っていけるらしい
玄米だったら、栄養が豊富だから
ほとんど玄米だけ食っていても生きていけるらしい
一ヶ月10キロ食べて、1年120キロ
でも田圃一枚でも耕すのは大変で、その人も機械でやってもらっているという
やはり、昔は馬が耕していたから大変なのだろう
なにかと興味があるので、色々これからも教えてもらおうと思っています
採れたお米も手伝った分、もらえるということで、どんな味か楽しみです
11月3日
このお米を食べました
とてもおいしいお米です
食べてるとお米の粒が一つ一つ話しかけてくるような
お米のひと粒ひと粒の存在感を感じるというお米は食べたことがないかもしれません
食べ物は、そのまま自分の体です
このお米は直売していて、
注文して直接買うことができるので、
興味のある人は
こちらを見てください

