2009-11-01 真壁町、筑波山
朝、真壁町古城(ふるしろ)の古城跡
しずかな土豪
山に囲まれた舞台のような
奥の神社が
杜の呼吸が抜けているような
すばらしい空間性
廃線になった真壁駅が
町のしずかな呼吸の
ほそく吐かれる息の滞留する所のような
寂しいけれどどこか長閑な
朝の気配にとけこんでいた
真壁の町を彷徨う
町中のお寺や神社に巨木がごろごろ立っている
小さなお堂の戸の隙間から覗いた
にぶくこがねに耀く仏像の表情に
心をからめとられて
しばらく離れられない
神仏混合の神社と寺が結びついていた
古来の姿を色濃く残している
素焼の大黒様もたくさん並んでいる
朝の真壁の町を抜け
授産施設に向かう途中
市役所の方に偶然出会い
そのまま乗せてもらい授産施設に
忘れたと思った場所にブリーフケースはなく
どうやら、昨日の美術館視察の時に乗せてもらった
車に忘れてきてしまったようだ
市役所の方は仕事で車の確認ができないので、
とりあえず、ディレクターの陶芸家の方のところで待っていてとのことなので、
そこへ向かう
途中、八柱神社という竹林に囲まれ
巨木を有する
見事な空間性の彫刻の施された神社に出会う
陶芸家さんの家の近くにも石段を登っていくと観音と書いてあるが
いい感じのぼろ小屋の中には
自然石が立っている
その後ろには丸石を三、四段積みかさねた
どうも形式化してしまった仏教的な在り方とは違う
原始的な信仰心の跡が残っている
とても忙しいディレクターの陶芸家さんの
仕事を邪魔してしまって、心苦しかったが、
連絡を待つしかなかったので、
待っていたら昼近くになり
陶芸家の奥さんが、
気を使って筑波山の登山口まで送ってくれるという
山を下りてきて連絡したら
届けてくれるというので、
ご厚意に甘えて
筑波山へ
麓の筑波山口から筑波山へと登る。
途中の月水石神社で巨石の磐座のごろごろとした場所
筑波山は歌垣、カガヒが行われた地だが、
すでにその気配が磐座に感じられる
ずんずん登り、筑波山神社に着く
立派な社と小さな神さびた社が幾つもある
湧水で顔を洗い
生まれ変わった気分で登り始める
ロープウェーを無視し
登山道を行く
土曜日だったので、登山客が多いので、
休みなしで
追い越していく
かなり険しい山道を登っていく
ここを登って歌垣、カガイをした
古代の男女の姿のまぼろしとともに
曇りだったので、
景色はまったく見えず、
とりあえず、ロープウェーの駅に着く
男体山と女体山の間にある広場
店が立ち並びものすごい人
昼食をとり、
雲が霧になっている
男体山山頂を目指す
巨石の上に社が建っている
巨石を降りた突端からは雲しか見えないが
雲に吸い込まれるような崖っぷちの岩上の感覚は
心地よい
今回は事情で立身石はパス
降りてきて、女体山へ
このルートに巨石がたくさんある
しかし人が多くて雰囲気が無い
口に小石をたくさんのせたガマ石
見た一瞬に
これは神石だとわかる気配を持っている
セキレイ石、巨石がたくさん
女体山山頂
巨石の上に社が建てられている
人がいっぱいだが
山頂の奥の岩棚を降りていくことができる
降りていくと子供連れのおじさんが
ロープを使って子供を岩の上に下ろしている
その岩崖に降り、これ以上は降りられない
突端から眺めると紅葉した林が美しい
山頂に戻り、
女体山側のルートで下る
ぽつぽつ雨が降ってくるので
急ぐ
弁慶七戻りなんともすばらしいバランスで
巨石と巨石の間に巨石が挟まっている
その間をくぐる
この空間性の体験は忘れがたい
出船入船
二艘の巨船がすれ違うような二つの巨石の間にやはり巨石が挟まっている
ロープウェーのある観光山の顔とはまったく違った
神さびた空間性の場
これらを見た古代人は神のみあれの姿と感じとっていたにちがいない
北斗石、大仏石などあるが
曇っていて霧でよく見えない
どこかの脇道に社があり、裏から巨石が見れる
誰も来ないのでしずかな気配
母の胎内くぐり
巨石の間をくぐる
細い巨石の隙間を抜けると
上に抜けられる
しばらく降りると
高天ヶ原と呼ばれる地
注連縄の結界をくぐって、巨石の岸壁を登っていく
しばらく登ると、鎖がとれていて、これ以上は登れない、
これは無理だなと思いつつ、
その先にある岩峰の姿に惹かれて、
なんとかして登れるか、
岩のでっぱりを掴んでいると、
そのままよじ登ってしまった
落ちたら、命の危ないような岸壁を越えて
震えるような心持で
さらに登っていく
下には普通の登山客が枝葉の合間から見えるが
こっちには気づかない
巨石をよじ登り
高天ヶ原の巨石の頂に立った
その瞬間、
一日中曇っていて
雲の霧の中で
まったく景色の見えなかった筑波山からの眺望が
雲海のむこうに
遠い山なみを覗かせていた
雲がはしっている
岩峰が雲を突き抜け天にぬけた
震える足先で雲の流れるここが高天ヶ原なんだと
もう一つの頂の石に乗り、すぐに下り始める
突き抜ける上昇感と別天地
再び降りていくほうが怖い
命がけの箇所をなんとか下り、
登山道に戻って山を下っていくと、
なにか脱魂してしまったような浮遊感とともに
憑かれたように下っていく
山道の岩と土と根、年月をかけて築かれた山の階(きざはし)を
踏みしめる身体のリズムは
カミの言葉なのだと
身体の記憶こそが
高天原、天つ国というのは実際的に
こういう場所に住んでいた人がいたのではないかという
ビジョンを視てしまうような処だった
この感覚とともに発せられる言霊には確かな効力がありそうだ
舗装された道に戻ると、
心も平らかになっていった
もし平らな道でも
身体に障害があってアンバランスなリズムで歩いていたら、
それはカミの言葉や精霊と呼ばれるものに
近い状態でいることができるのかもしれない
筑波山神社の最初に行った小さな社の側に着き、
筑波山口に向かって歩いていく
途中道を間違って
違う側に降りて、遠回りしてバス停に戻る
無事忘れ物もみつかり、
わざわざ届けてもらったお礼を言って
バスでつくば駅へ
しずかな土豪
山に囲まれた舞台のような
奥の神社が
杜の呼吸が抜けているような
すばらしい空間性
廃線になった真壁駅が
町のしずかな呼吸の
ほそく吐かれる息の滞留する所のような
寂しいけれどどこか長閑な
朝の気配にとけこんでいた
真壁の町を彷徨う
町中のお寺や神社に巨木がごろごろ立っている
小さなお堂の戸の隙間から覗いた
にぶくこがねに耀く仏像の表情に
心をからめとられて
しばらく離れられない
神仏混合の神社と寺が結びついていた
古来の姿を色濃く残している
素焼の大黒様もたくさん並んでいる
朝の真壁の町を抜け
授産施設に向かう途中
市役所の方に偶然出会い
そのまま乗せてもらい授産施設に
忘れたと思った場所にブリーフケースはなく
どうやら、昨日の美術館視察の時に乗せてもらった
車に忘れてきてしまったようだ
市役所の方は仕事で車の確認ができないので、
とりあえず、ディレクターの陶芸家の方のところで待っていてとのことなので、
そこへ向かう
途中、八柱神社という竹林に囲まれ
巨木を有する
見事な空間性の彫刻の施された神社に出会う
陶芸家さんの家の近くにも石段を登っていくと観音と書いてあるが
いい感じのぼろ小屋の中には
自然石が立っている
その後ろには丸石を三、四段積みかさねた
どうも形式化してしまった仏教的な在り方とは違う
原始的な信仰心の跡が残っている
とても忙しいディレクターの陶芸家さんの
仕事を邪魔してしまって、心苦しかったが、
連絡を待つしかなかったので、
待っていたら昼近くになり
陶芸家の奥さんが、
気を使って筑波山の登山口まで送ってくれるという
山を下りてきて連絡したら
届けてくれるというので、
ご厚意に甘えて
筑波山へ
麓の筑波山口から筑波山へと登る。
途中の月水石神社で巨石の磐座のごろごろとした場所
筑波山は歌垣、カガヒが行われた地だが、
すでにその気配が磐座に感じられる
ずんずん登り、筑波山神社に着く
立派な社と小さな神さびた社が幾つもある
湧水で顔を洗い
生まれ変わった気分で登り始める
ロープウェーを無視し
登山道を行く
土曜日だったので、登山客が多いので、
休みなしで
追い越していく
かなり険しい山道を登っていく
ここを登って歌垣、カガイをした
古代の男女の姿のまぼろしとともに
曇りだったので、
景色はまったく見えず、
とりあえず、ロープウェーの駅に着く
男体山と女体山の間にある広場
店が立ち並びものすごい人
昼食をとり、
雲が霧になっている
男体山山頂を目指す
巨石の上に社が建っている
巨石を降りた突端からは雲しか見えないが
雲に吸い込まれるような崖っぷちの岩上の感覚は
心地よい
今回は事情で立身石はパス
降りてきて、女体山へ
このルートに巨石がたくさんある
しかし人が多くて雰囲気が無い
口に小石をたくさんのせたガマ石
見た一瞬に
これは神石だとわかる気配を持っている
セキレイ石、巨石がたくさん
女体山山頂
巨石の上に社が建てられている
人がいっぱいだが
山頂の奥の岩棚を降りていくことができる
降りていくと子供連れのおじさんが
ロープを使って子供を岩の上に下ろしている
その岩崖に降り、これ以上は降りられない
突端から眺めると紅葉した林が美しい
山頂に戻り、
女体山側のルートで下る
ぽつぽつ雨が降ってくるので
急ぐ
弁慶七戻りなんともすばらしいバランスで
巨石と巨石の間に巨石が挟まっている
その間をくぐる
この空間性の体験は忘れがたい
出船入船
二艘の巨船がすれ違うような二つの巨石の間にやはり巨石が挟まっている
ロープウェーのある観光山の顔とはまったく違った
神さびた空間性の場
これらを見た古代人は神のみあれの姿と感じとっていたにちがいない
北斗石、大仏石などあるが
曇っていて霧でよく見えない
どこかの脇道に社があり、裏から巨石が見れる
誰も来ないのでしずかな気配
母の胎内くぐり
巨石の間をくぐる
細い巨石の隙間を抜けると
上に抜けられる
しばらく降りると
高天ヶ原と呼ばれる地
注連縄の結界をくぐって、巨石の岸壁を登っていく
しばらく登ると、鎖がとれていて、これ以上は登れない、
これは無理だなと思いつつ、
その先にある岩峰の姿に惹かれて、
なんとかして登れるか、
岩のでっぱりを掴んでいると、
そのままよじ登ってしまった
落ちたら、命の危ないような岸壁を越えて
震えるような心持で
さらに登っていく
下には普通の登山客が枝葉の合間から見えるが
こっちには気づかない
巨石をよじ登り
高天ヶ原の巨石の頂に立った
その瞬間、
一日中曇っていて
雲の霧の中で
まったく景色の見えなかった筑波山からの眺望が
雲海のむこうに
遠い山なみを覗かせていた
雲がはしっている
岩峰が雲を突き抜け天にぬけた
震える足先で雲の流れるここが高天ヶ原なんだと
もう一つの頂の石に乗り、すぐに下り始める
突き抜ける上昇感と別天地
再び降りていくほうが怖い
命がけの箇所をなんとか下り、
登山道に戻って山を下っていくと、
なにか脱魂してしまったような浮遊感とともに
憑かれたように下っていく
山道の岩と土と根、年月をかけて築かれた山の階(きざはし)を
踏みしめる身体のリズムは
カミの言葉なのだと
身体の記憶こそが
高天原、天つ国というのは実際的に
こういう場所に住んでいた人がいたのではないかという
ビジョンを視てしまうような処だった
この感覚とともに発せられる言霊には確かな効力がありそうだ
舗装された道に戻ると、
心も平らかになっていった
もし平らな道でも
身体に障害があってアンバランスなリズムで歩いていたら、
それはカミの言葉や精霊と呼ばれるものに
近い状態でいることができるのかもしれない
筑波山神社の最初に行った小さな社の側に着き、
筑波山口に向かって歩いていく
途中道を間違って
違う側に降りて、遠回りしてバス停に戻る
無事忘れ物もみつかり、
わざわざ届けてもらったお礼を言って
バスでつくば駅へ
2009-10-29 プレワークショップ、アートコラボラボ真壁
茨城県の笠間で開催予定の
作家と障害者の一対一の
プライベートコラボレーション展示の
プレワークショップに参加
つくば駅から筑波山へ
筑波山、
尖った山となだらかな山の姿に
てのひらのうごきのような
不思議なリズムの起こりに惹かれながら
筑波山をぐるっとまわって真壁町へ
田んぼに囲まれた道を行き
桜川市、真壁町の障害者の授産施設で
ワークショップ
でも授産施設の授産というのはなんだかすごい言葉だな
施設に着くと
授産施設のみなさんは外で迎えてくれた
不思議なほほえみのような連帯感につつまれていくような
笑顔でしっかり挨拶してくれる。
思わず笑顔になって、
この場所はとても自分の求めている場所に近いと、
秋の柔らかなひかりの親しさとともに感じていた
その森の中に入っていくような不思議な一体感、
打ち合わせの後、
施設の二階で挨拶し、
絵画のワークショップと、工作のワークショップ、ダンスのワークショップ、花のワークショップと
分かれて各作家がワークショップを始める。
絵画のワークショップと言っても、どんな感覚で、どんな絵を描くのか
まったくわからないから、植物を使って絵を描くとか考えてはいたけど、
自由に筆を使って水彩絵の具で描いていくみんなに
そんなことは必要ないなと、
描きたいように描いている姿に、うれしい気持ちになっていて
自分も描いてみる
ぬったくる絵もいい
できるかなぁ、わかるかなぁ?といいながら描いていく絵もいい
こんなにも素朴で、無垢なもののあらわれに囲まれていると
うれしくなってしまう
色も構図もすばらしい絵がいくつもできる
声を出し、太鼓をたたく子がとてもよい音の感覚なので
それに耳をすまし、絵を描く
ワークショップが終わり、真壁の方たちが歓迎会を
風情ある旅館で開いてくれた
途中酒屋さんに挨拶にいくと
綿の木の枝が飾ってある
とても真壁町というのはいいところのようだ、
路線が廃線になり、陸の孤島のように筑波山の麓で
駅からは遠いが、そのおかげで、とてもよいものが残っている
旅先で出会った、田舎に残る生活の重厚な呼気
惹かれつづけてきた、地の力に満ちた場所で
制作ができ、そこに住む人と関わっていけるというのはとてもうれしい
お酒がすすむ
酔っ払って、施設の宿泊所でも
参加者の舞踏家の方と華道家の方と話して
眠りにつく
朝、6時ごろ、施設の方が起きて食事をして仕事にいく音に目が覚めて、
酔いは残っていたけど、寝てても変わらないので、
起きて周りを散策、小石を拾い集め、施設のお手伝いのおばちゃんに
温かいすいとんを作ってもらい、宴であまったおにぎりなどを食べてから
町中までどれくらいで行けるか聞いて
今日の美術館見学の9時までに戻って来れれそうだったので、
田んぼの道を歩いていく、
泊まった場所は昨日の授産施設ではなく、その向かい側遠くに見えていた
施設のほうだった
歩いて行くと、真壁なのか、しろい漆喰の壁の屋敷にさそわれ
小道へ
神社の場所も聞いていたので、
ちょうど神社へ着く
巨木と、もっとでかい巨木の枯れた木
歩いて橋を渡って町中へ
蔵や風情ある商店街には幾つも竹が立っていて
花が生けてある
とてもよいところだなぁ
文化がある
こういう場所では現在の作家の仕事は真剣でないと
まったく邪魔にしかならないだろうなと思いつつ
時間もないので、道の奥の神社に着いて
戻り始める、走りつつ戻る
ちょうど8時半に着き
テレビでは鳥の鳴き声の名人が映っていて
息子が亡き父の名を継ぐとのことだったが、
鳴き声の深さがぜんぜん違う
迎えに来てくれた市役所の方と
笠間の陶芸美術館を見に行く
展示スペースとして使われている場所以外にも
とてもおもしろい空間があり、使えそうな感じであったが、
公の場を使うことの難しさも伝えられる。
陶芸の作品も何点もおもしろい作品があった。
真壁に戻る途中、名物のくるみ入り稲荷寿司のお弁当を買ってもらい
100円ショップに寄ってもらって粘土とアクリルを買う
昼食後、会議、その後すぐワークショップ開始
今日は
粘土と小石に絵を描くワークショップをしてみる
参加者が一人増えて、袋に絵を描くワークショップ
ダンスの方が外で、太鼓をもっていってワークショップ
とても気持ちよさそうだ
なんだか施設の人たちとコミニケーションとるのに
言葉じゃなくて踊りとかがいいな、絵を描くよりなにか、コミニケーションしたい
大きな森のようなところへ
でも粘土で生まれてくるものもとても楽しい
震えるように手のつたなさが繊細な心を放つ空間を作っているような
でも塔のような作品が何点かあるのが気になる
何を作ったのか聞いても、答えてくれない
立つというのは、木もそうだし、いのちも立つものだ
きのこの絵を描いているおじちゃんが、
小さなお地蔵さんをつくっている
施設のスタッフの人にも一緒に石に絵を描いたり
粘土でつくったりしてもらう
とてもいい感覚をもっている
だって森に囲まれていたら、そよいだり、響いたりしてしまうよね
あっというまにワークショップは終わり、
反省会、言いたいこと言って真意が伝わり
方向が決まっていく
つくば駅に送っていってもらうついでに
筑波山に登るために、近くに下ろしてもらうつもりだったけど
他にデザインの用事があったので、つくば駅で他の参加者を見送ってから、
ファミレスで会議と思ったけど、資料を忘れて会議できず、
しかも資料をとりに、真壁まで戻ることに、
テントを持ってきていたので、真壁の古城(ふるしろ)で下ろしてもらい
コンビニに寄ってから、テントで泊まる
明日朝に資料をとりに行ってから、筑波山へ
(筑波山へとつづく)
作家と障害者の一対一の
プライベートコラボレーション展示の
プレワークショップに参加
つくば駅から筑波山へ
筑波山、
尖った山となだらかな山の姿に
てのひらのうごきのような
不思議なリズムの起こりに惹かれながら
筑波山をぐるっとまわって真壁町へ
田んぼに囲まれた道を行き
桜川市、真壁町の障害者の授産施設で
ワークショップ
でも授産施設の授産というのはなんだかすごい言葉だな
施設に着くと
授産施設のみなさんは外で迎えてくれた
不思議なほほえみのような連帯感につつまれていくような
笑顔でしっかり挨拶してくれる。
思わず笑顔になって、
この場所はとても自分の求めている場所に近いと、
秋の柔らかなひかりの親しさとともに感じていた
その森の中に入っていくような不思議な一体感、
打ち合わせの後、
施設の二階で挨拶し、
絵画のワークショップと、工作のワークショップ、ダンスのワークショップ、花のワークショップと
分かれて各作家がワークショップを始める。
絵画のワークショップと言っても、どんな感覚で、どんな絵を描くのか
まったくわからないから、植物を使って絵を描くとか考えてはいたけど、
自由に筆を使って水彩絵の具で描いていくみんなに
そんなことは必要ないなと、
描きたいように描いている姿に、うれしい気持ちになっていて
自分も描いてみる
ぬったくる絵もいい
できるかなぁ、わかるかなぁ?といいながら描いていく絵もいい
こんなにも素朴で、無垢なもののあらわれに囲まれていると
うれしくなってしまう
色も構図もすばらしい絵がいくつもできる
声を出し、太鼓をたたく子がとてもよい音の感覚なので
それに耳をすまし、絵を描く
ワークショップが終わり、真壁の方たちが歓迎会を
風情ある旅館で開いてくれた
途中酒屋さんに挨拶にいくと
綿の木の枝が飾ってある
とても真壁町というのはいいところのようだ、
路線が廃線になり、陸の孤島のように筑波山の麓で
駅からは遠いが、そのおかげで、とてもよいものが残っている
旅先で出会った、田舎に残る生活の重厚な呼気
惹かれつづけてきた、地の力に満ちた場所で
制作ができ、そこに住む人と関わっていけるというのはとてもうれしい
お酒がすすむ
酔っ払って、施設の宿泊所でも
参加者の舞踏家の方と華道家の方と話して
眠りにつく
朝、6時ごろ、施設の方が起きて食事をして仕事にいく音に目が覚めて、
酔いは残っていたけど、寝てても変わらないので、
起きて周りを散策、小石を拾い集め、施設のお手伝いのおばちゃんに
温かいすいとんを作ってもらい、宴であまったおにぎりなどを食べてから
町中までどれくらいで行けるか聞いて
今日の美術館見学の9時までに戻って来れれそうだったので、
田んぼの道を歩いていく、
泊まった場所は昨日の授産施設ではなく、その向かい側遠くに見えていた
施設のほうだった
歩いて行くと、真壁なのか、しろい漆喰の壁の屋敷にさそわれ
小道へ
神社の場所も聞いていたので、
ちょうど神社へ着く
巨木と、もっとでかい巨木の枯れた木
歩いて橋を渡って町中へ
蔵や風情ある商店街には幾つも竹が立っていて
花が生けてある
とてもよいところだなぁ
文化がある
こういう場所では現在の作家の仕事は真剣でないと
まったく邪魔にしかならないだろうなと思いつつ
時間もないので、道の奥の神社に着いて
戻り始める、走りつつ戻る
ちょうど8時半に着き
テレビでは鳥の鳴き声の名人が映っていて
息子が亡き父の名を継ぐとのことだったが、
鳴き声の深さがぜんぜん違う
迎えに来てくれた市役所の方と
笠間の陶芸美術館を見に行く
展示スペースとして使われている場所以外にも
とてもおもしろい空間があり、使えそうな感じであったが、
公の場を使うことの難しさも伝えられる。
陶芸の作品も何点もおもしろい作品があった。
真壁に戻る途中、名物のくるみ入り稲荷寿司のお弁当を買ってもらい
100円ショップに寄ってもらって粘土とアクリルを買う
昼食後、会議、その後すぐワークショップ開始
今日は
粘土と小石に絵を描くワークショップをしてみる
参加者が一人増えて、袋に絵を描くワークショップ
ダンスの方が外で、太鼓をもっていってワークショップ
とても気持ちよさそうだ
なんだか施設の人たちとコミニケーションとるのに
言葉じゃなくて踊りとかがいいな、絵を描くよりなにか、コミニケーションしたい
大きな森のようなところへ
でも粘土で生まれてくるものもとても楽しい
震えるように手のつたなさが繊細な心を放つ空間を作っているような
でも塔のような作品が何点かあるのが気になる
何を作ったのか聞いても、答えてくれない
立つというのは、木もそうだし、いのちも立つものだ
きのこの絵を描いているおじちゃんが、
小さなお地蔵さんをつくっている
施設のスタッフの人にも一緒に石に絵を描いたり
粘土でつくったりしてもらう
とてもいい感覚をもっている
だって森に囲まれていたら、そよいだり、響いたりしてしまうよね
あっというまにワークショップは終わり、
反省会、言いたいこと言って真意が伝わり
方向が決まっていく
つくば駅に送っていってもらうついでに
筑波山に登るために、近くに下ろしてもらうつもりだったけど
他にデザインの用事があったので、つくば駅で他の参加者を見送ってから、
ファミレスで会議と思ったけど、資料を忘れて会議できず、
しかも資料をとりに、真壁まで戻ることに、
テントを持ってきていたので、真壁の古城(ふるしろ)で下ろしてもらい
コンビニに寄ってから、テントで泊まる
明日朝に資料をとりに行ってから、筑波山へ
(筑波山へとつづく)
2009-10-08 「歌籠り(アヤゴモリ)マツリ」
撒かれる貝殻
吊るされる朱色の芭蕉の句が揺れる
運び込まれる空のテントの蚊帳
不思議な笛の音、siteのオーナー斎藤康さんがマツリの始まりを告げる
吉増剛造さんの「gozocine カルナック」の上映が始まる
水を零しながら杉原信幸が入場
山形淑華が声を啼く
色の被膜のスクリーンのうしろに入り光を明滅させる
吉増さんのカラー原稿を張り合わせた色の皮膜をスクリーンにした
「gozocine カルナック」はこれが真の姿かと思うほどの現れかた
ピンチハンガーで銅板を打ち鳴らす杉原
ふっと気がついた時には海藻を貝片の庭に一つ投げ入れていた
岡田隆彦さんの『危機の結晶』とイヴ・タンギー
カルナック、巨石に降る雪
古代天文台について語る吉増さん
そこに杉原の地の声が鳴り響く瞬間に反応して
古代天文台の朗読が始まっていく
杉原、山形の奄美、加計呂麻の旅で撮った映像が流れ
初めて出す声の驚きにのってうたい踊る杉原
吉増さんはサヌカイトを鳴らす
山形が啼き声を鳴り響かす
笹で編んだ垣根を持ち上げ被りながらなにかをうたう杉原
お蚕さんの糸つむぎ唄が鳴り響き
「ふるべゆらゆら」の島尾ミホさんの朗読と焚火の映像が流れる中踊る
プレスリーの「ラブミーテンダー」が流れ
歌籠り 歌籠りせむ…と書いた書を破る吉増さん
安心院(アジム)の佐田京石のストーンサールで生まれた言葉の記録映像と重なるように
言葉を叫ぶ杉原
米神山の映像、奄美の鳴り石浜、ホシホノ海岸の波の映像が流れ
若林奮さんの銅葉ロールの前に
幾つものテープレコーダーを並べて
インディア・ソングの音楽を流す吉増さんは古代DJのように
音を操り、同時に映像を撮影する
いつでもレインコートを着ていたというタンギー
雨合羽を振りながら舞う山形
杉原は貝片を参加者の上に振り撒いて
踊りの波は去っていくように外へ消える
波の音とインディア・ソングの音
残った山形の動きを声で操る吉増さん
波の映像が終わり青い光が映し出されると
再び古代天文台の朗読がはじまる
「しろがねの 古代天文台に 雪 降りつもり …」
「すべての死体は 一瞬 深紅に耀くのを 知っているか …」
金づちを打つ音が鳴り響き
外を踊ってきた杉原は
古代天文台の詩の朗読に引かれて
戻ってくる
吉増さんに手招きされ
三人は注連縄の中心で手を交差してマツリは終わる
マツリの朝、撮ってきてくれた新作gozocine「芭蕉cine」を上映し
隠れゲストの森川啓太さんが
すごい声で歌い添える
マツリのあと、
吉増さんが持ってきてくれたシャンパンでパーティー
杉原は徹夜で貝殻を並べ直す

山形撮影の呑之浦(ヌンミウラ)の映像と色の被膜のスクリーン










吉増剛造教室の森川啓太さんが
喉のパイプ、プレスリーを歌い添える

撮影 手塚愛子
「歌籠り(アヤゴモリ) マツリ」
杉原信幸
山形淑華
吉増剛造(ゲスト)
森川啓太(秘密のゲスト)
都市のマツリを揺りおこす。その揺籃(ヨウラン)の庭を杉原信幸がカムイミンタル(神庭)として
注連縄、貝殻、海藻をつかって生み出し、山形淑華が空のテント、蚊帳をかける。
詩人の吉増剛造氏をゲストに迎え、手の歩行によって、紙片に光を刺青するようにして
描かれた色の皮膜によってつくられる、静寂の空間と
三者によって声、身体、言葉によって歌い籠められるマツリの刻(トキ)。
日時 8月29日(土)18時-
主催 site
site[サイト]
東京都渋谷区恵比寿1-30-15サイトビルB1
Tel: 03-3441-6970 Fax: 03-3444-1483
@Mail: site@site-ebisu.com
http://www.site-ebisu.com/
吊るされる朱色の芭蕉の句が揺れる
運び込まれる空のテントの蚊帳
不思議な笛の音、siteのオーナー斎藤康さんがマツリの始まりを告げる
吉増剛造さんの「gozocine カルナック」の上映が始まる
水を零しながら杉原信幸が入場
山形淑華が声を啼く
色の被膜のスクリーンのうしろに入り光を明滅させる
吉増さんのカラー原稿を張り合わせた色の皮膜をスクリーンにした
「gozocine カルナック」はこれが真の姿かと思うほどの現れかた
ピンチハンガーで銅板を打ち鳴らす杉原
ふっと気がついた時には海藻を貝片の庭に一つ投げ入れていた
岡田隆彦さんの『危機の結晶』とイヴ・タンギー
カルナック、巨石に降る雪
古代天文台について語る吉増さん
そこに杉原の地の声が鳴り響く瞬間に反応して
古代天文台の朗読が始まっていく
杉原、山形の奄美、加計呂麻の旅で撮った映像が流れ
初めて出す声の驚きにのってうたい踊る杉原
吉増さんはサヌカイトを鳴らす
山形が啼き声を鳴り響かす
笹で編んだ垣根を持ち上げ被りながらなにかをうたう杉原
お蚕さんの糸つむぎ唄が鳴り響き
「ふるべゆらゆら」の島尾ミホさんの朗読と焚火の映像が流れる中踊る
プレスリーの「ラブミーテンダー」が流れ
歌籠り 歌籠りせむ…と書いた書を破る吉増さん
安心院(アジム)の佐田京石のストーンサールで生まれた言葉の記録映像と重なるように
言葉を叫ぶ杉原
米神山の映像、奄美の鳴り石浜、ホシホノ海岸の波の映像が流れ
若林奮さんの銅葉ロールの前に
幾つものテープレコーダーを並べて
インディア・ソングの音楽を流す吉増さんは古代DJのように
音を操り、同時に映像を撮影する
いつでもレインコートを着ていたというタンギー
雨合羽を振りながら舞う山形
杉原は貝片を参加者の上に振り撒いて
踊りの波は去っていくように外へ消える
波の音とインディア・ソングの音
残った山形の動きを声で操る吉増さん
波の映像が終わり青い光が映し出されると
再び古代天文台の朗読がはじまる
「しろがねの 古代天文台に 雪 降りつもり …」
「すべての死体は 一瞬 深紅に耀くのを 知っているか …」
金づちを打つ音が鳴り響き
外を踊ってきた杉原は
古代天文台の詩の朗読に引かれて
戻ってくる
吉増さんに手招きされ
三人は注連縄の中心で手を交差してマツリは終わる
マツリの朝、撮ってきてくれた新作gozocine「芭蕉cine」を上映し
隠れゲストの森川啓太さんが
すごい声で歌い添える
マツリのあと、
吉増さんが持ってきてくれたシャンパンでパーティー
杉原は徹夜で貝殻を並べ直す

山形撮影の呑之浦(ヌンミウラ)の映像と色の被膜のスクリーン










吉増剛造教室の森川啓太さんが
喉のパイプ、プレスリーを歌い添える

撮影 手塚愛子
「歌籠り(アヤゴモリ) マツリ」
杉原信幸
山形淑華
吉増剛造(ゲスト)
森川啓太(秘密のゲスト)
都市のマツリを揺りおこす。その揺籃(ヨウラン)の庭を杉原信幸がカムイミンタル(神庭)として
注連縄、貝殻、海藻をつかって生み出し、山形淑華が空のテント、蚊帳をかける。
詩人の吉増剛造氏をゲストに迎え、手の歩行によって、紙片に光を刺青するようにして
描かれた色の皮膜によってつくられる、静寂の空間と
三者によって声、身体、言葉によって歌い籠められるマツリの刻(トキ)。
日時 8月29日(土)18時-
主催 site
site[サイト]
東京都渋谷区恵比寿1-30-15サイトビルB1
Tel: 03-3441-6970 Fax: 03-3444-1483
@Mail: site@site-ebisu.com
http://www.site-ebisu.com/
2009-10-02 いのちの形(カタ)に唇が触れて
要町にある熊谷守一美術館のギャラリーで
熊谷守一の娘の榧さんがやっているアラスカの旅の展示を見に行った
二世というのはむずかしいと思うが、
榧さんの絵はいい絵だった
グリズリーの絵の赤や鹿の絵など
そして一階のカフェでコーヒーを頂いたのだが
そのコーヒーカップが榧さんの手作りのカップで
野生味あふれるでこぼこのカップだった。
それでコーヒーを飲んだ瞬間に
コーヒーを飲むならここがいいと初めて思った
喫茶店に入る習慣がなかったけどこの体験は面白い
飾ってある絵などはおもしろいのだが、
コーヒーを飲む空間がすばらしいということではなく
この陶器と唇の出会い
芸術と言われるものにまさに直接触れることのできる体験
しかも350円のコーヒーなら僕でも飲める
陶芸家ではなく
芸術と呼ばれるものを目指す人と生活の接点に
魅力的な場が生まれている
いのちの形(カタ)に唇が触れて
熊谷守一の娘の榧さんがやっているアラスカの旅の展示を見に行った
二世というのはむずかしいと思うが、
榧さんの絵はいい絵だった
グリズリーの絵の赤や鹿の絵など
そして一階のカフェでコーヒーを頂いたのだが
そのコーヒーカップが榧さんの手作りのカップで
野生味あふれるでこぼこのカップだった。
それでコーヒーを飲んだ瞬間に
コーヒーを飲むならここがいいと初めて思った
喫茶店に入る習慣がなかったけどこの体験は面白い
飾ってある絵などはおもしろいのだが、
コーヒーを飲む空間がすばらしいということではなく
この陶器と唇の出会い
芸術と言われるものにまさに直接触れることのできる体験
しかも350円のコーヒーなら僕でも飲める
陶芸家ではなく
芸術と呼ばれるものを目指す人と生活の接点に
魅力的な場が生まれている
いのちの形(カタ)に唇が触れて
2009-09-21 専女(とうめ)の欅の胎樹のはらで
諏訪大社下社秋宮のすぐ目の前にある
専女(とうめ)の欅の胎樹のはらで
大樹(胎樹)のうろ につつまれて
空へとぬけていく風と木漏れ日と
天上の梢の葉音に
木々の言葉
一千年の時をかけて刻みだした
樹幹の膨らみと樹皮の皺に
縄文土器の文様のエグレが
いのちそのもののあらわれの波だとすれば
また木々も一千年の時をかけて一つの言葉だけを
身に纏うように
そういう言葉に触れることが
私たちにはできるのではないかと
樹皮の声
風が鳴らす梢の囀り
木漏れ日の網の波
それらすべてが
世界と私たちが奏でる音楽のような
響感のしかたであるように
私たちは血潮で満ちた共鳴する楽器のように
専女(とうめ)の欅の胎樹のはらで
大樹(胎樹)のうろ につつまれて
空へとぬけていく風と木漏れ日と
天上の梢の葉音に
木々の言葉
一千年の時をかけて刻みだした
樹幹の膨らみと樹皮の皺に
縄文土器の文様のエグレが
いのちそのもののあらわれの波だとすれば
また木々も一千年の時をかけて一つの言葉だけを
身に纏うように
そういう言葉に触れることが
私たちにはできるのではないかと
樹皮の声
風が鳴らす梢の囀り
木漏れ日の網の波
それらすべてが
世界と私たちが奏でる音楽のような
響感のしかたであるように
私たちは血潮で満ちた共鳴する楽器のように

